電力市場の価格高騰要因を公開データから読み解く
京都大学・安田陽特任教授による電力危機分析(前編)
安田 陽=京都大学大学院経済学研究科 再生可能エネルギー経済学講座 特任教授
電力市場の異常な高騰が続いています。この高騰は世界の電力市場で起きているものとは違います。海外では短時間、長くても数時間程度であるのに対して、日本の今回の高騰は2020年末から既に3週間以上続いているのです。
異常な高騰を続ける日本卸電力取引所(JEPX)スポット市場で何が起きているのでしょうか。1月15日からSNSに公開情報に基づくデータ分析を投稿している安田陽・京都大学特任教授による緊急寄稿です。
昨年末から数週間、JEPXスポット市場価格が高騰しています。また、電力ひっ迫の懸念も専門誌だけでなく新聞やテレビなどの大手メディアでも取り上げられるようになりました。しかし、今回の電力市場高騰に関する議論の多くが、電力ひっ迫の懸念も含めて、データに基づいた定量的で冷静な議論とは言えないように思えます。
定量的なデータ分析を伴わない印象論的推論(いわゆる連想ゲーム)は、問題の本質から目をそらし、原因究明やリスク低減からむしろ遠ざかる可能性があります。昨今の新型コロナウイルスの問題も同様です。
特段の秘匿情報の暴露や伝聞・臆測情報に依存せずとも、公開データから得られる情報だけでも、数字を分析することによって洗い出されるファクトは少なくありません(もちろん公開データだけでは調査の限界もあります)。そこで本稿では、昨今の電力市場価格高騰がなぜ発生したのか、先入観や臆測を排し、公開データから得られる客観情報を基にエビデンスベースで要因を分析していきます。
世界中の電力市場の歴史上、ほぼ初めてのこと
まず、スライド1で市場の状況を見てみましょう。(なお、本記事で提示するスライドは、全て著者がTwitterおよびFacebookにて1月15日〜17日に速報的にデータ分析結果を投稿したものと同一です。その他、一部他の文献からの図も引用します)。
Fig.1-1は、昨年12月からのJEPXスポット市場の売り入札量、買い入札量、約定総量およびシステムプライス(スポット価格の日平均)の推移を示したものです。スポット価格の2019年平均値は7円/kWh台で、ごくまれに短時間だけ数十円に上昇(いわゆるスパイク)することがあります。ところが1月5日は日平均で50円/kWh、1月12日は同150円とほぼ1日中価格が高騰し、それが現在まで続いています。
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スライド1●JEPXスポット市場動向 その1
(出所:各種資料を基に著者作成)
電力市場は1990年代から世界各地に設立され、既に30年の歴史があります。価格高騰(スパイク)は多くの国やエリアの電力市場で散発的に発生しています。価格が高騰すること自体は、むしろ市場が正常に機能していることを意味します。
しかし、今回の日本の状況は、世界で起きているスパイクとは異なります。今回の価格高騰の問題は、数時間や数日といった短期の現象ではなく、既に2週間以上にわたって長期に高騰が続いているという点です。世界中の電力市場の歴史上、ほぼ初めてのことです。
今回のスポット価格の長期高騰の直接的な原因は、Fig.1-1が示しているように、売り入札量と約定数量が12月下旬頃からほぼ一致している、すなわち売り札が売り切れ状態になっているためだと推測されます。
Fig.1-2は、売り入札量と約定総量の差(引き算)をグラフ化したものです。12月28日には差がゼロになり、1日を通じてほぼ完全に売り切れ状態である(そしてそれがその後も数日ずっと続く)ことを示しています。
Fig.1-3は売り入札と約定総量の差に対して、日平均スポット価格の相関を取ったものです。売り入札と約定総量の差がゼロになった12月28日以降に、急激かつ異常な価格上昇が始まっていることが分かります。
これは、売り札が売り切れると小売事業者(大手電力の小売部門や新電力)による買い入札の額でシステムプライスが決定するからだと理解できます。この「売り札が売り切れると小売り側の買い入札の額でシステムプライスが決定する」というメカニズムは、電力・ガス取引監視等委員会が1月15日に公表した資料「スポット市場価格の動向について」のイメージ図が直感的にわかりやすいでしょう。
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図1●売り札が売り切れた時の市場価格決定のイメージ
青線:買い入札、赤線:売り入札(出所:電力・ガス取引監視等委員会「スポット市場価格の動向について」 2021年1月15日を簡略化)
市場が正常なときは、需給曲線の交点(約定価格)となる限界プラントの限界費用はせいぜい数円/kWh(高くても十数円)ですので、小売事業者がよく考えずに買い札を入れたとしても、特段の問題はありません。それこそ、JEPXのシステムに入力できる最高値である999円/kWhで買い札を入れたとしてもです。
しかし、売り札が全て売り切れている状況では、図1のように需給曲線の交点が小売り側の買い入札額に強く依存するようになります。また、売り札が売り切れるという状況では、多くの小売事業者が買い漏らしのないように買い争いをするため、スライド1のFig.1-3のように、連日の高値更新に容易に発展してしまう構造なのです。さながら「囚人のジレンマ」によるチキンレースの様相です。
小売電気事業者は供給確保義務を負っており、同時同量を果たす責務があります。このため、電力市場は他の市場とは異なり、市場価格が高騰したとしても「必ず買わなければならない」という特徴があります。
もちろんここで、小売事業者が顧客(電力の消費者、需要家)に対して、デマンドレスポンス(DR)や報酬付きの電力消費抑制行動を促せばよかったとか、現状のインバランス料金の精算制度に問題があり制度設計の見直しが必要だという点を指摘することは可能です。
