累計感染者数1270万人、同死者数26万人を出した「新型コロナ感染大国」の米国。政治的信条や移民文化などの「分断」の前で、再び感染拡大の波にのみ込まれている。その理由をひもとくと見えてきたのは、皮肉にも米国が建国時から守り続けてきた「自由」の代償だった。
「常にマスクを着けている生活など『死んだ』も同然。私は個人的信条に基づいてマスクは着けない」
11月3日に米大統領選と同時に投開票日を迎えた米下院選挙。カリフォルニア州ロサンゼルスの選挙区から共和党候補として出馬したエロル・ウェバー氏(33歳)は、こうきっぱりと言い切った。
10月19日にアリゾナ州で開いたトランプ大統領の選挙集会で、ほとんどの支持者がマスクを着用していなかった(写真:AFP/アフロ)
15歳のときに家族とジャマイカから米国にやってきた黒人の移民。多感な時期に出合った米国は「自由の国」そのものに見えた。そんな米国やアフリカなどに潜む社会問題を取り上げたドキュメンタリー映画を制作して米アカデミー賞を受賞したこともある。今回の選挙では現職の黒人女性に負けたが、政治家としてより自由な理想社会を目指すのが夢だ。
「米国では個人の健康を守る手段は個人が選ぶもの。それを連邦政府や州が規制することはあってはならない」
迷惑な人「コロナウイルス・カレンとケン」
一部の国民がマスク拒否を「個人の権利」と主張する国、米国──。11月初旬から新型コロナウイルスの「第3波」とみられる感染拡大に襲われ、ユタ州やケンタッキー州などの医療施設が再びパンク状態に陥りつつある。
1日当たりの新規感染者数は20日、1週間前の20%近くの増加となる19万人を超えた。これは第2波で記録した国内最大値の2倍以上に相当する。病院には現在、8万人以上の新型コロナの患者が入院し、1日約1800人が死亡している。この急上昇に伴いカリフォルニア州やニューヨーク州などの各州も、一時は再開させたレストランや小売店の営業、学校の活動に再び規制をかけ始めた。
パンデミックの始まりから10カ月がたってもなお、街中ではマスク着用を拒否する人と着用を促す人との間でいさかいが絶えない。「コロナウイルス・カレンとケン」。マスクを巡り他人への迷惑行為に及ぶ人たちは米国でこう呼ばれ、社会問題となっている。
カレンとケンはもともと、白人であることや相手よりも上の立場にある状況を悪用して迷惑行為に及ぶ人たちを指す言葉として、数年前からSNS(交流サイト)で広がった。パンデミック後は、店員にマスク着用を指示され、腹を立てて暴力を振るう黒人男性や、同様の状況で店員につばを吹きかける白人中年女性の動画などがSNS上で出回るようになった。
マスクが政治的信条を表す
マスク着用が米国で大問題となるのは、そこに政治的要素が絡むからだ。
個人の権利を主張する共和党員、中でもトランプ氏の支持者は「マスク着用が必要かは自分で決める」ことを信条とする人が多い。前出のウェバー氏がそうだ。米ピュー・リサーチ・センターが6月に発表した調査によると、「マスクを常に着用すべきだ」と回答した民主党員の割合が63%だったのに対し、共和党員は29%だった。
とはいえ日々の暮らしで不要な争いは避けたい。ウェバー氏の場合、争いが起こりそうになったときのためにポケットにマスクをしのばせている。記者に見せようと取り出したマスクには「TRUMP 2020」の大きな文字が……。米国でマスクは個人の政治的信条を分かりやすく示す道具でもあるのだ。
パンデミックが、大規模集会や政治的駆け引きが活発化する大統領選の年と重なったのも不運だった。
新型コロナなどあらゆる感染症流行時の公衆衛生のあり方を研究する米ハーバード大学薬学部のアサフ・ビットン准教授は、「政治的な集会か趣味のイベントかは関係ないが、大人数が1カ所に集まれば感染拡大を招くことは、科学的に証明されている」と話す。
