縁あって、日経ビジネス電子版に連載させていただくことになった。
担当編集氏から、まずは自己紹介を書けと言われているので、そこから始めよう。筆者は先ごろ、さる所に記事を書いた折りに「自動車経済評論家」と言う肩書をもらい。周り中の「それいいじゃん」に流されるまま、それを名乗っていくことになった。
自動車経済評論家ってなんだ? と説明を求められれば、まああれだ。工業製品として、あるいは趣味としてのクルマを基点に、そのクルマが造られた背景に遡っていこう、みたいなもの。経済評論家がクルマを語る、つまりビジネス(経済)の眼でクルマを見る、というのとは違う。あくまで「先にクルマありき。ただし、ビジネスとしての背景もちゃんと抑える」、ということだ。
当たり前ではあるけれど、自動車を造るに当たっては国内外の規制があり、経済や市場の動向があり、技術のトレンドがあり、メーカーの方針や思惑がある。取材をすると、「なんでこういうクルマを造ったのか」(=背景)は、ちゃんと教えてくれる。その説明に納得がいく場合もいかない場合もあるが、結局のところ、「理屈はともかく出来上がりのクルマはどうなのよ?」という所がちゃんとしていなければ意味が無い。
例えば「原価低減」。
企業の経営にとってはものすごく大事なことで、コスト掛け放題でクルマを造るなんてことはもうどこもやっていない。けれども「原価を下げればそれでいいのか」といえばそんなわけはなく、クルマそのものもちゃんと良くなっていってくれないと困る。ローコスト指向だけが突出すれば、製品の魅力が失われ、原価は減ったが売上高も落ちた、ということになりかねない。
トヨタのヤリスの例が分かりやすいかもしれない。ヤリスは、先代にあたるヴィッツと比べて、「シャシーの原価は下がっている」とトヨタは言う。けれどもその走りは圧倒的によくなっている。それは乗ればわかる。だから、「じゃあ、どうしてコストカットしながらいいモノが作れるようになったのか?」というところを掘り下げていく。
そんなふうに、商品と経営を両方からチェックするところが自動車評論家でもなく経済評論家でもなく、自動車経済評論家ということになるのだと思う。まあ全部できているかどうかは怪しいけれども、そういうスタンスで自動車経済評論というのをやっていくつもりである。
さて、連載に際して編集担当と打ち合わせをやった。開口一番、担当編集は「池田さん、クルマの話だけでは多くの読者は喜んでくれません。冒頭に日常生活の与太話を書いて下さい」と言い出した。
いやいや、そんなことを言われるとは思ってなかったのでびっくりしたけれど、言いたいことはわかる。件の担当編集氏はフェルディナント・ヤマグチ氏の担当でもある。ようするにアレをやれと言うことらしい。
ヤマグチ氏ほど人間も生活も面白くない筆者は、ちょっと困った。それに自分が書くとどうやったって理屈っぽくなる。「池田さん、フェイスブックでよくうまそうなメシの話を書いているじゃないですか」「仕方がない、毎回、なんかうまいモノの紹介でもやりますか」と、それで勘弁してもらうことになった。
クルマに試乗する機会は大きく分けて2つある。ひとつは試乗会。これは「いついつどこそこに来い」と呼ばれて乗りに行く形。1時間とか1時間半とかの枠を決められて、エンジン別だったり、駆動方式別に何台かに乗って、そのあとエンジニアに話を聞いて帰ってくる。こういう試乗会ではETCカードもあらかじめ挿入されていることが多く、給油もしないでよい。まあ有り体に言えばタダでクルマに乗れる機会だ。
もうひとつは、メーカーが持っている広報車を借り出して、自分で勝手に試乗に行く。こっちはもちろんガス代、高速代は自腹で、返却時には満タンと洗車が掟である。なので予算不足の昨今、どこの媒体も媒体としてはあまり広報車を借り出さない。「借りてもいいですけど、ライターさんの自腹でお願いします」みたいな話だ。
けれども、やっぱり1時間やそこらの試乗ではわからないこともある。なので、試乗会で乗って良かったなぁと思うクルマは、個別に借り出して試乗に行く。
筆者が最近ルーティンにしているのは房総半島一周の約300キロ。都心を出てアクアラインを渡り、館山自動車道で富津あたりまで南下したら、房総半島を横断して鴨川へ。この途中は山越えなので多少くねくね道がある。そこからずっと海沿いを下って、房総半島の南端、野島崎を回って、東京湾沿いに白浜を過ぎた先にあるのが「漁港食堂だいぼ」(〒294-0314 千葉県館山市伊戸963-1)だ。ここの昼飯が楽しみだ。
