欧米諸国から見ると、ロシアがこの戦争で核を使用することは戦略的に合理的ではありません。しかし、これら一連の行為により、欧米諸国は「戦略的に見て合理的であるかどうかを測る計算の仕方が、我々とロシアとでは一致しない可能性がある」と懸念し、この認識の齟齬(そご)・誤算・誤解が紛争をエスカレートさせ、核の使用につながる可能性があると懸念した。ロシアとの直接対決は第3次世界大戦へとエスカレートしかねないと考えていたわけですから、おのずと自制をせざるを得なくなるわけです。
「核戦争はもうない」との欧米の楽観に冷や水
欧米諸国は冷戦終結後、この認識の齟齬・誤算・誤解に基づく「意図せざるエスカレーション」こそ最大の核リスクと考えてきました。冷戦が終結したので、米国とソ連(ロシア)が戦争することはない。まして、核戦争を意図的にすることは双方ともにない。なので、管理し低減すべきリスクは、認識の齟齬・誤算・誤解に基づくエスカレーションである、と。
これに対して、ロシアが今回行ったのは「意図したエスカレーション」です。「核戦争はない」という欧米諸国の楽観につけ込み、冷や水を浴びせるやり方でした。
ただし、抑止されていたのは欧米諸国だけではなく、同様にロシア側も抑止されていたと言えます。米国はウクライナに攻撃の標的の情報を適時で提供していましたし、武器も供与していました。それに対してロシアは有効な対抗措置を取ることができていません。
またロシアによるシグナリングを欧米諸国が学習し、曖昧性を高めてきたシグナリングの抑止効果が減じてきたようにも見えます。高機動ロケット砲システム「ハイマース」の供与など、ウクライナへの支援が質・量とも一層強化してきたのは、支援体制が充実してきたことだけが理由ではないのではないでしょうか。
エスカレーションを抑止するためエスカレートさせる
時計の針を、ロシアがウクライナに侵攻した2月24日より前に戻します。バイデン米大統領は2月半ば、ロシアがウクライナに侵攻しても米軍を派遣する考えはないと明言していました。「第3次世界大戦」(バイデン大統領)にエスカレートするのを恐れての発言でした。 この時点で、ロシアの核は抑止力として効いていたのではないでしょうか。だとすると、なぜロシアは侵攻後、さらに核を持ち出したのでしょう。
秋山:もちろん、米国との直接の戦争を回避する、という意味でロシアによる核抑止は効いていました。これは戦略レベルでの核抑止です。
侵攻後に核使用を持ち出して恫喝(どうかつ)を行ったのは、「エスカレーション抑止のためのエスカレート(escalate to deescalate:E2DE)」、すなわち状況を一気に核レベルに引き上げて欧米諸国に介入を躊躇(ちゅうちょ)させることと、ウクライナ側に戦意を喪失させることを狙ったものではないでしょうか。ロシアは戦域レベルにおいてE2DEを意図し、戦況を有利に展開するために核の恫喝を実行したわけです。
ロシアが戦域レベルで核を威嚇に使った例は過去にあるのでしょうか。
秋山:それはありません。しかしロシアが14年にクリミア半島を併合した後、プーチン大統領がテレビ番組で「核兵器の使用を考えた」と発言しました。なので、選択肢としては常に持っており、プーチン大統領の発言はそのシグナルを発していました。このシグナルが、今回のウクライナ侵攻において米国の行動を慎重にさせる効果を持ったと思います。
E2DEの手段として核を持ち出したのは、ロシアが他に抑止の手段を持たないからでしょうか。つまり、焦っていた。
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