引っ越しを日本で初めて「サービス業」として確立したアートコーポレーション。誕生のきっかけは第1次石油ショックに伴う運送会社の経営危機だった。その後のバブル崩壊など、様々な危機を乗り越えてきた寺田千代乃名誉会長に、ピンチをチャンスに変えられるリーダーの3つの条件を聞いた。

寺田 千代乃(てらだ・ちよの)
1968年、夫が運送会社の寺田運輸を創業。76年、新規事業として引っ越し業に本格参入。翌年にアート引越センター(現・アートコーポレーション)を設立し、社長に就任した。2019年12月、42年間務めた社長を退任して名誉会長に。関西経済同友会代表幹事や関西経済連合会副会長などを歴任。

 寺田氏の経験から分かる、危機を好機に変えられるリーダーの条件は次の3つだ。

1.時代を読み、自社の資産を生かす
2.できると信じ、悪い流れを変える
3.現場への原点回帰

1:時代を読み、自社の資産を生かす

 アート引越センターは1976年、寺田千代乃名誉会長が夫の寿男氏(現アートコーポレーション会長)と共に切り盛りしていた寺田運輸の新規事業として産声を上げた。73年に起きた第1次石油ショックによる景気低迷で、本業である運送の受注が減った上、業務に必要なガソリンやタイヤが手に入らなくなってしまった。苦しい時期を耐え忍ぶ副収入源として始めた引っ越しサービスは、時代の流れをつかんで屋台骨に成長していった。

寺田氏:「石油ショックの間をなんとか他の仕事で補えないか」と、夫と懸命にアイデアを練りました。当時、小さな運送業者は喫茶店やスナックを副業としてやっていました。

 うちはお金がなかったので、今ある資産、トラックとドライバーを活用した収入の道を考えました。夫は、トラックを数台積んだ大型キャリアカーで幹線道路を走り、目的地に近づいたところで積んだトラックを走らせる手法を思いつきました。高速道路の料金やガソリン代が節約できる妙案でしたが、キャリアカーに投資する資金がなく、残念ながら実現しませんでした。

 別に思いついたのが、引っ越し業でした。当時の引っ越しは、運送業者が暇なときに頼まれたらやるという程度。しかもトラックの荷台が平台で、家財道具が雨にぬれていることも珍しくなかった。寺田運輸もたまに引っ越しをやっていました。また当時の荷主のために箱型のトラックを既に持っていましたので、今のトラックとドライバーで、雨にぬれない引っ越しが始められました。

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