「神学論争」で揺れるIT戦略

 田代の会社員人生は、三菱商事のIT戦略の変遷と重なっている。

 1994年、「父も商社マンで面白そうだった」と入社した田代は、機械や穀物など世界を股にかけて商品を売り込む「ザ・商社」の部署を希望したが、「職能情報化推進部」に配属された。いわゆるIT担当部署で、コーディング、データ分析、サーバーの立ち上げなどの基本をみっちり教え込まれた。

 機械グループから独立した80年代の三菱商事の情報産業は、インターネットの急速な発展に乗り切れていなかった。田代が入社した頃は、ソフトウエア重視に路線転換し、IT部門として利益規模を大きくしようという挑戦の時期だった。

 田代は96年に子会社のMCソフトウェアに出向、2001年には三菱商事のIT系グループ会社5社を統合して生まれたアイ・ティ・フロンティアに加わった。規模を拡大し、総合ITサービス企業を目指すための統合だった。子会社を渡り歩いてITに取り組む姿は三菱商事では異質だった。

 2002年、田代は中国・上海に駐在し、ベンチャー投資やシステムインテグレーション(SI)事業の拡大に取り組むことになった。中国の著しい成長を取り込むことでIT部門の収益をさらに大きくする狙いで、田代は03年、SIを手掛ける新会社を立ち上げた。

 順調に事業は進んだが、富士通やNTTデータなど超大手がひしめく領域だけに、オーガニックな成長だけでは厳しかった。そこで中国地場の企業を買収したいと東京本社に打診したが、「中国で何千人もの従業員を抱えるのは時期尚早」と反応は鈍かった。

 同じ頃、三菱商事内では、「神学論争」が起きていた。機械や食糧などと同じようにITも産業別の部門として存在していたが、IT部門の役割は利益貢献にとどまらず、ほかの部門に機能を提供して収益を高める「コーポーレート(間接)部門」的な役割も必要なのではないか、という議論だ。

 発想自体は間違いではないものの、この「機能」と「収益」のバランスが定まらなかった。IT部門として中国で本格的に稼ごうという田代のM&A戦略は結局、実現しなかった。

 2009年に東京に戻ると、金融や物流など様々な分野に「機能」としてITを取り入れ、新たなビジネスをつくるというミッションが与えられた。電力小売り、ヘルスケア、インドネシアなど新興国開拓──。現在にもつながる事業のタネは仕込めたが、16年にIT部門の組織再編が起こり、田代は「自動車事業本部」へ配置換えに。部下はゼロになり、「さすがにしんどかった」と振り返る。

 14年にはアイ・ティ・フロンティアが、インド・タタグループの過半出資を受け入れ、三菱商事の完全子会社からグループ会社となった。IT企業はもちろん、住友商事グループのSCSKや、伊藤忠テクノソリューションズなど他商社と比べても三菱商事のIT部門の存在感は薄れていった。

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