
大廃業時代が深刻化する背景には、後継者が見つからない企業の増加が挙げられる。コロナ禍においてはこれに加えて、事業を引き継いで、さあこれからというタイミングにおける後継者の廃業も目立つ。
事業環境の激変を前に「今ならば、きれいにやめられる」と考えて後継者が事業を閉じ始めた。この動きが加速すれば、想定を上回る廃業ラッシュにつながりかねない。
ユニークな戦略のホテルも廃業
取引先や従業員に迷惑をかけないためにも、やめるのがいいと思った――。札幌市にある札幌第一ホテルは6月20日、68年の歴史に終止符を打った。社長を務めてきた米沢佳晃氏(55)は「寂しいが、先代の父も納得している」と静かに話す。米沢氏の祖父が1952年に創業し、米沢氏は3代目。2007年に42歳で経営を引き継いだが、コロナ禍でホテルの廃業を決めた。
先代社長は米沢氏の父で、次々に札幌に進出する大手ホテルチェーンと差異化を図ろうと、宿泊中心から宴会・レストランなどの料飲部門に転換する戦略にかじを切った。

ユニークなのは宴会のうち、大手と激しく競合する結婚式・披露宴に取り組まなかったこと。代わりに地に足をつけて地元企業や各種組合などを回り、多様な会合需要を地道に開拓した。法事には札幌市内のホテルでいち早く取り組み、年間500~600件を手がけるほどだった。観光客の多い大通公園沿いから2007年に市内の別の場所に移転した事情も重なり、地域に密着する独自の戦略を深めた。
米沢氏は大学卒業後に東京のホテル会社での勤務を経て、家業に加わった。早くから現場を任されると、父の築いたユニークな路線を引き継いだ。最近では宴会・レストランなどの飲食部門が売上高の85%を占め、「ニッチを探して突き進んできた結果、いわゆるホテルというくくりとは違った形になった」(米沢氏)
売上高の1割ほどの宿泊部門も差異化。急増するインバウンドに目を向けず、国内のビジネス客を中心に集客した。施設は1カ所だけだが、3代目として順調に業績を伸ばし、2018年には売上高が過去最高の8億5000万円になった。
売上高の9割が消滅
コロナ禍は盤石と思われたユニークなビジネスモデルをあっという間に吹き飛ばした。
この記事は会員登録で続きをご覧いただけます
残り2279文字 / 全文3218文字
-
【締切迫る!】日経電子版セット2カ月無料
今すぐ会員登録(無料・有料) -
会員の方はこちら
ログイン
【初割・2カ月無料】有料会員の全サービス使い放題…
特集、人気コラムなどすべてのコンテンツが読み放題
ウェビナー【日経ビジネスLIVE】にも参加し放題
日経ビジネス最新号、11年分のバックナンバーが読み放題
Powered by リゾーム?