市場規模が1000億円を超えたころ、大手企業が雪崩を打つようにふるさと納税のマーケットに参入してきた。そして、寄付金が大幅に増えると見た一部の自治体が本来の意味を忘れて暴走し始めた。信じて走ってきたはずのふるさと納税が徐々におかしなことになっていく。会社の規模も大きくなり、社会に与える影響も大きくなってきたころ、トラストバンク(東京・目黒)創業者の須永珠代氏は一つの決断を下す。

(写真:的野 弘路)

 もともと、会社の規模は10人前後で、仕組みで稼げる会社にしたいという思いがありました。就職できないという理由からの消極的な起業動機でしたし、ベンチャーキャピタル(VC)のお金も入れたくなかったし。いろんな人たちから口を出されるよりは、自由にやりたいという気持ちのほうが大きかったんです。

 起業からの2年間は、金銭的にも身体的にもつらかった。自治体と交渉しても、「再来年から本格的にやりましょう」というのが通常なんですね。この2年間を乗り切れば必ず道は開けると思っていましたが、逆に言えばこの2年間をどう乗り越えるかが大変でした。

 そうこうしているうちに、起業時の壁打ち相手をしてくれた(前回の記事)上村龍文さんが入社してくれました。そこで一息つけて、その後は知人のつてで人を採用していきました。ようやく個人事業から家族経営になれたような状況でした。

 でも、バタバタであることには変わりなく、お昼を食べる時間もなければ、郵便物を出す暇もない。そのために人を採用しようかと考えるくらい、日々、走り回っていました。

 起業家の皆さんはミッションやビジョンなどをしっかりと考えている方が多いでしょう? 本来であれば私もそういうところにしっかりと時間を割きたかったし、割くべきだと考えていました。でも、目の前の見積書を出さなくちゃいけないし、プリンターが詰まって印刷がうまくいかないといった小さなトラブルが毎日何かしら起きる。目の前の作業にいっぱいいっぱいで、とてもじゃないですがそんな時間を見つけることができませんでした。

 この状況下で助けられたのはメディアからの取材でした。ふるさと納税はメディアからも徐々に注目されていき、取材依頼も多かったんです。メディアの人たちから「なぜこの事業を始めたのか」「今後どうしていきたいのか」といった質問を何度も受けるたびに、自分の頭が整理されていきました。答えたインタビューが文字になり、言語化されているのを客観的に見て、ミッションやビジョンといった考えの土台ができていきました。

 親には無職のときも言えなかったし、ましてやFXで食いつないでいたときも何をしているか言えずに黙っていました。言ったら親は失神して病院に運ばれていたでしょうね。小さな会社で働いているよとしか言っていませんでしたし、起業のときも言いませんでした。起業して8カ月くらいして、民放のメジャー番組に取材されたことがあって、その放映でバレました。でも、恐らく訳が分からなかったと思います。

続きを読む 2/3 自分が信じて突き進んだ「ふるさと納税」の乱用広がる

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