広島東洋カープを3連覇に導いた緒方孝市前監督が、経営者や各界のリーダーとの対話を通じて経営を学んでいく本連載。今回の相手は、広島発祥の日用品メーカーで、カープの初代スポンサーでもあるフマキラーの大下一明社長。思い出話ですっかり意気投合した二人は、監督と創業家の“御曹司”である共通点を発見した。それは一体何か。

瀬戸内海を臨むフマキラー広島工場(広島県廿日市市)のブレーンズ・パークにて。左が緒方氏、右がフマキラー大下社長(写真:橋本 正弘、以下同じ)
瀬戸内海を臨むフマキラー広島工場(広島県廿日市市)のブレーンズ・パークにて。左が緒方氏、右がフマキラー大下社長(写真:橋本 正弘、以下同じ)

緒方孝市・前広島カープ監督(以下、緒方):ここからの眺めには、懐かしさを感じます。私は二軍選手用の大野練習場(広島県廿日市市)ができた翌年にカープに入団しましたが、その練習場からの眺めと同じだからです。

大下一明・フマキラー社長(以下、大下):私も出勤時、大野練習場の駐車場に「CARP」と書かれたバスが止まっているのを確認するのが日課になっています。

緒方:ただ恥ずかしながら、練習場から西側に来ることはほとんどなかったので、フマキラーさんがここ廿日市に拠点を持っていることも、そもそも、広島の会社であることも知りませんでした。しかも、カープより歴史が古いんですね。

大下:明治7年に、今の広島市安佐南区祇園町で薬種商として創業し、漢方薬などをつくって売っていたのですが、大正に入って除虫菊という植物から殺虫成分の抽出に成功したことで殺虫剤に乗り出しました。ここに工場を移転したのは昭和29年です。当時は大下回春堂という社名でしたが、昭和37年に、主力商品の名称であるフマキラーに変更しました。

<span class="fontBold">緒方孝市[おがた・こういち]</span><br>1968年生まれ、佐賀県鳥栖市出身。野球評論家。元プロ野球選手、同監督。1986年に広島東洋カープからドラフト3位指名を受け入団。2008年まで主に外野手として活躍し、3度の盗塁王に輝き、堅守の選手に贈られるゴールデングラブ賞を5年連続で受賞した。2009年に現役を引退後もチームに残り、コーチとして後進の指導に従事。15年に監督に就任すると16年から18年にかけてチームを球団史上初の3連覇に導いた。19年に退任。
緒方孝市[おがた・こういち]
1968年生まれ、佐賀県鳥栖市出身。野球評論家。元プロ野球選手、同監督。1986年に広島東洋カープからドラフト3位指名を受け入団。2008年まで主に外野手として活躍し、3度の盗塁王に輝き、堅守の選手に贈られるゴールデングラブ賞を5年連続で受賞した。2009年に現役を引退後もチームに残り、コーチとして後進の指導に従事。15年に監督に就任すると16年から18年にかけてチームを球団史上初の3連覇に導いた。19年に退任。

緒方:カープの創設直後には、スポンサーにもなっていたそうですね。当時は選手の給与にも苦労していたと聞いていますから、たいへん助けられたと思います。

大下:1952年シーズンの1年間だけですが、ユニホームの袖にフマキラーのマークが入っていました。私の父(大下高明フマキラー初代社長)が今の松田(元)オーナーのお父さん(松田耕平氏)と交流していたこともあって、実現しました。

<span class="fontBold">大下一明(おおしも・かずあき)</span><br>フマキラー社長。1958年生まれ、広島県出身。フマキラーの創業家に生まれ、81年に日本大学商学部を卒業し、稲畑産業へ入社。84年にフマキラー入社。営業本部長や常務取締役を経て、2005年4月より現職。同社のウェブCMでTOKIOのメンバーと共演している
大下一明(おおしも・かずあき)
フマキラー社長。1958年生まれ、広島県出身。フマキラーの創業家に生まれ、81年に日本大学商学部を卒業し、稲畑産業へ入社。84年にフマキラー入社。営業本部長や常務取締役を経て、2005年4月より現職。同社のウェブCMでTOKIOのメンバーと共演している

緒方:球場へも広告を出していますね。

大下:旧広島市民球場時代から、マツダスタジアムになっても変わらず、右中間のフェンスに出しています。あそこは、右ピッチャーのときにバックネット裏からのカメラに映りやすいんです。

緒方:ファンの方には、2010年の天谷(宗一郎)のホームランキャッチで印象に残っているのではないでしょうか。ちょうど、「ベープ」と書かれたところをよじ登りましたからね。首脳陣も、フェンスの広告には助けられています。守備位置を指示するときに「フマキラーのフの字のあたり」と言えますから。

大下:マツダスタジアムはいい球場だと思います。ただ、私は、ヤジも多かったけれど、全席が寝ソベリア(マットレスが敷かれた脚を伸ばして座れる席)かのように、客席に余裕があった旧市民球場も好きでした。

緒方:応援がヤジを上回るようになったのは、強くなってからですね。今では、カープのピンチの時にも応援の拍手が起こるほどで、昔では考えられなかったことです。

大下:そうですね、今はヤジを飛ばしていると目立ってしまいます。

続きを読む 2/3 本気で怒ったときに見えたもの

この記事はシリーズ「緒方孝市の負けから学ぶ経営論」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。