トラストバンク(東京・目黒)を創業した須永珠代氏。だが、学生時代は「それなりの人生を歩めればいい」と考えていたという。時はバブル経済まっただ中。絵に描いたような学生時代を満喫していた須永氏に待ち構えていたのは、バブル崩壊とともに訪れた不況のあおりだった。都会に憧れて東京に出てきた須永氏は、泣く泣く地元のカーディーラーに就職することになるが、その日々も長くは続かなかった。

(写真:的野 弘路)

 私の学生時代はただ一つ、遊ぶことしか頭にありませんでした。高校生のときは当時ブームだったバンド活動に明け暮れていました。

 時代はバブル経済まっただ中。なんとなくいい会社に入って、それなりの給料をもらえればいいなと漠然と思っていました。容赦なく地方に転勤させられる総合職は絶対に嫌で、できれば一般職で事務職ができればいい。田舎者だったからか、都会に対する憧れは人一倍強かった記憶があります。

 大学で何か勉強したいと思ったこともありませんでした。植物は昔から好きだったので、薬剤師に一時期憧れを持った時期もありましたが、とにかく薬学部はお金がかかるということで諦めました。

 いざ、大学に進んで憧れの東京に出てきて分かったのは地方の人の集まりだということ。少しほっとしました。自分が田舎出身ということに相当なコンプレックスを抱いていたのだと思います。

 サークル活動に精を出し、ボディコンファッションをまとってマハラジャで踊る日々。あの時代を知っている人は分かってもらえると思いますが、これからは明るい未来が待っている、そんな空気が漂っていました。

 就職活動を迎える少し前、むなしくバブル経済が完全に崩壊しました。当時はインターネットでエントリーできる時代ではありません。就職面接を受ける際は企業の説明会をまず受けるという流れでした。分厚い冊子が送られてきて、はがきを書いて応募するわけですが、とにかく片っ端から書いて送るも、どこからも一切連絡がありませんでした。

 一流大学であれば少しは状況が違ったのかもしれません。でも、当時の私は「なんで私たちの世代だけこんな目に遭わなくちゃいけないの?」という、誰にぶつければよいのか分からない恨みしかありませんでした。あと5年早く生まれていたら全然状況が違ったのかもしれない。生涯賃金も生まれた年によって雲泥の差があるんだろう。とにかく運の悪さを嘆く日々でした。

続きを読む 2/4 恥ずかしさと悔しさを感じつつ「都落ち」

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