水産会社直営で、地引き網船を所有しているので、水揚げ直送の新鮮な魚が食える。特に青魚はもう鮮度が命。そういう意味では漁船直送の恩恵はデカいのだ。まぐろなんかは熟成がいるので、また別だけれど、熟成系の仕事もちゃんとしている。そっちもうまいのでご心配なく。
何を食ってもうまいけれど、特にお薦めは「旬の地魚 秘伝の漬け丼」、税別1280円也。たまに奮発して鰺の刺し身なんかも付けたりする。それでも2000円かそこらである。漬けはオリーブオイルとニンニクがベースで、基本塩味。これが本当にうまい。ちなみにそういう変わった味が苦手な人には普通のしょうゆ味の漬けもある。
これが売り切れている時は定置網丼(税別1580円)。バリエーション豊かな日替わりの魚が丼の上にあでやかにちりばめられ、出汁は、年季の入った小さいヤカンで火に掛かって出て来る。刺し身でいいところまで味わったら、そこからは熱い出汁を掛けて茶漬けにする。この薄い味噌味の出汁がまたうまい。
ってなことをダラッと書いて来たのだが、そろそろ本文に入らないと文字数が足りなくなる。与太代わりの食い物の話からつながるにしては、今回のテーマは結構重たい。例のガソリン車禁止の話だ。徐々に切り替えて行く、なんて芸当はできないので、もうここからガラッと変えてしまおう。
ガソリン車廃止? 火のないところに大炎上
さて、読者の皆様も年末のニュースを駆け巡ったガソリンエンジン搭載車(煩瑣なので以下ガソリン車)廃止論はあちこちでご覧になったと思うのだが、驚くべきことに、これは「火の無いところに立った煙」であった。そもそも首相も閣僚も、公式発言としては、“ガソリン車禁止”なんて一言も言っていない。
菅義偉総理は「2050年にカーボンニュートラルを実現します。環境技術で日本を経済成長させます」と言っただけ。小泉進次郎環境相は「カーボンプライシング(炭素税などの罰金的政策)を進めます。やり方はこれから考えます」と言っただけ。
要するに「ガソリン車禁止」などと言う具体的な話は、1ワードもでていない。というよりむしろ「具体案は全部これから考える」という発言からは、「ガソリン車禁止なんてまだ考えるタイミングではない」ことがうかがわれる。
そして1月18日、菅義偉総理は施政方針演説で「2035年までに、新車販売で電動車100%を実現いたします」と宣言した。が、これも具体策は一切語られず、環境政策の中に一行ぽんと投げ込んできた形だ。
はぁ? じゃああれは何だったんだ!?
2020年12月10日、経済産業省は、自動車メーカー役員や有識者を招いた検討会を開催した。煙の元をたどって行くと、この検討会の直後に大手マスコミが一斉に報じた「30年代半ばにガソリン車新車販売禁止で調整中」というニュースだった。
これが細かい所を見て行くと相当に不自然で、辻つまが合わないだけでなく、背景に筋書きを書いた人がいるのではないかと思えてくる。そもそも自動車メーカーの役員が呼ばれているということは、検討会のステージとしてはヒアリングの段階だと考えるのが自然だ。もしこれが経産省として話を煮詰め、結論を出すタイミングであれば、直接利害関係者である自動車メーカーの役員を同席させるはずがない。
つまり、常識的に考えて、この検討会は技術的な可能性についての聞き取りが目的であったはず。筆者はそこに同席していたわけではないので、中身については知る由もないが、グローバルな規制のトレンドを知っていれば大筋の見当は付く。
後半で詳細に説明するけれど、自動車メーカーがCAFE(企業平均燃費規制)の30年目標値をクリアするためには、少なくとも純粋なガソリン車、つまりモーターと電池を積んでいないクルマは限りなく減らす必要がある。消去法で残るのは、ハイブリッド(HV、マイルドHVとストロングHVがある)、プラグインハイブリッド(PHV)、燃料電池車(FCV)、電気自動車(EV)だ。
ハイブリッド(HV、HEVも同義):厳密には、エンジンとモーターを両方搭載したクルマの総称。ただし、多くの場合、ストロングハイブリッドのことを表している。バッテリーへの充電はエンジンで発電して行う。
ストロングHV:モーターだけでも走行可能なハイブリッド(EVモード搭載)。おおむね40万円程度のコスト増で、走行中のCO2排出量を30~40%程度削減できる。代表例:トヨタ・プリウス
