プロ野球・広島東洋カープをリーグ3連覇に導いた緒方孝市前監督が企業トップに聞くシリーズ、今回の相手は、野球界屈指の俊足だった緒方選手を足元から支えていたアシックスの廣田康人社長。2021年、米大リーグでの大谷翔平選手のMVPを支え、さらには東京オリンピック・パラリンピックのゴールドパートナーとして大会をサポートした同社とは、緒方さんも現役時代から縁があったという。

緒方孝市・前広島東洋カープ監督(以下、緒方):(机の上のアシックス製シューズを見ながら)私は足の長さが左右で違うんです。現役時代はとにかくけがが多かったのですが、まだ若手の頃、外野で捕球をしようとしてフェンスにぶつかって膝に大けがをし、手術を受けたためです。当時のフェンスは今のようなラバーがなく、コンクリートでしたからね。

 それでもなんとか走れるようになり、3年連続盗塁王になれたのも、アシックスさんのおかげでした。当時、カープ担当の方がインソールを工夫して、左右の足が同じ長さになるように、シューズを改良してくれたからです。

<span class="fontBold">緒方孝市[おがた・こういち]</span><br />1968年生まれ、佐賀県鳥栖市出身。野球評論家。元プロ野球選手、同監督。1986年に広島東洋カープからドラフト3位指名を受け入団。2008年まで主に外野手として活躍し、3度の盗塁王に輝き、堅守の選手に贈られるゴールデングラブ賞を5年連続で受賞した。09年に現役を引退後もチームに残り、コーチとして後進の指導に従事。15年に監督に就任すると16年から18年にかけてチームを球団史上初のリーグ3連覇に導いた。19年に退任。(写真:行友重治、以下同じ)
緒方孝市[おがた・こういち]
1968年生まれ、佐賀県鳥栖市出身。野球評論家。元プロ野球選手、同監督。1986年に広島東洋カープからドラフト3位指名を受け入団。2008年まで主に外野手として活躍し、3度の盗塁王に輝き、堅守の選手に贈られるゴールデングラブ賞を5年連続で受賞した。09年に現役を引退後もチームに残り、コーチとして後進の指導に従事。15年に監督に就任すると16年から18年にかけてチームを球団史上初のリーグ3連覇に導いた。19年に退任。(写真:行友重治、以下同じ)

 膝のけがの後には、足首のけがをしてくるぶしの大きさが左右で変わってしまいました。今度は膝をぶつけまいと思ってかばったら、捻挫をしてしまったのです。でもそれも靴でカバーできたことで、長く現役を続けることができました。アシックスさんの研究所にはその間、足の計測のために毎年通っていました。

 当時は、選手は道具やシューズに関しては1社しか契約できなかったのですが、シューズは走ったり守ったりが売りの選手には重要なので、どうしてもシューズだけはアシックスにしたいとお願いをして、特別に認めてもらっていました。

廣田康人・アシックス社長(以下、廣田):バットやグローブは、ミズノさんやエスエスケイ(SSK、大阪市)さん、ゼットさんなど老舗が強いですからね。アシックスが「ローリングス」ブランドで野球用品に参入したのは1979年と後発でした。ですから、足元だけでも、という選手は多かったようですね。

<span class="fontBold">廣田康人[ひろた・やすひと]</span><br />アシックス代表取締役社長COO(最高執行責任者)。1956年生まれ、名古屋市出身。80年に早稲田大学政治経済学部卒業後、三菱商事入社。89年、欧阿三菱商事(ロンドン)赴任等を経て、14年代表取締役兼常務執行役員コーポレート担当役員。17年関西支社長を兼務後、18年にアシックス入社。同年3月から現職。趣味は、演劇・映画・落語の鑑賞とランニング。フルマラソンの自己ベストは61歳で記録した3時間53分。現在も製品テストを含め月100kmは走る。
廣田康人[ひろた・やすひと]
アシックス代表取締役社長COO(最高執行責任者)。1956年生まれ、名古屋市出身。80年に早稲田大学政治経済学部卒業後、三菱商事入社。89年、欧阿三菱商事(ロンドン)赴任等を経て、14年代表取締役兼常務執行役員コーポレート担当役員。17年関西支社長を兼務後、18年にアシックス入社。同年3月から現職。趣味は、演劇・映画・落語の鑑賞とランニング。フルマラソンの自己ベストは61歳で記録した3時間53分。現在も製品テストを含め月100kmは走る。

緒方:ですから私も、アシックスはシューズメーカー、靴のスペシャリストという印象を抱いていました。しかし今や、スポーツ用品メーカーとして日本一なんですね。米大リーグで活躍している大谷翔平選手も、靴だけでなく、バットもグローブも、バッティンググローブもアシックスのものを使っています。

廣田:とはいえ国内では競合するライバルとは同じようなビジネスサイズです。売上比率を見ると海外が75%と、海外が日本の3倍です。その海外市場には、ナイキやアディダスという強力な競合相手がいます。その2社との戦いでは、まだまだ追いついていません。

緒方:現役当時、私を担当してくれていたアシックスの方から「アシックスの株を買っておけ」と繰り返し言われていたのですが、当時は意味がよく分かっていませんでした。今となってはどうしてもっと強く言っておいてくれなかったのかと思います(笑)。当時100円以下だった株価は今、3000円台ですよね。

廣田:4000円を超えた時期もありますが、おそらく、緒方さんが株を買いそびれた時期はバブル崩壊直後です。バブルの頃は映画「私をスキーに連れてって」が大ヒットするなど、空前のウインタースポーツブームでした。アシックスもそこに大きな投資をしたのですが、そのブームはしぼむのも早く、それで経営に苦労していた時期がありました。

この記事は会員登録で続きをご覧いただけます

残り2545文字 / 全文3951文字

【春割/2カ月無料】お申し込みで

人気コラム、特集記事…すべて読み放題

ウェビナー・音声コンテンツを視聴可能

バックナンバー11年分が読み放題

この記事はシリーズ「緒方孝市の負けから学ぶ経営論」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。