
数々の斬新な建物を設計し、世界を驚かせてきた建築家の安藤忠雄氏。戦後復興を経験し、がむしゃらに生きてきた経営者とも数多く交流してきた。安藤氏は、1990年代のバブル経済崩壊以降、さまよい続ける日本の在り方に警鐘を鳴らす。「仕事とは、生きることとは、“闘い”。その闘いにおいては、私はずっと『暴走族』でありたい」と語る安藤氏が、意気消沈する日本を叱る。
新型コロナウイルス感染症が世界でまん延し、先行きの見通しが難しくなっています。景気後退の不安も大きい中、建築を通じて世界各国を見てこられた安藤さんは、この危機をどのように乗り越えるべきだと考えておられますか。
安藤忠雄氏(以下、安藤氏):確かに厳しい状況ですが、ただパンデミックを怖がり、コロナ禍に萎縮して「先が見えない」と下を向いているだけでは何も前に進みません。「逆境」は乗り越えて行くしかないんです。大切なのはそれをいかに克服するかという戦略と目標、そして覚悟ですよね。自分で決めた目標に向かい、突っ走っていく覚悟です。
「あれがない、これがない」とハンディキャップを言い訳にしていたら、行動は起こせませんよ。「ない」ならば「ない」なりに、やっていく方法を考えたらいいんです。

安藤忠雄建築研究所代表。1941年生まれ。69年に安藤忠雄建築研究所を設立。79年に「住吉の長屋」で日本建築学会賞作品賞、95年には建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞。97年から2003年まで東京大学大学院教授を務める。05年、同大学特別栄誉教授。米国のエール大学やハーバード大学でも客員教授を務める(写真:太田 未来子)
私は2009年と14年の2回、ガンの手術をしていて、胆のう・胆管から十二指腸、膵臓(すいぞう)に脾臓(ひぞう)と5つの臓器を全摘出しています。膵臓がないから、毎日自分でインスリンを打って血糖コントロールをしなければならない。食事にも細心の注意が要ります。病院からは「もうこれまで通りにはいかないですよ」とくぎを刺されましたが、今も元気ですよ。
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