三木武夫内閣は1976年、防衛費は国民総生産(GNP)比1%を「超えない」と閣議決定した(写真:Haruyoshi Yamaguchi/アフロ)
三木武夫内閣は1976年、防衛費は国民総生産(GNP)比1%を「超えない」と閣議決定した(写真:Haruyoshi Yamaguchi/アフロ)

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岸田文雄内閣は今年末に国家安全保障戦略を改定する。 海上自衛隊で自衛艦隊司令官を務めた香田洋二・元海将は、これを機に防衛装備品の開発・調達戦略を定めるきだと強調する。 スタンド・オフ・ミサイルの「国産」での開発が進む。果たしてその選択は正しいのか。その根拠はあるのか。 戦略なき、なし崩しの開発では、国民と政府、そして国民と防衛省・自衛隊との信頼感を失いかねない。

(聞き手:森 永輔)

なぜ、日本はこれまで国家防衛戦略を定めてこなかったのですか。

香田洋二・元海上自衛隊自衛艦隊司令官(以下、香田氏):的外れを承知で言えば、有事や戦争が今日ほどリアルでなかったからと考えられます。冷戦時代を振り返ると、ソ連の脅威はあったものの、ソ連にとって正面は欧州でした。かつ、米国の軍事力が圧倒的に強く、極東地域では抑止が強く働いていました。

香田洋二(こうだ・ようじ)
香田洋二(こうだ・ようじ)
海上自衛隊で自衛艦隊司令官(海将)を務めた。1949年生まれ。72年に防衛大学校を卒業し、海自に入隊。92年に米海軍大学指揮課程を修了。統合幕僚会議事務局長や佐世保地方総監などを歴任。著書に『賛成・反対を言う前の集団的自衛権入門』など。(写真:加藤 康)

 例えば、三木武夫内閣が1976年、防衛費は国民総生産(GNP)比1%を「超えない」と閣議決定しました。事実上の防衛予算1%シーリングの設定です。この決定は有事や戦争がリアルでなかったからこそできたと言えます。

 冷戦終結後は米国1強の時代となり、米国が提供する拡大抑止を破る力のある国はありませんでした。ソ連に取って代わったロシアも自国の立て直しに集中せざるを得なくなった。その後、「テロとの戦い」の時代に入ったものの、その震源の多くは中東と欧米で、日本は欧州ほど危機を感じることがありませんでした。

 この点が今は大きく異なっています。米国1強は中国の挑戦により既に崩れつつあり、脅威は日本のすぐ隣に存在します。

 リアリティーの程度が高くなかったことは、三木内閣の閣議決定から数えて約45年間にわたり継戦能力の向上に十分な予算を充当しないという負の効果ももたらしました。

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