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 コロナ禍では、長い業歴を持つ企業の廃業が増加傾向にある。帝国データバンクの調べによると、このところ特に増加が目立つのが創業80~100年の企業の休廃業だという。

 日本経済大学の後藤俊夫特任教授は「業歴の長い企業は長い時間をかけた蓄積がある分、危機に強いといわれるが、必ずしもすべてにあてはまるわけではない。さまざまな負の遺産がたまっている場合には、かえって身動きが取りにくくて、廃業や倒産につながりやすいことがある」と分析する。

創業135年の歴史に幕

 看板や業歴だけでコロナ禍を乗り越えるのは難しく、それは100年を超える老舗も例外ではない。

 山形市の食品会社、「丸八やたら漬」は5月31日、創業135年の歴史に幕を閉じた。社長を務めてきた新関芳則氏は「コロナ禍が最後の引き金になった。長く事業を続けてきただけに6代目の私で終わるのは、断腸の思いだ」と話す。

丸八やたら漬の廃業を決めた6代目の新関芳則氏(写真:尾苗 清)

 明治18年(1885年)の創業で漬物を手がけてきた。山形市の中心部にある工場と店舗は座敷蔵2棟などを備え、長く街のシンボル的な存在だった。

 ピークは山形新幹線の開業と山形国体の開催が重なった1992年。売上高は4億5000万円あり、同じ年に飲食部門を立ち上げ敷地内で食事処「香味庵まるはち」を始めると、漬物寿司や郷土料理の提供で人気となった。一方、食生活の変化から消費者の漬物離れは急ピッチで進み、旅館の売店やドライブインなどへの卸売りが低迷した。

 新関氏は当初別会社だった飲食部門を担当していた。一方、漬物を製造販売する本体のトップは兄が務めていた。両社を統合した2004年から新関氏は経営の多くを任されるようになり、09年に体調を崩した兄に代わって社長に就任した。「地域の人口減少や経済の低迷の中、観光にシフトして飲食を核とした漬物店になっていった」と新関氏は話す。

収益が安定しないまま債務が膨張

 統合後も経営は楽ではなかった。飲食部門が漬物部門の赤字を埋める構造が続いた。2年黒字の後に赤字になる状況を繰り返し、収益が安定しないまま次第に債務が膨らんだ。バブル期に本店・工場の土地を担保にした有利子負債も重くのしかかり、03年頃からは敷地の活用を考えるようになった。

座敷蔵などを備え、長く街のシンボル的な存在となってきた(写真:尾苗 清)

 浮上したのが観光に直結しない工場を「売却する」「駐車場にする」などの案だったが、そのためには工場の移転が必要になる。工場の郊外への移転のほか、他社によるOEM(相手先ブランドによる生産)も模索したが、最終的にまとまらなかった。山形市が買い上げるプランも浮上したが実現しなかった。

 その後も本店・工場の土地を購入したいと申し出る業者はいたものの、条件が合わなかった。業績はこの間も低迷し、2019年には売上高はピークの3分の1の1億5000万円に減少。特に漬物の落ち込みは大きく、過去25年で売り上げが9割以上減った製品もあった。

同じ町の百貨店の廃業が一つのきっかけに

 廃業を本格的に考えるきっかけは、同じ中心街にある百貨店、大沼が1月に突然閉店し、自己破産手続きに入ったことだった。江戸時代創業の老舗は地域の中核として長く地元に親しまれてきた。ここ数年は創業家が経営を離れ混乱が続いたものの、閉店は予想外であり、地元の衝撃は大きかった。

 大沼にテナントとして入っていた新関氏は「業歴の長い会社として同じことになってはならない。自力でソフトランディングさせる必要がある。事業を閉じるのが自分の使命だ」と考えた。

 地元で長く事業を展開してきた以上、「つぶれたからバンザイします」というわけにいかない――。廃業を模索し始めた丸八やたら漬をコロナ禍が直撃したのはその矢先だった。2月中旬以降は観光客が激減し、飲食部門のキャンセルが続出した。