これらは「今後の課題」として、今回の事件を機に国民全体で議論を喚起しなければならないことでしょう。しかし、これらの議論は「万一の場合」のセーフティーネット確保として重要なものの、なぜ「万一の場合」、すなわち価格スパイク、さらには世界中の電力市場で今までほとんどありえなかった長期高騰が発生したのかという原因究明こそ、優先度高く議論しなければなりません。
電力市場で玉切れ状態が続く理由を探る
さて、JEPXスポット価格市場が高騰を始めた前後の2020年12月からこの1月にかけて、何があったのかを検証してみましょう。
この市場高騰の原因の1つとして、寒波との関連がメディアやSNSでささやかれています。スライド2のFig.2-1は、JEPXスポット価格や日本全体の総需要(電力需要の実績)、日平均気温(代表地点として東京)を比較したグラフであり、Fig.2-2はそれらの相関を取ったものです。
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スライド2●JEPXスポット市場動向 その2
(出所:各種資料を基に著者作成)
これらの図を見ると、JEPX買い入札量(小売り側)はほぼ一定。気温との相関係数が0.17であり、ほとんど相関が見られません。確かに、日本全体の総需要は気温と負の弱い相関があり、気温が下がるにつれて総需要が上昇するという傾向を見せるものの、買い入札量も総需要と同じように上昇するというわけではない。むしろ総需要ほど気温に対して相関が見られないということは、寒波と市場価格高騰はあまり関連性がないと言えるでしょう。
なお、Fig.2-1およびFig.2-2は、日平均気温を得るための代表的な地点として東京を選んでいますが、他の都市でもこの相関はほぼ同様です。
LNG供給が原因かどうか検証してみる
次に予想される原因として、LNG(液化天然ガス)の供給が滞っているためという仮説も取り沙汰されています。そこで、一般に入手可能なLNGの日本・韓国ガス指標「JKM(Japan Korea Marker)」の先物取引市場価格とJEPX売り入札量(発電側)の相関を取って観察してみることとします。
スライド3のFig.3-1および3-2が示す通り、JKM先物価格とJEPX売り入札量は相関係数0.78と強い相関があります。LNG価格が上昇するにつれて、売り入札量が減少している傾向が見てとれます(ただし、これはあくまで相関関係であり、因果関係を立証するものではありません)。
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スライド3●JEPXスポット市場動向 その3
(出所:各種資料を基に著者作成)
一方、JKM価格と日本全体の電力需要は弱い相関ながらも正の相関を示しています。LNG価格が上昇しているにもかかわらず、需要が増えていく傾向も見られます(これはスライド2で議論した通り、気温の低下のためと推測されます)。
なお、一般論として、先物価格が上昇するということは、その商品が手に入りにくくなるという市場シグナルだと理解できます。ですが、実際に価格上昇以外に、物理的な供給支障や供給途絶が発生するリスクがあるかどうかまでは、一般的に入手可能な公開情報だけでは分かりません。
天然ガスの備蓄・在庫情報は、北米であれば米国エネルギー情報局(EIA)のWebサイト、欧州では欧州ガス輸送事業者の連盟であるGIEのWebサイトで情報公開されています。ですが、日本では未整備のようで、多くの市場プレーヤーがLNGの在庫情報にアクセスできず、疑心暗鬼や印象不安の市場心理が生まれやすい環境になっています。
12月26日を境に市場行動が変わった
スポット市場の分析の最後に、日本全体の総需要とJEPX市場動向との関係を見ていきます。
まず、JEPXの市場シェア(需要実績に対するJEPX約定総量の比)の推移を示すFig.4-2を見ると、12月29日までは若干の変動があるものの35%前後を維持していた市場シェアが、12月29日以降、断続的に低下していることがわかります。
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スライド4●JEPXスポット市場動向 その4
(出所:各種資料を基に著者作成)
約定総量が急激に低下したのはスライド1のFig.1-1で見た通り、売り入札量が急激に低下したのに引きずられて(ほぼ同一の曲線となって)下げ止まったためです。
JEPXの市場シェアは電力・ガス取引監視等委員会の資料によると、グロスビディング(発電部門と小売部門の双方を所有する会社の社内取引の一部を市場を経由して売買すること)の実施などが奏功し、ここ数年は上昇傾向にあり、直近は40%の水準に到達していました。それがここに来ての突然の急落となったのです。
一方、総需要に対するJEPXの売り・買い入札量との相関を見ていくと、売り入札量は相関係数0.08とほぼ完全に無相関であるだけでなく、12月26日を境に、プロットが見事に2グループに分離される様相すら見せています。12月26日以降は、それ以前とは明らかに異なる市場行動が観測されています(そしてその結果、市場玉切れ状態となり、価格高騰が段階的に発生…というスライド1で分析したメカニズムに結びつきます)。
ページの都合で今回の分析はここまでとします。後編は需給ひっ迫と市場価格高騰の関係(正しくは無関係性)について、公開データの分析に基づいて考察します。
安田 陽(やすだ・よう)
京都大学大学院経済学研究科 再生可能エネルギー経済学講座 特任教授
1989年3月、横浜国立大学工学部卒業。1994年3月、同大学大学院博士課程後期課程修了、博士(工学)。同年4月、関西大学工学部(現システム理工学部)助手。専任講師、助教授、准教授を経て2016年9月より京都大学大学院 経済学研究科 再生可能エネルギー経済学講座 特任教授。現在の専門分野は風力発電の耐雷設計および系統連系問題。技術的問題だけでなく経済や政策を含めた学際的なアプローチによる問題解決を目指している。近著に
『世界の再生可能エネルギーと電力システム:風力発電編』がある。
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