マイルドHV:エンジンとモーターを搭載しているが、モーターだけでの走行はできない(EVモード非搭載)。おおむね5万円程度のコストで、走行中のCO2排出量を3~10%程度削減できる。代表例:スズキ・ワゴンR
プラグインHV(PHV、PHEVも同義):外部の電源などからバッテリーへの充電が可能なHV。欧州のZEV(ゼロエミッションビークル規制)に相当する中国のNEV(ニューエネルギービークル規制)などの規制区分でPHVと言う場合は、「EVモードで60km以上」などの、エンジンを使わずに走行可能な距離の規定が付く場合がある。おおむね100万円程度のコスト増で、EVモードの航続距離内で使っている限りはCO2排出量を100%削減。代表例:トヨタRAV4 PHV
燃料電池車(FCV):燃料(現実的には水素一択)を空気中の酸素と化合させることで発電(=燃料電池)し、モーターで走行する。走行中のCO2排出量は0、トヨタの主張によれば、化合の際に取り入れる空気は排気時にはより清浄化されるという。ただしかなり高価で普及に難あり。代表例:トヨタMIRAI
電気自動車(EV):エンジン、発電機関、燃料を搭載せず、外部電源から走行用バッテリーに充電しモーターで走行する。走行中のCO2排出量は0、価格的にはまだ高価で、普及にはより一層の技術革新が必要(あるいは性能や航続距離を抑えて用途限定で安価にするか)。代表例:テスラ各車
電動車:以上の全てを含めた概念。EVだけではないことに注意。
なので検討会の流れとして、「30年代の中盤以降は、動力用にモーター(と、何らかの電池)を搭載していない、純ガソリン車は極めて少数になる」という話になったのだと思う。CO2排出量を規制するEUのCAFE規制と、それを参考に作られた日米中などの平均燃費規制はすでにルール化されているものなので、順守するしかないし、しかるべき手順を追って規定が作られているので、自動車メーカー各社もそれぞれに対応のためのルートマップはできている。
これは推測ではあるが、もっとも当たり前の、論理的に極めて順当な話だ。すでに発動中の欧州のCAFE規制などに適合しようとすれば、自然に純ガソリンエンジン車はほぼ無くなる。もちろん日本もそうなるだろう。
ただし、この報道の後、2020年12月17日に自動車工業会の豊田章男会長(トヨタ社長)が厳しい表情で会見を開き「電動車イコールEVではない」と訴えた、あの会見の全部を聞いた上で察するに、この検討会の段階では少なくとも「ガソリン車禁止」というような提案さえ、規制を前提にした俎上には載ってはいなかったのではないか。
という状況にも関わらず、経産省はこの検討会の内容をウソにならない範囲で、誘導的にリークした。つまり検討会で「現状から考えて、純粋なガソリン車は30年には造れなくなるんだろうねぇ」という程度に交わされた話を、「ガソリン車禁止の方向で調整中」という形で大手メディアに流した。そう筆者は睨んでいる。
そもそも「内燃機関」と言わずに、「ガソリンエンジン」に限定しているのは、ディーゼルには公害のリスクはあるものの、CO2削減効果もあるので外したのだろう。言う側は結構言葉を選びつつ、聞き手側の誤解を期待した言い方になっている。少なくとも経産省が、検討会の内容が正しく伝えられるように腐心した気配はなく、むしろ炎上を狙って誤報へと誘導したように思われる。
各メディアの報道を見ると、伝え方はそれぞれ異なる。
経産省の釣りにまんまと引っかかって「ガソリンエンジンが付いたものは全部禁止」と読める伝え方のものと、「純ガソリンエンジン車は禁止(HVは残る)」と、もう少し状況を理解している媒体とに分かれた。
正しい予備知識を持っていれば、取材時に確認すべきポイントはたくさんある。少なくとも「マイルドHVとストロングHVがどうなるのか」は、絶対確認すべきだろう。しかしながら結局は経産省の作戦勝ちで、大勢として世の議論はいつの間にか「EV(電動車ではない)一本化をやるかやらないか」という話になってしまった。電動化がEVかどうか以前に、もっと原点を見れば、規制の話そのものに実態がない。
つまり経産省の意図的なリークと、メディアの不勉強が合わせ技となって、実態のないところにあれだけの議論を巻き起こしたのである。
CAFE規制をEVだけで達成できるのか?
