かつて重電や家電のライバルだった日立製作所と東芝の歴史と現在をひもとく本連載。前回(「総合電機」の看板、下ろした日立と傾いた東芝)まとめたように、日立製作所はリーマン・ショック後の過去最大の赤字を乗り越え、社会イノベーション事業をグローバルで展開する企業へとひた走ってきた。非中核事業の売却も終盤に差し掛かる中、日立はどんな将来像を描いているのか。東原敏昭社長兼CEO(最高経営責任者)に聞いた。
日立製作所が改革を進める転機となったリーマン・ショックのときのことをどう捉えていますか。
日立製作所・東原敏昭社長兼CEO(以下、東原氏):2009年3月期の決算で7873億円の最終赤字となって、どん底を見ました。もう1回このような赤字が出れば、日立は潰れるとみんな本気で思ったんです。
それまで、いい製品をつくれば売れるという時代があったので、「そんなに変化しなくてもやがて景気は戻ってくるだろう」といった雰囲気が社内にありました。「官僚主義」や「大企業病」といった言葉がありますが、それがずっと続いていたんだと思います。
![<span class="fontBold">東原敏昭[ひがしはら・としあき]氏</span><br />日立製作所社長兼CEO(最高経営責任者)。1955年徳島県生まれ。77年徳島大学工学部電気工学科卒業後、日立製作所入社。90年に米ボストン大学大学院コンピューターサイエンス学科を修了。2007年に執行役常務。日立パワーヨーロッパ社プレジデントや日立プラントテクノロジー社長などを経て、14年に社長兼COO。16年から現職(写真:陶山 勉)](https://cdn-business.nikkei.com/atcl/gen/19/00213/120300005/p1.jpg?__scale=w:500,h:334&_sh=0ce0470990)
日立製作所社長兼CEO(最高経営責任者)。1955年徳島県生まれ。77年徳島大学工学部電気工学科卒業後、日立製作所入社。90年に米ボストン大学大学院コンピューターサイエンス学科を修了。2007年に執行役常務。日立パワーヨーロッパ社プレジデントや日立プラントテクノロジー社長などを経て、14年に社長兼COO。16年から現職(写真:陶山 勉)
IT(情報技術)バブル崩壊のときも何千億円もの赤字(02年3月期に4838億円の最終赤字)を出していますが、それでもどん底だと思っていなかった。でも09年にやっと気づいて、そこからは川村さん(09年に日立の会長兼社長に就任した川村隆氏)が先頭に立ち、退路を断って改革を進めました。
川村さんは「有事のときは改革するが、平時でも改革しなければいけない」と常に言っていました。だいぶ利益率も上がって平時になった今も、その言葉の通りどんどん改革を進めています。
14年から社長を務め、16年には社長兼CEOに就任されました。CEO就任後の4年間というのは、日立にとってどんな時期でしたか。
東原氏:CEOに就任したのは18年度までの中期経営計画の1年目でした。その中計では「営業利益率8%の会社になる」と宣言しました。利益を上げなければ次の投資ができず、グローバル競争で勝ち残れません。何せ海外の企業に比べて利益率がかなり低かったもので、そこに焦点を当てて取り組んだのです。
その結果、18年度に営業利益率が8%となり、19年度は日立が注力する5つのセクター(エネルギー、モビリティ、インダストリー、ライフ、ITの5分野)で見れば営業利益率が8.5%になりました。新型コロナウイルスの影響がなければ9%近い数字になっていたので、「利益を上げる」という意味での実力はついてきました。
だけど、17~18年あたりから、「上意下達はいいけれど、やらされ感もありますよ」という声を社内で聞くようになりました。
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