新型コロナウイルスの猛威は、日本が抱える様々な課題や欠陥を明らかにしました。世界の秩序が変わろうとする中、どうすれば日本を再興の道へと導けるのか。シリーズ「再興ニッポン」では、企業トップや識者による意見・提言を発信していきます。今回は、一橋ビジネススクールの楠木建教授。楠木教授は「日本企業」という表現を使うべきではないと主張します。その理由とは。

1964年生まれ。92年一橋大大学院商学研究科博士課程を修了。一橋大商学部助教授、同イノベーション研究センター助教授などを経て、10年から一橋ビジネススクール教授。専攻は競争戦略とイノベーション。著書に「ストーリーとしての経営戦略」など。

新型コロナウイルスの感染が続いています。社会の変化をどう見ていますか。

楠木建・一橋ビジネススクール教授(以下、楠木氏):3月ごろに比べるといろいろ分かってきましたね。まず「コロナ危機」ではなく「コロナ騒動」だということです。本当に意味のある統計は死者数と重症者数ですが、コロナによる死者は1300人強で、人口10万人当たり1人くらい。

 19年1月にはインフルエンザで1日平均54人が亡くなっています。くも膜下出血が原因の死者数は年間10万人当たり10人。1900年代にあった米騒動は食糧危機ではなく、人の投機的な行動が起こしたものでした。皆に等しく重圧がかかると、人間社会のメカニズムで、話が増幅して騒動になる。コロナも人間の本性がつくっている騒動なのだと思います。

 見えないから怖い、と大騒ぎするのは人間の本性です。一方で、適応するのもまた本性です。東京大空襲の時の市民の生活を書いた日記が残っていますが、これは大変参考になります。その脅威はコロナの比ではありません。破壊の意図を持って攻めてくるわけですから。最初の頃は怖くて、防空壕(ごう)に家族で入っても震えが止まらない。ただ、半年もたつと慣れてくるのです。防空壕には入らず、焼夷(しょうい)弾の火で家財道具を燃やしたり、残り火でたばこを吸ったりしている。

 史上最悪のパンデミックとされるスペイン風邪の記録には「忘れられたパンデミック」という副題がついています。喉元過ぎれば熱さ忘れるとは言いますが、人は辛いことを覚えていられないようになっているようです。コロナにも人は適応すると思いますよ。

変わるものと、変わらないもの。何が境界線になるのでしょうか。

楠木氏:ポイントは「本性必ずしも因習ならず」ということでしょう。人間の本性に反していても、「因習」として定着していることがあります。「通勤」はその一つかもしれません。リモートワークはコロナ後も残るはずです。面倒くさいことを嫌うという人の強烈な本性に即しているからです。会社に来なくても仕事ができることが分かれば、後戻りしたくないですからね。おいしいものを食べると戻れないのと一緒です。

 因習とは、あるコンセンサスが一定期間続いて「そういうもんだ」となったことですが、合理性に反していることが多い。日本には、そんな因習が多く残っています。もちろんいい面もあって、社会が安定的で協調性があり、暴動が少なく、落とし物が出てくる。

 その一方で、ハンコ文化やくだらない業務ルーティンもあります。公共、学校教育、医療などの社会インフラに近い領域にはそういった因習が多く、それらが改善されることはほぼ全員にとっていいことです。昔はハンコをついていたらしいぞ、となることを期待したい。情報格差で不利益が生ずるとか言いますが、そんな大層なものではないと思いますよ。昭和時代のホストコンピューターを操作するわけじゃあるまいし、今のデジタルツールは誰にでも使えるようにできています。

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