さて、筆者は反EV論者、内燃機関愛好家というレッテルを貼られることが多いのだが、あちこちで明言しているとおり「クルマはいずれほとんどEVにならざるを得ない」と考えている。
そして「そのタイミングは技術動向次第であって、今はまだ分からない(先進国では色々うまくいって2040年代くらいに半分程度じゃないかと読んではいる)」とも。少なくとも2030年ではないだろうし、無理をしてそうすべきではないと思う。
そう考えている理由をファクトベースで述べよう。
経産省のリークで話題となった「30年代半ば」が何を意味するかと言えば、気候温暖化問題について世界のルールの大原則である「パリ協定」の、中間目標である30年の各国努力目標達成後の時期、多少の遅刻組も含めて(こういうことは遅れが付きもの)、CAFE規制の30年規制値を各社がクリアしたであろうタイミングだ。
EVがこの重要な規制の達成にどれくらい貢献できるのか、特に時間軸で見て行った場合により早くCO2を削減するためにどうすべきかが問われる。ひとまずは足元の普及率の確認がスタートラインになるだろう。
最初にCAFE規制について簡単に説明をしよう。
CAFE規制というのは、例えば規制エリア内(CAFEの場合はEU)でのトヨタならトヨタの1km走行辺りの総CO2排出量を販売台数で割った数値を規制するものだ。ということは、1車種だけ燃費が良くてもダメで、メーカーの平均を下げなくてはならない。
平均値での勝負となれば常識的な戦術は決まってくる。例えばクラスの平均点を引き上げようとすれば、優等生グループに頑張ってもらうのはもちろんだが、劣等生をなんとか平均点に近づけたい。それができないと、優等生が稼いだ点が劣等生の穴埋めに消化されてしまい、なかなか平均点が上がらない。
年度目標規制値によって達成すべき平均点をあらかじめ定められた場面で、どうやってクリアしていくかを考えるに当たっては、その年度の規制値、例えば20年なら95gだが、これより成績の良い優等生なクルマをたくさん売って平均排出量を引き下げ、CO2排出量が95gを超える劣等生なクルマの販売を減らす、ということで初めて達成できる。
何が言いたいかお分かりだろうか。そう、クルマ単体のCO2排出量だけを考えてもダメで、販売台数に依存するのだ。だからCO2抑制効果が高く、かつ、コストの低い(=低価格の量販車に使える)技術が求められている。いくらゼロエミッションでも、高くて多くのユーザーが買えない技術では平均が下げられない。クラスで1人だけ100点、他の生徒は変わらずだったら、平均はほとんど動かない。
さてそう考えていくと「全部EV化」とは「100点を取れない子は退学させてしまえ」という過激な意見で、それこそがガソリン車廃止論の正体である。つまりは「高価なEVが買えないヤツはクルマに乗るな」という話だ。クルマ趣味の領域で考えるならそれも検討できるかもしれないが、経済の根幹をなす物流やビジネスユースも止まってしまう。非現実的な話過ぎて、現時点では「そうですね、みんなが100点取れたらいいですね」と聞き流すしかない。
この欧州のCAFE規制の他に、北米には、全生産台数の内、指定の比率でゼロエミッションビークルを造らなければならないという別のルールも存在し、こちらはZEV(Zero Emission Vehicle )規制という。中国では2つの規制が並列存在していて、CAFEに相当するCAFC(Corporate Average Fuel Consumption)規制、ZEVに相当するNEV(New Energy Vehicle)規制が敷かれている。
現状で「スープラ」「GRヤリス」を出せるということは
実際、EVを主力に立てる戦略を採ったフォルクスワーゲングループは、EVの販売台数が伸びないため、平均値は惨たんたる結果に終わり、1000億円規模の罰金が待ち受けている。これに対して、買いやすい価格帯のHVを販売台数の4割以上も売ることに成功したトヨタは規制値を楽勝でクリア。少量生産のクルマは平均への影響が少ないので、このご時世にハイパフォーマンスカーを涼しい顔でリリースする余裕ぶりである。
そう、スープラやGRヤリスなどをトヨタが販売できるのは大量に売ったHVの恩恵なのだ。
