ファミリービジネスを離れた理由
当時の慶雲館は施設に対する投資が重く、雄二氏は「継続していくのはそれなりに浮き沈みがあるが、山奥の旅館としては投資がやや行き過ぎた」と振り返る。川野氏は「今にして思えば、少し夢を追い過ぎたきらいもあった」と話す。事業を維持するには新たな資金繰りが必要だが、高齢ということもあり雄二氏が融資を受けるのは難しかった。雄二氏には跡取りがいなかったことなどから、苦楽をともにしてきた川野氏に53代の白羽の矢を立てた。ファミリーの経営を維持することを重視するならば、川野氏を養子縁組する方法も考えられたかもしれない。しかし、雄二氏は「もうそんな時代ではない。そこまでしなくてもいい」と判断し、別の手段を選択する。
それが新会社への事業譲渡だ。弁護士と相談しながら、17年6月に会社分割によって新設した西山温泉慶雲館に旅館事業を譲渡。雄二氏は親戚から株を集めると川野氏に譲り、経営を引き継いだ。「三十何年も一緒に働いてきたから任せられる。全部手を引くから、やりたいようにやってほしい」。それが雄二氏から川野氏へのメッセージだった。

新たな資金を新会社に入れる一方、それまでの会社は商号を変更した後、金融機関から債務放棄などを受けて18年6月に解散。川野氏は「苦労していたが、支払いなどができなかったわけではない。それでも負債が多く、事業を引き継ぐためにこの方法になった」と説明する。
この連載1回目に登場した金剛組は別の会社の傘下に入る形で事業を継続したが、慶雲館は新旧分離によって事業を引き継いだ。1000年企業はこうしたさまざまな出来事を乗り越えて続いていることが多い。帝国データバンク史料館の調べによると、創業400年を超える企業の倒産は2000年以降で6件(2020年7月時点)あり、老舗といえども事業を続けていくのはやはり簡単ではない。
1300年を超える慶雲館の経営を引き継ぐことに対し、川野氏は当初、家族から「そこまでしたら大変だ」と反対された。それでも「ずっと働いてきたし、慶雲館がここでなくなるわけにはいかない。続いていくためのクッションのような役割ができるのは自分しかいないと思い、引き受けた」と川野氏は説明する。非ファミリーの川野氏にとっては、自分の子どもに余計な心配をかけないことも大きかった。
雄二氏は経営を譲って以来、一切関わっていない。ときどき電話で「次の54代、さらにそのあともずっと続くようにしてほしい。ずっと一緒にやってきたから大丈夫だ」とエールを送る。宿泊客は最近では関東圏からが3分の2ほどを占め、かつて多かった山梨県内は5%ほどにとどまる。代々続いてきた伝統に、時代とともに追い求める新しいものが合わさり、今の形になった。
コロナ禍では一時休館を余儀なくされた。再開してからも大雨で道路が通行止めになることも起きた。それでも安全・安心に力を入れながら再開。35室だった客室を27室に減らしており、その分サービスを磨き、これまで以上に個人客に力を入れる。目指すのは1人の宿泊代が1泊3万円ほどで高品質なサービスの旅館だ。食事は山奥の宿らしく山や川の食材にこだわる。宿泊客の出迎えから見送りまでを仲居が担当し、細やかな対応を目指す。川野氏は「温泉にこだわることはこれからも変わらない。先代の意向を引き継ぎながら、歴史を守っていきたい」と話す。
Powered by リゾーム?