重電や家電でのライバルだった日立製作所と東芝の歴史と現在をひもとく本連載。第3回(「総合電機」の看板、下ろした日立と傾いた東芝)では、東芝がリーマン・ショック後に赤字になったタイミングから不正会計に手を染め、東日本大震災後に原子力発電事業の先行きが見えなくなってからも立ち止まれずに巨額の損失を計上した歴史を振り返った。メディカル事業もフラッシュメモリー事業も売らざるを得なかった東芝はどこまで復活したのか。これからどう成長していくのか。車谷暢昭社長兼CEO(最高経営責任者)に聞いた。

不正会計や原発事業の巨額損失で経営危機に陥った東芝を立て直すため、2018年4月に東芝の経営トップに就任しました。この一連の経営危機をどのように分析しましたか。

車谷暢昭・東芝社長兼CEO(以下、車谷氏):06年に米ウエスチングハウスを買った頃から、非常に低収益でキャピタル(資本)が薄い状態が続いていました。その中で、メモリと原子力という「ティラノサウルス」のようなものを飼っていたのです。過小資本と低収益が不正会計の原因だと思います。

 だけど、より大きく捉えると、企業はトランスフォーメーションしなければ生き残れない状況になってきました。本質はそっちだと思います。

<span class="fontBold">車谷暢昭[くるまたに・のぶあき]氏</span><br> 東芝社長兼CEO(最高経営責任者)。1957年生まれ。東京大学経済学部卒業後、80年4月に三井銀行(現三井住友銀行)入行。2007年執行役員経営企画部長、12年三井住友フィナンシャルグループ常務執行役員を経て、15年4月に同グループ副社長執行役員。17年4月に退任。CVCキャピタル・パートナーズ日本法人会長兼共同代表、シャープ社外取締役を経て18年4月に東芝の会長兼CEOに就任。20年4月から現職(写真:北山 宏一)
車谷暢昭[くるまたに・のぶあき]氏
東芝社長兼CEO(最高経営責任者)。1957年生まれ。東京大学経済学部卒業後、80年4月に三井銀行(現三井住友銀行)入行。2007年執行役員経営企画部長、12年三井住友フィナンシャルグループ常務執行役員を経て、15年4月に同グループ副社長執行役員。17年4月に退任。CVCキャピタル・パートナーズ日本法人会長兼共同代表、シャープ社外取締役を経て18年4月に東芝の会長兼CEOに就任。20年4月から現職(写真:北山 宏一)

不正会計がなかったとしても、ビジネスモデルを変えなければいけなかったということですか。

車谷氏:もちろん。これまで日本の製造業は、工場に莫大な投資をして、利益を出したらそれをまた工場に投じていました。現金ではなくて工場です。でも、その工場で生産する製品が終わりになると、投資回収の見込みが立たなくなった工場を減損処理しなければなりません。今までもうけたのは何だったのか、となります。

 だから、私はそれをもう二度とやらない。キャッシュが残る、できるだけROIC(投下資本利益率)が高く出るものに集中的に投じる。できれば標準化できて、固定費があまり伸びなくても、売り上げが伸びれば収益性が高まるもの、リカーリング(継続課金)モデルにできるようなものを集中的にやりたいと思っています。

 東芝は(不正会計がなくても)あのままやっていたら、戦後の負けパターンにはまっていたと思います。

経営危機を成長のきっかけにするということですか。

車谷氏:不正会計はネガティブですよ。ネガティブだし、とんでもないことなんだけど、何とかそれをレバレッジにして東芝を早く変える。そういうふうに捉えています。

 私が東芝に入ってすごくうれしかったのは、エンジニアや研究者のモチベーションが全然落ちていなかったことです。自分の会社を褒めるのも変だけど、うちの技術者は日本最高の技術者だと思います。ノーベル賞を取りそうな人もいっぱいいます。その人たちが本当の意味でやる気になればいい会社になる。それに、お客様からの信頼も引き続き厚かった。これなら大丈夫だと思いました。

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