
中満泉氏は2017年5月、国連ナンバー3のポストである事務次長に日本人女性として初めて就任した。国連の軍縮を指揮する「国際舞台における危機対応のプロ」だ。1990年代は湾岸戦争やボスニア紛争の最前線で人道支援に従事し、2008年からは国連平和維持活動(PKO)局の政策部長としてコンゴやシリア、アフガニスタンなどの激戦地を主管した。
戦争と新型コロナウイルスの感染拡大は、同じ危機でもどう違うのか。今回の危機を乗り越えるだけでなく明るい未来を手に入れるために、日本は何ができるのかを聞いた。

中満 泉(なかみつ・いずみ)
1987年早稲田大学法学部卒、89年米ジョージタウン大学外交大学院修士 (国際関係論)修了後、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に入所。旧ユーゴスラビアサラエボ・モスタル事務所長、旧ユーゴスラビア国連事務総長特別代表上級補佐官、UNHCR副高等弁務官特別補佐官、国連本部事務総長室国連改革チーム・ファースト・オフィサー、International IDEA(国際民主化支援機構)官房長、企画調整局長、国連平和維持活動(PKO)局政策・評価・訓練部長、同アジア・中東部長、国連開発計画(UNDP)危機対応局長などを歴任。2女の母。
戦争などの危機に比べて新型コロナウイルスの危機にはどのような特徴がありますか。
中満泉・国連事務次長(以下、中満氏):目に見えないウイルスが瞬く間に世界に広がり、これほどたくさんの方々の命を奪った。国境が閉ざされ、人々の動きは止まり、物流も滞りがちになった──。
これほど大きな危機が来ることを誰が予想できたでしょうか。(米マイクロソフト創業者でビル&メリンダ・ゲイツ財団創設者の)ビル・ゲイツさんこそ予見していましたが、彼のように肌感覚で察知できたという方は少なかったと思います。
経済的な打撃はすでに大きく、日本だけではなく世界中で顕在化しています。具体的な統計が出てくるのはこれからだと思いますが、倒産件数は増えていくでしょうし、日本では20年8月の自殺者が増えたという記事も目にしました。人々の心への影響についても、これから調査しなければなりません。
新型コロナの危機は、世界、いや、人類史として見ても重要な「転換期」になると感じています。
この転換期に私たちが認識しておきたい重要なことがあります。新型コロナのパンデミックによって浮き彫りになった社会のさまざまな課題についてです。
例えば、コミュニティーによって新型コロナの感染率や死亡率が異なるなど、不平等や格差の問題が顕著に表れました。国際関係では、米中の対立がエスカレートしています。こうした問題は以前から存在していたものですが、新型コロナによってより目に見える形になってきました。
それでも私は「危機はいつかは乗り越えられる」と思っています。重要なのは、「その後」をどうしたいのか。今回のパンデミックでは非常に多くの方が亡くなっていますので、「これを機に」という言い方はしたくありません。
でもせめて、この貴重な転換期をきちんととらまえて、元の社会、いわゆる「オールドノーマル」に戻るのではなく、より良い社会に生まれ変わる転換期としたい。そのためにも、問題の根本が何であるかをきちんと認識したうえで、解決していくことが非常に大切だと考えます。
国連ではこれを「ビルド・バック・ベター(Build Back Better)」と呼んでいます。
日本でも進む「分断の構図」
問題の根本とは具体的にどのようなことですか。
中満氏:根本には「分断の構図」があるのではないでしょうか。米国が最も分かりやすい例です。トランプ政権が生まれた背景には「自国第一主義の推進」がありました。彼が支持されたのは、人々の心の中に、政治を動かしているのはごく一部のエリートだ、自分たちは社会から取り残されているという強い「取り残され感」があったからでしょう。
分断と言っても、その要素は「持てる者と持たざる者」や「人種」といった単一的なものではありません。もっと多層的で、多様な要素が絡み合っています。
「日本にはそんな分断はない」と思われるかもしれませんが、私はあると見ています。統計データにも、例えばシングルマザーの平均年収が200万円(厚生労働省「全国母子世帯等調査結果報告」より、数字は就労による収入で15年度)だとか、子どもの約7人に1人は貧困状態にある(20年7月発表の厚生労働省「2019年国民生活基礎調査」より)といった数字があります。
まだ見えにくいかもしれませんが、日本でも分断の構図は確実に進んでいるのではないでしょうか。
20年7月半ば~8月半ば、私は原爆投下から75年という重要な節目を迎えた広島と長崎に行ってきました。本来はアントニオ・グテーレス事務総長が参加する予定でしたが、新型コロナで行けなくなったため代行したのです。
久しぶりに1カ月も日本に滞在する機会を得て感じたのは、人々の間に漂う「未来は変わらないのではないか」という空気でした。20年1月に米PR会社のエデルマンが発表した、政府や企業、メディアなどへの信用度を示す調査「2020 エデルマン・トラスト・バロメーター」でも、日本は26カ国中24位となっています。
日本の文化には「何事も自己責任。他人は頼らず自分でなんとかすべきだ」という考え方があります。そのせいもあるかもしれませんが、新型コロナのパンデミックが起きてから、感染者へのバッシングがSNS(交流サイト)を中心に数多く見受けられました。そのすさまじさに私は、まさか日本がそのような状況になっているとは思ってもいなかったので、とても驚きました。
11年の東日本大震災では、困ったときに互いに助け合う姿が世界から称賛された日本でしたが、今回の新型コロナでは嫌がらせやバッシングのほうが目立っていたように感じました。感染症は誰がかかってもおかしくないのに……とても残念に思いました。
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