4月1日付で東京証券取引所の社長に就任した山道裕己(やまじ・ひろみ)氏は、広島生まれ広島育ちのカープファン。1975年には、進学先の京都でカープの初優勝を味わったという。監督として球団史上初の3連覇を達成した緒方孝市氏にぜひ聞きたいことがあるという。

■これまでの対談
・プロ野球も株式市場も「トラブルは必ず起きる」
・名選手が名監督になるには「人を育て、責任を取ること」

山道裕己・東京証券取引所社長(以下、山道):私からも緒方さんに質問をしてもいいでしょうか。緒方さんは選手時代、フリーエージェント(FA)という市場に出る権利を得ました。FA市場が大阪取引所のような市場なら、最も高値を付けた投資家のところへ行くのが当たり前ですが、緒方さんはそうせずにカープに残ったと聞いています。なぜですか。

緒方孝市・前広島カープ監督(以下、緒方):一言で言うなら、球団と球団本部長の鈴木清明さんへの義理・人情です。

山道:鈴木さんのことは『サラリーマン球団社長』(清武英利著、文藝春秋)で読みました。もともとマツダにいらした方で、松田元・オーナーに招かれて球団へ移られた方ですね。

2倍の年俸よりも人情

緒方:鈴木さんと私は、入団3年目、一緒にアメリカのマイナーリーグに武者修行に行った仲です。選手は私の他にも2人いて、鈴木さんは運転手兼料理係として同行してくれました。カープは、明らかに無名の高校生だった私を指名してくれて、FAの権利を得られる年までプレーできるように育ててくれました。カープに指名され、カープに育ててもらったから当時の自分があるという思いがあったのです。そして、ファンの方々もずっと温かく応援してくれました。

 そうした状況で残留交渉を担当していた鈴木さんから直接「(お金は)これだけしか出せないけれど残ってほしい」と告げられました。実は、他のチームからは倍の年俸を提示されていましたが、どうしても鈴木さんには「出て行きます」とは言えませんでした。

山道裕己(やまじ・ひろみ)
1955年広島市生まれ。77年に京都大学を卒業後、野村証券に入社。人事部長、欧州子会社社長などを経て野村証券専務に。2013年日本取引所グループに転じ、大阪証券取引所(現・大阪取引所)社長に就任。21年4月1日に東京証券取引所の社長に就任(写真:行友重治、以下同じ)

山道:確かにカープは長らく、貧乏球団と呼ばれていましたね。私が育った広島の家は、当時カープにいた大石(清)投手の家のすぐ近くだったんです。ユニホームは自分の家で洗濯していたのでしょう、ベランダに干してあるのを見た記憶があります。他球団の選手であれば、業者さんにまとめて洗濯してもらっていたでしょうに。

緒方:(軽くうなずきながら)金額のことはさておき、カープに残ってよかったと思っています。おかげさまで監督として優勝の瞬間に立ち会うことができました。

 ただ、その一方で、別の道を選んでいたらどうなっていたかなと、ふと考えることもあります。

山道:それは誰しも考えることでしょう。しかし、緒方さんが残ってくれたことで3連覇できたのですから、伸び盛りの選手が流出する傍らで育成に力を入れるというカープのやり方は間違っていなかったということでしょう。

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