鄧小平時代に入り、中国は台湾への姿勢を「武力解放」から「平和統一」に転換した。しかし、台湾の蒋経国総統(当時)はこれを拒否。これに続く、李登輝、陳水扁の両総統(当時)は「中国との共存」「中国を刺激しない」方針をとったが、中国は独立を警戒して脅威を与え続けた。「李登輝が警戒された理由の一端は、司馬遼太郎との対談にあった」(東京外国語大学の小笠原欣幸教授)。

 (聞き手:森 永輔)

1996年の台湾総統選で勝利宣言する李登輝(写真:AP/アフロ)
1996年の台湾総統選で勝利宣言する李登輝(写真:AP/アフロ)

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台湾の人々が持つ70年間の経験は、日本人の経験とはかなり異なるのですね。このため耐性が違う。この70年、中台関係はどのような経緯をだどってきたのでしょう。

小笠原欣幸・東京外国語大学教授(以下、小笠原):ポイントをお話ししましょう。毛沢東時代の中国の方針は「台湾武力解放」です。冷戦期で、米国の力を背景に台湾の中華民国が国際連合(国連)に席を占めていることなどを、「帝国主義勢力が中国の国家と民族を分断している」と見なし、軍事力による解決を政策の柱に据えました。

<span class="fontBold">小笠原欣幸(おがさわら・よしゆき)</span><br />東京外国語大学教授。専門は比較政治学、台湾研究。<br />1958年生まれ。1981年、一橋大学社会学部卒業。1986年、同大学大学院社会学研究科博士課程修了(社会学博士)。東京外国語大学の専任講師、助教授を経て、2020年から現職。この間に、英シェフィールド大学や台湾国立政治大学で客員研究員を歴任。 主な著書に『中国の対台湾政策の展開―江沢民から胡錦濤へ』(共著)、『台湾総統選挙』(単著)など。 (写真:加藤康、以下同)
小笠原欣幸(おがさわら・よしゆき)
東京外国語大学教授。専門は比較政治学、台湾研究。
1958年生まれ。1981年、一橋大学社会学部卒業。1986年、同大学大学院社会学研究科博士課程修了(社会学博士)。東京外国語大学の専任講師、助教授を経て、2020年から現職。この間に、英シェフィールド大学や台湾国立政治大学で客員研究員を歴任。 主な著書に『中国の対台湾政策の展開―江沢民から胡錦濤へ』(共著)、『台湾総統選挙』(単著)など。 (写真:加藤康、以下同)

 これを、鄧小平が「祖国平和統一」へと改めました。1979年のことです。1981年には、平和統一を実現すべく第3次国共合作*の提案へと歩みを進めた。

*:国民党と共産党が協力すること

中国は武力解放から平和統一に転換したが

前回で説明していただいた「話し合い」による「平和統一」ですね。この過程で、一国二制度の考え方も登場しました。中国が2020年6月に香港国家安全維持法を成立させ、香港民主派への弾圧の度を高めた際に、「一国二制度」への言及が増え、この表現が人口に膾炙しました。鄧小平はもともと、台湾を念頭に置いて、「一国二制度」による返還後の香港の姿を構想していました。

小笠原:「一国二制度」は、大陸中国は社会主義、台湾は資本主義と別の制度でやっていこうという考えでした。

 当時、国民党のトップだった蒋経国は「三不政策」を取り、これを拒否しました。3つの「不」はそれぞれ「接触せず」「談判せず」「妥協せず」を意味します。

 鄧小平が提案する「一国二制度」の下で、台湾は軍事も司法も独自の組織・制度を持つことができるとされました。しかし、台湾は特別行政区であくまで地方政府の扱い、自治も完全なものではありません。

続きを読む 2/3 李登輝の「国連再加盟」「司馬遼太郎との対談」を警戒

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