なので、そういうスポーツモデルのユーザーは「燃費で日和ってHVなんて乗ってんじゃねーよ」とかHVユーザーに悪態をついている場合じゃない。燃費の良いHVを割高なお金を出して買ってくれて、引いてはスポーツモデルの存在枠をひねり出してくれている方々に深く感謝の念を抱くべきである。トヨタだけじゃない。特にスバルWRXのハイパワーモデル発売を首を長くして待っている方々は、まず率先してスバルのマイルドHVや、これから出て来るHVモデルを買って支持し、それをもってWRXの高性能モデルが出せる環境を作り出すべきである。
さて、話を元に戻して、冷静に考えれば20年の新車販売におけるEVの比率はグローバルでせいぜい2%であり、全体の2%がゼロエミッションになったところで、CO2削減効果は2%しかない。1km走行あたり130gから95gへと引き下げられた2020年規制の削減ノルマは27%であり、目標値と現実を比べるとまさに焼け石に水だ。
で、20年はそういう結果だったとして、来るべき25年と30年の規制値は具体的に何グラムかと言えば、20年規制の翌年、21年の各社の実績を基点に25年は15%、30年は37.5%削減となる見込みだ。実績ベースで削減、となると「なんだよ成績が悪いヤツの方が有利じゃないかよ」と思うだろうが、そこはそれ国際政治の黒い側面である。
もし、基点を20年規制ぴったりの95gに置けば、25年の計算上の規制値は80.75g、30年のそれは59.38gということになる。ただし30年規制値はかなりもめた末の結論で、欧州委員会と欧州議会、環境相理事会、閣僚理事会がそれぞれ違う数字を持ち出して侃々諤々の対決が起きた末の、暫定の落としどころ。まだ火種が燻っているので、本当に確定かどうかは疑わしい。
なぜかと言えば、欧州経済をけん引する自動車メーカー各社がそもそもこんな値をクリアできるとは、筆者には思えないのである。経済を考慮しなければいけない自動車会社と、環境政策で人気取りをしたい政治家がそれぞれの都合を振り回しているのだ。
ミラ イースの反論
図を見てもらえば明らかなように、技術のロードマップとしてみたとき、すでに20年規制の95gは、一般論として純ガソリンエンジンが主力ではクリアできない。
ただし、ややこしいが実は例外もある。例えばダイハツのミラ イース。純ガソリンエンジンの軽自動車だが、JC08でのCO2排出量が計算上65.9gとなり、すでに25年規制を余裕でクリアしていることになる。軽くて小さいボディと高効率ガソリンエンジンの組み合わせならば、必ずしも不可能ではない。
そしてここが重要なのだが、そんな環境最先端の成績をたたき出すクルマが、コンベンショナルな技術だけで成立しているがゆえに、たった87万円で販売できているのだ。普及の可能性を考えると非常に有用なクルマだと言えるだろう。純ガソリン車だからと言って否定されるいわれはないと思う。
とは言え、プリウスが属するCセグメント辺りになると、ミラ イースほど軽くはできない。その重量だと、25年規制はHVでようやくクリアできる、というのが現時点での見立てである。30年規制の時代になれば、「HVは劣等生グループの中ではまあまあ」というところまで相対的評価が落ちる。
PHV規定の「プリウス外し」
そこをクリアしていくには何が必要かというと、PHVである。家庭用電源から充電し、電池切れが起こりそうな場合は搭載しているエンジンで走行または発電する。裏返せば、電池がもつ範囲で走っていれば実質EVである。
ただしここも色々黒い。規制によって差異があるが、たとえば中国のNEVでは、現時点では事前充電によるEV走行距離で60kmを超えるものをPHVと認める規定になっている。
この基準はどう見るべきか。世界各国での平均は分からないが、日本の自動車の1日あたり平均走行距離は15kmそこそこであり、20km走ればユーザーの8割をカバーできる。つまり、毎日充電して乗れば実質的にはEVであり、8割のユーザーはガソリンを一滴も燃やさない。
そういう意味では環境にとって素晴らしいことなのだが、裏返して見れば20kmで十分であり、EV走行距離60kmを義務づけたバッテリーの搭載量はオーバースペックである。
バッテリーの過剰搭載は高価格につながり、高い値段は普及を邪魔し、結局環境改善を遅らせる。もっと言えば、バッテリーは重たいので車重増加を招いてエネルギー効率も落ちるし、生産には希少原料を大量に使うので、需給を逼迫させる原因にもなる。
PHVをスマホに例えるならば、電欠後のエンジンはモバイルバッテリーのようなものだ。モバイルバッテリーを使うことを避けたいばかりに、大容量バッテリーをスマホに仕込んで大きく重くなっては意味がないように、PHVのバッテリー容量は地域の利用統計を睨みながら適正化すべきであり、多ければ良いというものではない。
