12月8日、新しい経済対策が決定された。34兆円の需給ギャップが存在する中で、財政でその半分以上を埋める必要があると感じていたが、結果は約20兆円の真水の政策が決定されたことになる。規模に関しては、政治のリーダーシップが発揮されたと言える。これに対しメディアは、「追加経済対策 財政規律を壊すのか」(朝日新聞)、「いたずらに規模を押し上げ 将来へのつけ回しが増える」(毎日新聞)などと批判した。
竹中平蔵(たけなか・へいぞう)氏
東洋大学国際学部教授/慶應義塾大学名誉教授。1951年 和歌山県生まれ。73年 一橋大学経済学部卒業、日本開発銀行入行。96年、慶應義塾大学総合政策学部教授。経済財政政策担当大臣や金融担当大臣、総務大臣などを歴任。16年から現職。現在は菅義偉内閣の成長戦略会議メンバーを務める。(写真:竹井俊晴、以下同)
しかしこれは、マクロ経済運営の基本を無視した誤った批判だ。財務省などの抵抗を排しこうした財政政策をまとめた菅義偉首相の政治的手腕は、むしろ積極的に評価されるべきだ。
その中でとりわけ注目されるのが、約2兆円の“グリーン基金”が設けられたことだ。先の所信表明演説で「2050年脱炭素」が宣言されたが、これは歴史的な政策転換と言ってよい。それを実現するための第一歩が示されたことになり、期待は大きい。しかし、その背後にはいまだ大きな課題がある。いくつかの課題を指摘したい。
脱炭素は、まだほんの入り口
第一は、脱炭素を目指すための資金が、まだまだ不足していることだ。日本の予算の常識からすると2兆円というのは大きな金額に映るだろう。しかし米国のバイデン次期政権は、4年間で200兆円を超える計画を明らかにしている。EUも数十兆円規模の予算を検討している。今後2050年に向けて、官民あわせて相当大規模な資金を準備する必要がある。脱炭素は、ようやくその入り口に立った段階と認識すべきだ。
第二の課題、そして最大の課題は、このままでは脱炭素という重要な政策課題が省庁の縦割り行政に陥る危険があることだ。周知のように、菅首相は省庁の縦割り打破を政権の中核政策として掲げている。グリーンと並んでデジタルに目を向けているのも、デジタル化という「横串」を通すことで省庁の縦割りを打破するという狙いがあるからだ。だからこそ肝心のグリーン基金が、縦割り行政の手段になってはならない。
予算の単年度主義という制約があるため、基金を積むにあたっては特殊法人にこれを設けなければならないというルールがある。結果的に今回のグリーン基金は、経済産業省が所管するNEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)に設置された。このこと自体、大変興味深いことだ。一般に伝えられたところでは、これまで経済産業省と経済界は、脱炭素を「コスト増」と捉え決して積極的ではなかった。しかし今回の首相発言をきっかけに、脱炭素の主役に躍り出た格好になっている。経済産業官僚たちのこうした変わり身の早さは、なかなかのものである。ただいずれにしても、経済産業省とそれと関係の深い一部企業のみが、この基金の恩恵にあずかるようなことになってはならない。
「ロードマップ」を統合せよ!
脱炭素を実現する道は、相当に険しい。現状の議論は主として、目下どのような興味深い脱炭素の試みが行われているか、に集中している。これはこれで重要な議論ではあるが、その延長に果たして2050年脱炭素が可能になるのか、全く明らかではない。要するに、現状の様々な試みをどのように発展させ、またイノベーションへの期待も織り込んで2050年の脱炭素を実現するのかという具体的なプロセス、すなわち「2050年に向けたロードマップ」が描かれねばならない。筆者自身もこうした議論を提起した結果、経済産業省は12月21日の閣議でロードマップを公表した。
しかし興味深いことに、その4日後には国・地方の脱炭素について環境省がロードマップを議論している。要するに、重要な2050年脱炭素を実現するためのロードマップが、省庁の縦割りになっているのだ。先に紹介したNEDOに積まれた基金は、主として水素エネルギーや蓄電池技術など、エネルギーに関するイノベーションのために使われることになる。しかし、例えば住宅のエネルギー効率を高めるための(断熱化のための)施策、船舶の脱炭素のための施策、農業の脱炭素化の施策(農家は多くの軽自動車を有している)などにも、多くの労力が割かれるべきだ。明らかに前二者は環境省や国土交通省が所管し、後者は農林水産省が所管する。経済産業省のロードマップにもこうした記述はあるが、まだまだ手薄な印象は拭えない。内閣全体として、より統合された脱炭素ロードマップが必要だ。
このように見てくると、議論は目下進行しているデジタル庁の議論と酷似していることが分かる。デジタル庁は、各省庁がデジタル化を進めるという「横串」を実現するために、デジタル関連の予算と権限を集中することを目指したものだ。そうであるなら、脱炭素という大目標を実現するためには、環境省にこの関連の予算と権限を集約させるという発想が必要なのではないか。もしくは、「環境エネルギー省」のような新たな組織に組み替えることも、一考に値する。これは、省庁設置法の大幅な見直しになる。2050年の脱炭素というのはそれほど大きな政策転換であり、歴史的な政策課題なのである。
イノベーションに逃げ込むな!
脱炭素という方向性には、誰もが賛成するだろう。地球環境が汚されたままでいい、とは誰も思わないはずだ。政治も財界もジャーナリズムも、「環境問題はコストではなく成長機会」と声を合わせて叫んでいる。
確かに、当面脱炭素のための研究開発などに多額の金額を投入すれば、短期の需要喚起になる。また、一部の環境関連企業が好業績を上げつつあるという事実も存在する。しかし、それが全体としての経済成長率をどのようにして高めていけるのか、この点の説明はなかなか難しい。経済学的に言えば、いわゆる内生的経済成長のモデルがどれほど当てはまるか、という問いかけでもある。
新型コロナ問題に揺れる中、脱炭素といった問題への一般的な関心は決して高くない。しかしパンデミック問題は、歴史の経験から見る限り、恐らく数年単位で見れば何らかの進展が期待できる分野だ。これに対し脱炭素問題は、100年単位で人類が向き合わねばならない深刻な課題だ。ある専門家は、日本の議論の傾向として、画期的な技術進歩への期待があまりに大きく、より地道な議論が軽視されている、と述べている。そして、「イノベーションに逃げ込んではいけない」、と指摘する。
現実に今後、カーボン・プライシングの話は、避けて通れない重要な課題になろう。この問題に対する姿勢は、恐らく経済界をバックにする経済産業省と環境省では大きく異なるだろう。その意味でも、脱炭素に向けた本格的な国家戦略をつくる必要がある。
そのための第一歩は、脱炭素の行政に見られる省庁縦割りを、徹底して排することである。
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