昼間のオフィスは「電気があるうちに何ができるか」を強く意識する環境でした。計画停電に加えて、突然の停電が襲ってきます。仕事の大半はパソコンなどの機器を必要としますから、とにかく「できるとき」に充電をして備える。
さらに、翌日、オフィスに来られるとは限りません。そのための準備も毎日しなければなりませんでした。
情報が断絶することの怖さも痛感しました。ある週末、宿舎のある村にいたときのことです。朝食をとっていたら、ドーンと音がして停電に。電話もつながらなければ、インターネットも利用できない環境に陥りました。こうなると情報収集ができず、周囲で何が起きているか分かりません。
「本職があっても支援活動に参加できる」
森川さんは、国境なき医師団での活動を本職としているわけではなく、お勤めをされています。
森川氏:現在は監査法人で働いています。有給休暇を取得してウクライナに向かいました。

「国境なき医師団」というと医師や看護師など医療従事者が紛争地で人々を支援している、というイメージだと思います。しかし、支援に携わっているのは医療従事者だけではありません。私のようなアドミニストレーターのほか、医療物資の配送を担うロジスティシャンなどがそれぞれの役割を果たしています。
国境なき医師団と皆さんとの契約はプロジェクト単位。けれども、プロジェクトAが終わったらプロジェクトBという具合に、契約を途切れさせない方が多いですね。
森川氏:そうですね。私の今回の派遣はアドミニストレーターとしては珍しいケースだと思います。国境なき医師団の仕事は医療従事者だけではないこと、そして、本職を持っている人でも支援活動に参加できることを自ら実践して示したいと考えました。私の経験を知り、挑戦する人が増えてくれればうれしいです。
実は私は05~15年、国境なき医師団での仕事を本職としていました。09~12年は主にアフリカで支援活動に携わりました。米国公認会計士の資格を取ったのを機に、これを生かして自分の専門性を高めようと監査法人に“転職”したのです。ただし「いつかまた国境なき医師団の仕事をしたい」という気持ちは残したままでした。
監査法人の採用面接で、「いつかまた国境なき医師団で」という気持ちを話したのですか。
森川氏:いえ、話していません(笑)。面接担当者に「いろいろ経験されていますね。ここでは腰を据えて仕事をしてくださいね」と言われたので。そのときは「はい」と答えました。
実は、国境なき医師団に入職する前は、中高一貫校で英語の教師をしていました。
今回ウクライナに行くことができたのは、いろいろなタイミングが合致したからでした。第1は、転職をしてからも、日本国内でのイベントなどへの参加を通して国境なき医師団オフィスとの連絡を取り続けていたため、私の条件に合う適切な海外派遣のオファーを受けたこと。第2は、私が携わっている本職のプロジェクトの業務量が少し落ち着いていたこと。
第3は、監査法人の上司が理解のある人だったことです。相談すると「(もう気持ちは決まっていて)行くのでしょ」と。それまでの付き合いの中で、私の考えや性向を理解してくれていたのだと思います。上司の上司も「クライアントに迷惑がかからないのであればかまわない」と言ってくれました。
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