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世代交代したはずだった

 「構造改革を実行し、より発展するには独断専行が必要になってくる」。05年7月、都内で開いた記者会見で柳井氏はこう語った。傍らには当時の玉塚元一社長。この3年前、40歳だった玉塚氏を社長に据え、世代交代を進めていた。自身は会長に退いていたが、翻意して社長に復帰した。

 玉塚氏が就任時に掲げた3年後に4000億円という目標は05年8月期に3839億円と未達に終わっている。柳井氏は「解任ではない」と強調したが、海外法人トップのポストを用意された玉塚氏はファストリを去っている。

 世代交代に失敗したファストリの経営に暗雲が漂ったが、この前後からフリースの次を担う商品が徐々に花開いている。SPA化の成果で高級素材のカシミヤ製品を03年、4900円からの価格設定で発売。中国・内モンゴル自治区の生産工場と直接契約し、数万円が当たり前と思われていたカシミヤのセーターに価格革命を巻き起こした。

 1998年に柳井氏が東レに直訴して始めた戦略素材の共同開発が次々に結果を出し、「ヒートテック」「エアリズム」などの素材、超軽量の「ウルトラライトダウン」を世に出した。東レとファストリの取引は2020年までの5年間で1兆円を超えたようだ。

 フリースブームが終わった後、2期連続で減収した後は、利益の浮き沈みはありながらも成長軌道を取り戻し、19年8月期まで15期連続で増収を確保している。この間の飛躍の要因はリーマン・ショックと海外事業だ。先行き不安で低価格衣料品への需要が高まり、中国事業も業績を押し上げた。

 少子高齢化で市場が伸びない国内の店舗数は13年8月期末をピークに毎年減り続けている。ユニクロ事業は16年8月期に店舗数で、18年8月期には売上高で海外が国内を抜いた。20年8月期の国内ユニクロ事業の売上高8068億円に対し、中国本土や香港など「グレーター・チャイナ」だけで4559億円に上る。

 だが、海外進出も当初は失敗の連続だった。01年、海外初進出となった英国では3年間で50店舗という目標を掲げたが、「数字が独り歩きし、店を作ることが第一になってしまった」(柳井氏)。21店舗まで増やしたものの、店舗ごとの収支よりも出店に重きを置いたことで不採算店が続出。05年8月期までに一気に16店舗を閉鎖した。

 海外2カ国目となった中国は02年に進出。翌年までに計8店舗を展開したが、当時の中国の消費者の所得を意識するあまり、日本よりも売価を下げ、場合によっては品質を下げる品ぞろえ。価格や店づくりを現地化したことで、競合との同質化競争に陥り、成功とは程遠い状態だった。

 05年に中国事業の責任者となった潘寧氏は、製品や価格だけでなく、店舗の什器(じゅうき)や設計も日本の最新型とそろえることでリブランディングに成功。中国事業を稼ぎ頭に育てた。

 10年前後には、国内では膨大な店舗の作業に人手不足が重なり、店長のサービス残業が常態化した。「ブラック企業」との批判を受け、入社3年以内の離職率は一時50%を超えている。柳井氏は15年、日経ビジネスのインタビューで「グローバルな成長を急ぐあまり、教育が不十分なまま店長を現場に出したことが原因だった」と述べている。店舗網の拡大に合わせ、「入社半年で店長」との旗を振っていた。