2016年に25年ぶりにセントラルリーグでの優勝を果たした広島東洋カープ。当時、監督として率いていた緒方孝市氏は、どのようにチームをマネジメントしていたのか。前回は選手の本音をどう引き出し、育てていったかを振り返った。指導者として成功を収めた緒方氏がなぜ今、企業経営など野球の外に目を向けるのか。その真意を明かす。

 指導者となって、私を育ててくれた広島東洋カープに恩返しをさせてもらう立場になった──。そう強く思うようになったのは、選手生活が終わってからのことでした。現役の間、最後の2シーズンは選手とコーチを兼任してはいましたが、自分としてはとにかく一生懸命で、選手として持てる力を出し切ったつもりでした。

 ただ、今振り返ってみると、選手生活が終わりに差し掛かった頃には、いつしか、自分の思うような、チームやファンのみなさんから期待されているようなプレーがなかなかできなくても、二軍に落ちることがなくなっていました。なぜ、成果を出せない選手が一軍に居続けているのか。ベテランと呼ばれるようになっていた私にチームが期待していたのは、プレーだけではなかったということなのでしょう。そこにいることで、ベテランは若手に何かを伝える。それが、よく家族のようだと言われるカープの伝統であり、文化なのでしょうか。

 思えば、カープというのは特殊なチームです。終戦から間もなく、大きな痛手を受けた広島の地に、市民、県民の希望として設立されたこのチームは、親会社のないまま70年にわたり存続してきました。家族のような親密さは、チームメイトの間だけでなく、地元・広島のファンのみなさんも同じです。

優勝しないと見られない景色がある

 2016年、25年ぶりにセントラルリーグで優勝した時、シーズン中にグラウンドに立ったカープの現役選手には優勝経験者がいませんでした。つまり、優勝するということがどういうことなのか、誰も本当には分かっていなかったのです。東京ドームで優勝を決めた9月10日は、記念すべき1日でした。

 その緊張感をどのようにして乗り越えて勝利をつかんだのかは別稿に譲るとして、選手が優勝の意味を本当にかみしめたのは、11月5日だったと私は思っています。

16年、セ・リーグ優勝を祝うパレードでファンに手を振る。右は松田元オーナー(写真:共同通信)
16年、セ・リーグ優勝を祝うパレードでファンに手を振る。右は松田元オーナー(写真:共同通信)

 この日、広島の平和大通りで行った優勝パレードには、30万人とも言われる人たちが集まってくれました。2階建てバスの2階席に乗った選手たちは、その景色に息をのみました。時には球場で厳しいヤジを飛ばす方も含め、これだけ多くの方が心から喜んでくれている。手を振り、涙を流し、まるで自分の家族のことのように。応援してくれたことに対してお礼を言うべきはチームの側のはずなのに、集まった人たちが次々と「ありがとう」と声を掛けてくれる。メンバーはみな鳥肌が立つような思いだったでしょう。

 優勝しなければ見えない景色を目の当たりにし、どれだけ言って聞かされてもピンとこなかった優勝とはどんなものなのか、選手は身をもって理解したはずです。そうした経験の一つひとつが、自分が次に何をすべきかをおのずと決めていくものです。

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この記事はシリーズ「緒方孝市の負けから学ぶ経営論」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。