新型コロナウイルスの感染拡大で「同調圧力」が高まっている――。そう警鐘を鳴らすのは、「世間学」が専門で九州工業大学名誉教授の佐藤直樹氏だ。前回の記事「新型コロナで同調圧力が上昇? 一触即発で『謝罪』の窮地に」でも書いたように、「自粛警察」などとして顕在化した同調圧力の高まりは、個人や企業に対する「謝罪圧力」にもなるという。佐藤氏はその背景に、日本独特の「世間」があると分析する。
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日経ビジネスは2015年から毎年12月に、不祥事を起こした企業などがどのような謝罪をしているかを検証する「謝罪の流儀」という特集を掲載してきました。今年も「謝罪の流儀2020」(仮)を掲載する予定です。つきましては読者の皆さまに、記憶に残る謝罪や、謝罪に関する意識についてアンケートを実施します。アンケート結果は日経ビジネス電子版や雑誌の日経ビジネスに掲載する予定です。ご協力をお願いします。

佐藤さんは、コロナ禍でさらに同調圧力が高まったと主張されています。そもそも、日本は同調圧力の高い社会だった分析していますが、どういうことでしょうか。
佐藤直樹氏(以下、佐藤氏):コロナ禍で、日本の同調圧力の強さが誰の目にも見える形で顕在化したと思います。日本では、職場で誰かが残業していると帰りにくいといった意識が以前から強いですよね。それが、コロナ禍で誰が感染しているかよく分からないという状況になり、お互い疑心暗鬼になって、「自粛警察」のような形で現れたということです。
海外ではロックダウンなど「命令」と「処罰」によって感染拡大を食い止めようとするケースが多いですが、日本では強制力を持たない「自粛」と「要請」によって、これまで感染拡大を抑え込もうとしてきました。つまり、法的な強制力のない周囲の圧力によって、命令と処罰による感染拡大防止策と同じような効果をもたらしてきたわけです。

1951年仙台市生まれ。九州工業大学名誉教授、評論家。日本文芸家協会会員。専門は刑事法学、世間学、現代評論。99年に歴史学者の阿部謹也氏らと「日本世間学会」を設立し、初代代表幹事として参画。著書に『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』(鴻上尚史氏との共著、講談社現代新書)、『加害者家族バッシング 世間学から考える』(現代書館)、『目くじら社会の人間関係』(講談社+α新書)、『犯罪の世間学 なぜ日本では略奪も暴動もおきないのか』(青弓社)など(写真:陶山勉、以下同)
海外でなぜ、命令と処罰という強硬な手段が必要かというと、端的に言えば人々がなかなか言うことを聞かないからです。イタリアの刑務所で訪問者との面会を禁止するといった感染拡大防止策に反発する暴動が起きたり、その他の国でもロックダウンやマスク着用に反対するデモが起きたり、日本とは状況が全く違います。
こういう危機の状況ですからどの国でも同調圧力はあったと思います。しかし、日本ではそれが異様なほど強かったということです。
東日本大震災のとき、警察がまともに機能しなくなった被災地でも暴動や略奪が起きなかったですよね。一方、海外では災害などで警察が機能しなくなると、すぐに暴動や略奪が起きる。日本でそれが起きないのは、警察という法のルールが十分に適用されない環境でも、法以外のルールにがんじがらめになっているからです。
それと同じ状況が、今回のコロナ禍でも起きたわけです。法で縛られていなくても、「世間」の目によって似たような効果が発揮された。
佐藤さんは「世間」というキーワードを重視しています。ここで言う「世間」とはどのようなものですか。
佐藤氏:日本人の多くが、「ここから排除されたら生きていけない」と思っている世界です。世間から排除されることが、自分にとって一番怖いことだと思っている。
法律で罰せられることよりも恐れている?
佐藤氏:法律を犯すのはものすごく悪いことで、罰せられるのは当然ですが、それ以前に、暗黙の世間のルールが山のようにあって、がんじがらめになっているんです。これが、他の国とは大きく違うことだと思います。
世間のルールはものすごくたくさんあるのですが、いくつか重要なものをあげてみましょう。
お願いします。
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