2020年、コロナ禍が企業活動に及ぼした最大の影響の一つはリモートワークの普及だろう。これまで遅々として進まなかった在宅勤務が、4月から約2カ月間にわたる緊急事態宣言下で一気に定着。週5日の出社は自明のものではなくなった。
この流れが大逆風になっているのが都心のオフィス需要。オフィスの床面積縮小に動く大手企業が次々に現れ始め、コロナ前には空室率が1%を割り込むこともあった都心のオフィス市況は急速に悪化している。
2020年は在宅勤務の定着に伴い、オフィス床面積の縮小に動く大手企業が現れ始めた(写真:ロイター/アフロ)
化学大手の三菱ケミカルは、東京都千代田区丸の内と中央区日本橋、品川区大崎の3カ所に構えていた拠点のうち、グループ各社も合わせて約500人が働いていた大崎のオフィスを解約することを決めた。グループ全体で東京のオフィス床面積を15%減らす計算だ。緊急事態宣言が解除された後の6月以降も、出社率が2~3割にとどまっていることを踏まえた対応で、丸の内のオフィスでは座席を固定しないフリーアドレスを採用する。
「痛勤電車にはもう乗れない」の声多数
オフィスをめぐっては、ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)の観点から、1人当たりの床面積を増やす必要があるため、総床面積は維持される、もしくはむしろ増えるという見方もある。しかし、三菱ケミカルでオフィスの縮小・集約を担当する総務グループマネジャーの市原篤氏は「リモートワークは恒久的な試み。電車にはもう乗れないという声も聞く。出社率がここまで下がれば、床面積を縮小しても同僚との距離は十分確保できる」と話す。
タイヤメーカーのブリヂストンや住宅設備のLIXILグループなども同様の動きを見せる。リモートワークの定着に伴い、オフィスの在り方を見直して賃料コストを削減しようという動きが大企業の間で顕在化し始めている。
さらに踏み込んだ動きを見せているのがスタートアップ企業で、縮小にとどまらずオフィスを廃止するケースも出ている。オフィス仲介の三鬼商事(東京・中央)の調査によると、20年11月時点の東京都心5区(千代田、中央、港、新宿、渋谷)の空室率は4.33%で、前年同期より2.77ポイント上昇。スタートアップの街として活気を見せていた渋谷区では5.19%に達している。
オフィスサービス大手のJLL(ジョーンズラングラサール)の山口武氏によれば、オフィス空室率を見る上で節目となるのは1%、3%、5%だという。「1%を割り込むと、どんな物件でも賃料が上がる。3%を超えると立地や設備がいいビルは埋まっても、悪いビルは埋まらない。5%を超えると全てのビルに空室が出てくる」(山口氏)。東京都心5区全体ではビルオーナーが賃料の見直しの検討を始める段階にあり、渋谷区では賃料引き下げに踏み切らざるを得ない段階に突入しているといえる。
これまでは、オフィスの空室率は、失業率と相関関係があるとされてきた。東京ではIT(情報技術)バブルの崩壊やリーマン・ショックなど、経済危機に伴う倒産やリストラでオフィスワーカーが減ると、空室率が上昇し、景気が回復し失業率が改善すると、空室率が低下するということが過去に繰り返されてきた。
だがコロナ下のオフィス縮小や解約の動きはこうした過去の流れとは、根本的に異なる。感染拡大当初こそ緊急避難的措置だったリモートワークだが、東京都心ではすっかり定着。コロナ禍を脱して景気が上向き、雇用情勢が改善してもオフィス需要が元通りになることは考えにくい。
20年、新築戸建てや東京・湾岸エリアの中古タワーマンションの販売は堅調に推移した。だが今後、コロナ禍とそれに伴う不況が長期化すれば、こうした住宅市場もいずれ低迷期に入る恐れがある。オフィス市場に吹く逆風が21年以降に一段と強まれば、不動産市場全体が冬の時代に向かいかねない。
「天神ビッグバン」と呼ばれる再開発の一環で、福岡の中心部では21年以降、大型オフィスの大量供給が本格化する
既存企業もスタートアップも目指す街
では全国のあらゆる場所で21年以降、オフィス市場が縮小するかといえば、そうではない。距離の制約がなくなるリモートワークの定着に伴い、企業の間では、オフィスの縮小や廃止だけではなく、東京以外への移転を検討する機運も高まりつつあるからだ。
東京都心に遠心力が働く中で、有力な選択肢として存在感を増しているのが福岡市だ。東京の半額以下という割安な賃料水準に加えて、00年代から市が創業支援に力を入れてきたことで、スタートアップの街として集積ができているのもポイントだ。
「天神ビッグバン」と呼ばれる再開発の一環で、福岡の中心部では21年以降、大型オフィスの大量供給が本格化する。コロナ禍で景況の先行きが読みにくい中での大量供給で、オフィス余りを引き起こすとの懸念もあるが、賃料の設定次第では東京からのオフィス移転の受け皿となる可能性も秘めている。
コロナ禍をきっかけにした大手企業の地方移転は、淡路島に移る人材派遣のパソナグループが目を引くが、表立った動きにはなっていない。ただ、JLLの山口氏は水面下での検討が今後、具体化してくる可能性はあるとみる。「天神は福岡空港から地下鉄で10分強と抜群の立地。賃料設定が坪2万円台半ばぐらいで決着すれば、東京・丸の内で坪5万円、大阪・梅田で坪3万5000円を払うのなら、福岡・天神にという企業が出てきても不思議ではない」と解説する。
既存企業に加え、福岡を創業の地として選択する起業家も増えている。市による創業支援の拠点「福岡市スタートアップカフェ」に寄せられる相談件数は、1カ月に350~400件程度とコロナ前の2倍近く。創業の報告も11月末時点で63件に上り、18年の実績である53件を上回っている。
小規模オフィスを提供する吉原氏。東京から家族で移住してくる人も多いという
小規模オフィスはむしろ逼迫
スタートアップカフェでコンシェルジュを務める佐藤賢一郎氏は「コロナ下でリモートワークになったり、大学がオンライン授業になったりしたことで、考える時間が増えたことが創業に踏み出すきっかけになっているようだ」と説明する。
受け皿となる小規模オフィスの需給も逼迫している。地元で築年数が40年程度の古いビル35棟をオフィスやギャラリーとして供給しているスペースRデザイン(福岡市)の吉原勝己代表取締役は「家族と共に東京から移住して、IT事業をベースにカフェや農業を営む。そんな人が増えている。35~45m2程度のスモールオフィスの需要は旺盛だ」と話す。
福岡市のオフィス市場全体を見た場合には、11月時点の空室率は前年の同じ時期と比べ1.53ポイント増の3.58%だが、「東京に比べれば上昇は小幅で、賃料の引き下げ交渉も起きていない。きっちりと日銭は稼げていて、総崩れにはなっていない」(地元不動産関係者)という状況にある。
不動産市場の長期低迷への始まりとなりかねないオフィス市場への大逆風。だが全国的に見れば、福岡のような例外的な勝ち組も生まれるかもしれない。
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