科学を否定するリーダー
大統領選の選挙活動中、2人の候補が発信するメッセージは対照的だった。ジョー・バイデン前副大統領が、演壇で話すとき以外は常にマスクを着用し、集会も一部オンライン化するなど感染拡大防止への配慮を強調したのに対し、トランプ氏は「対面」にこだわった。10月2日に新型コロナに感染して入院し、復活した後も、全米各地を数千人規模の支持者を集めて遊説した。
記事冒頭の写真は、トランプ氏が10月19日にアリゾナ州で開いた集会の様子だ。支持者のほとんどがマスクを着用していない。この日、トランプ氏は、自ら新型コロナ対策チームのメンバーに選んだアンソニー・ファウチ国立アレルギー感染症研究所長を「イディオット(間抜け)」と糾弾。同氏がパンデミック発生当初、マスクは必要不可欠ではないと言っていたと責めた。
ビットン准教授は、米国で感染拡大を招いた3大要素の2つに「リーダー不在」と「科学に基づく一貫した方針の欠如」を挙げた。残る1つが「コミュニティーの分断」。ここには政治的分断だけではなく、移民の集合体である米国ならではの文化的分断も含まれる。
11月21日、ニューヨーク・ポスト紙の「秘密裏に開かれたマスクのない大規模結婚式」と題された記事が物議を醸した。記事の動画には、収容人数7000人のユダヤ教会を埋め尽くした参加者がすり鉢状の客席に並び、音楽に合わせて上下に跳ねる様子が映し出されていた。ユダヤ系移民の伝統的な結婚式の様子だという。
ニューヨーク市のブルックリン地区にはユダヤ系移民が集まる大きなコミュニティーがあり、パンデミック当初から、州や市が定めたマスク着用や大規模集会の禁止に抗議を続けてきた。記事が出た翌日、同市のビル・デブラシオ市長は主催者に1万5000ドルの罰金を科すと話した。
ワクチン拒否なら遠のく収束
個人の権利を主張する国民の反対で物事が進まない状況はこれまでにもあった。自動車のシートベルト着用の義務化だ。「シートベルトの強制は個人の権利を阻害する」との議論は1950年代から繰り広げられ、ニューヨーク州が初めて着用の義務を法制化した84年まで約30年もかかった。
同じ論争がインフルエンザなどのワクチン接種でもある。米疾病対策センター(CDC)の統計によると、インフルエンザ関連の死者数は冬期を中心とする2019~20年の1年間で2万2000人に上った。インフルエンザが米国で猛威を振るう背景には、冒頭のウェバー氏も指摘していた「個人の健康を守る手段は個人が決めるべきだ」との考え方があり、いまだにワクチン接種を拒否する人たちがいる。新型コロナのワクチンも例外ではない。
「21年4~6月期に米経済はさらに深い景気後退期に突入する」。こう予測するのは、マクロ経済コンサルタントのコマル・スリクマール氏だ。
理由は自明。1月5日にジョージア州で実施される上院2議席の決選投票で共和党が1議席でも獲得すれば、米議会は「ねじれ」となる。すると民主党がまとめた追加の2.2兆ドル規模の経済対策案は議会通過を阻まれ、連邦政府の補助金が国民の手に渡る可能性が低くなる。新型コロナワクチンも、広く国民の元に届くのは「21年晩夏か秋ごろ」(ビットン准教授)とみられている。その直前の4~6月期に企業倒産や失業者がさらに増えるというわけだ。
一方の米株式市場では20年11月24日、米ダウ工業株30種平均が史上最高値の3万ドル台を記録した。新型コロナワクチンの完成やバイデン新政権への期待感が投資家の間に広がったためだが、足元がふらつけば砂上の楼閣となりかねない。この4年間で、米国内で加速した分断の代償はあまりに大きい。
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