では現状、なぜ60kmになっているかと言えば、背景にあるのはプリウスPHVである。現行プリウスPHVの「充電電力使用時走行距離」のカタログスペックは60km(タイヤの選択によっては50km)なのだ。
前述の通りこの規定は中国のNEV規制のものだが、どうやら先行するプリウスPHVを対象から外すために設定されている。
初代モデルのEV走行距離26.4kmを優遇枠から外すことを狙ってまず距離規制が設けられ、二代目プリウスPHVが規定に合わせて距離を伸ばすと、それを上回るところに規制値のゴールポストを動かした。先行していたプリウスPHVは、普通ならデファクトスタンダードになってもおかしくないはずなのだが、むしろ、プリウスPHVのスペックを僅かに上回る所に、度々規制値が置かれる。しかも中国だけではない。EU全体ではなく、ドイツ単独の規制で見れば、これまた2世代に渡るプリウスPHVのEV走行距離に連動するかのごとく、ゴールが動いているように見える。
NEVの規定では「EV走行距離80kmオーバー」というクラスも設けられてはいるが、今後デビューしてくるクルマがこれ以上EV走行距離を伸ばすためにバッテリーを大きくすると、「高いバッテリーを減らしてエンジンを積んでいる」意味がなくなってしまう。現状のEV走行距離60kmをどんどん増やして行くトレンドになることはないだろう。
中国やドイツがプリウスPHV外しにやっきになっている間に、規制クリアのためのバッテリー必要量が増えすぎて、PHVは普及価格に抑えることが難しくなっている。これ以上EV走行距離を延長するなら、もうエンジンは要らない。それはもうバッテリー搭載量少なめのEVだからだ。
「今、ここにある」環境対策としてのHV
まとめてみる。
今大事なのは、様々なリソースをうまく組み合わせて、CO2の削減率を最大化することである。どのシステムが最強かを決めるイベント、ではない。どんなに優れた製品でもそれひとつで市場を占拠することなどできない。だから「EVとHV、どちらが優れているか」を決めることは全く無価値だ。エースピッチャーと4番バッターのどっちが要らないかを決める様な馬鹿げた話だからだ。
もっと言えば4番じゃなくても、1番も2番も大事なのだ。平均を大きく引き上げる技術も大事だが、普及価格帯における、CO2排出平均のアシを引っ張らない技術もまた大事だ。ホームランバッターの前に、塁に出る1番、送りバントする2番があってこそ得点が増やせる。そこにエースが投げて試合をものにできる。
もちろん、より排出量の少ない技術が価格的にこなれてくれば、コストパフォーマンス的に陳腐化した技術は廃れていくだろう。そういうものはマーケットの選択に任せるべきであって、ルールで無理やりやるべきことではない。
少なくとも今のマーケットにとっては内燃機関もHVも大事な技術である。
「中途半端なHVがあるからEVが普及しない」という考え方は間違いだ。
EVが普通の商品として成熟するまでの間は、高熱効率内燃機関やHVの技術進歩と量販こそが、CO2を削減する主要手段となる。というか、それしかないのである。
「新しい橋ができないのは古い橋があるからだ」という意味不明の精神論は要らない。古い橋を壊すのは新しい橋ができてからでいい。古い橋のせいにしないで、とっとと新しい橋を作ることに専念すべきだろう。
少なくとも200万円で普通に使えるEVが出て来るまでは、内燃機関は必要だし、それがいついつできるから、という空手形は聞き飽きた(これは「いやいや、中国では激安でちゃんとしたEVが最近発売されてだね……」という話も含めて、だ。理由を説明するならたっぷり文字数を使ってやりたいので、「中国製EV」については宿題にさせていただこう)。
ちゃんと「低廉な価格で、メーカーも収益が上げられ、国庫も傷まずに、普段使いできる」EVが出て来れば、価値を失った商品は自然に淘汰される。それだけのことだと思う。それが出てくるまでは古い橋は必須だし、重要だ。
クルマだけ、あるいは経済だけを見ていると、こういう普通のことが見過ごされるならば「自動車経済評論家」で食っていく道はあるのかもしれない。あ、希望が見えてきたぞ。
この記事はシリーズ「池田直渡の ファクト・シンク・ホープ」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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