コロナ禍だから手放しでは喜べない。だが、これまでの道のりへの確かな手応えがある。日本を代表する調味料しょうゆを巡り、シェアトップのキッコーマンはその売れ行きの現状についてこう実感している。
外出自粛の流れと巣ごもり消費の拡大に伴って、飲食店向けをはじめ業務用のしょうゆは苦境に立つ。しかし足元で北米は6%、欧州は24%の売り上げ増(いずれも現地通貨建ベース)は、同社が早くからグローバル戦略を進めてきた努力のたまものだ。
茂木友三郎名誉会長はこのコロナ禍を通じ「海外で思った以上にしょうゆが定着していることが証明された。交流というレベルでなく、海外の食文化との“融合”が進んでいる証明でもある」と語る。

米ウィスコンシン州ウォルワース。4年ごとの米大統領選のたびに、「激戦州」「分断の象徴」などと伝えられてきたこの州の街に、キッコーマンが初めて工場を建てたのは1973年。今からおよそ半世紀も前のことだ。
茂木氏は米工場の建設計画に担当課長として深く関わった。同社のグローバル経営の礎を築いた中興の祖。こう呼んでも、社内外で異論はない。
日本にとどまっていても未来開けず
トウモロコシ畑などの農地を工場用地に変える、しかも日本メーカー、さらにはなじみの薄い日本の調味料の工場だ。そんな状況にあって、当然ながら当時、現地では大規模な反対運動が起きた。住民らの説得には労力と時間を要し、茂木氏も地元議会の公聴会に呼ばれ、何度も何度も戸別訪問を重ね、建設に理解を求めた。
そうまでして、米工場建設にこだわったのは、「日本だけにとどまっていても会社の未来が見えなかった」から。そして現地社会に溶け込む、まさに融合なくして道筋なし。茂木氏自身もそう強く感じていたという。
他方、日本を見渡せば、たとえ景気は右肩上がりでもしょうゆは一家に2本も3本も必要ない。人口増のペースよりしょうゆ需要が大幅に伸びることはないと、既に悟っていた。まだ日本のローカル調味料にすぎないが、いつの日かグローバルな調味料となり、海外需要が主役になる。茂木氏は当時からそんな未来図を描いてきただけに、今の危機下でも堅調な業績に人一倍の喜びと確信をかみしめる。

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