薬を配送するトラックがドタキャン
ミコライウでのプロジェクトは医療物資の寄付と、砲撃で破壊された病院の修復支援が中心でした。地域の病院は稼働できる状態でした。医師も数人は残っている。しかし、薬をはじめとする物資は足りない。病院の建物は砲撃のため窓やドアを失った状態でした。冬が来る前に修復しておきたいという現地の要望がありました。
たいへんだったのは、首都キーウ(キエフ)からミコライウまで薬を運ぶトラックをみつけることです。道中で砲撃に巻き込まれる危険があるため、どこの運送会社も請け負いたがりません。
砲撃の警報が出れば、ガソリンスタンドも銀行も閉まってしまいます。冷蔵が必要な物資を運ぶ場合、燃料が切れれば物資の保存基準が守れなくなりかねません。
運んでくれる業者をようやくみつけたものの、ドタキャンされたことがありました。

病院を修復してくれる業者も、1社しかみつかりませんでした。1社だけだと、先方が提示する価格が妥当かどうか判断できません。そのため相見積もりを取るのですが、他社は、見積もりは出してくれても請け負ってはくれないのです。
現地スタッフの採用にも難渋しました。私が到着したとき、ミコライウの人口の半分が自主的に同地を退去していました。特に子供を持つ家族は安全を重視します。よって、残っている人の多くは、住み慣れたこの地に愛着を持つ高齢者で働き手にはなりづらい。働き手となり得る年齢の人なら誰でもよいわけではありません。ある程度の英語力が必要とされます。
明日の朝は会えないかもしれない…
森川さん自身の生活はどのようなものでしたか。
森川氏:チームのメンバーはウクライナ外から赴任したスタッフが3~4人。私のほか、フランス人のプロジェクト責任者、ブラジル人の医師、フランス人のロジスティシャン(物資配送の担当者)や薬剤師がそれぞれのタイミングで到着し、赴任期間を終えると帰国します。それに現地採用スタッフが12人でした。

ミコライウ市街のオフィスに、数キロ離れた村の宿舎から皆で車通勤する毎日でした。宿舎の周辺は静かできれいなものでしたが、毎晩のように市街地に砲撃。午前1時になるとドーン、明け方の午前5時にドーン。振動も大きく、体感では震度3くらいの激しさでした。そのたびに目を覚ますことになります。

午後9時になると村のルールで灯火管制が敷かれました。なので、自室にいて明かりが必要なときは、光が外に漏れないよう窓を毛布で覆う必要がありました。明かりが漏れると攻撃のターゲットになる可能性があるからです。

攻撃は昼間ではなく、夜に行われるのですか。
森川氏:昼間もありましたが、夜が多かったです。
なので、オフィスから宿舎に帰る前、現地採用スタッフのメンバーと別れる夕暮れ時、「Have a quiet evening」「I wish you a quiet night」と言い合いました。その日の夜にどこで何が起こるか分からないからです。次の朝、みんなの顔を無事に見られる瞬間は、非常に大切なひとときでした。

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