満州事変を起こした日本に、国際連盟は経済制裁を科すことができなかった(写真:AP/アフロ)
満州事変を起こした日本に、国際連盟は経済制裁を科すことができなかった(写真:AP/アフロ)

ロシアによるウクライナ侵攻が続いている。西側諸国は経済制裁を科し、ロシアの侵攻を止めたい意向だが、その効果のほどは明らかでない。実は、満州事変から日米開戦に至る過程で、当時の日本に対する経済制裁が企画・実行された。これらは日本軍の行動をとどめることはできなかった。それはなぜか。経済制裁の歴史を、波多野澄雄・筑波大学名誉教授に聞く。

(聞き手:森 永輔)

ロシアによるウクライナ侵攻の終わりが見えない状況です。2月24日から今日まで、この侵攻劇の軍事面・人道面に加えて経済面に人々の目が向けられてきました。経済面の要素の1つに経済制裁があります。今日は、波多野さんの専門である昭和戦史を振り返るとともに、経済制裁が効果を持ったのかどうか伺います。

波多野澄雄・筑波大学名誉教授(以下、波多野):日本が満州事変を起こして以降、日本に対する経済制裁が何度か試みられました。しかし、日本の大陸進出の方針を変えさせる大きな効果は上げられませんでした。

波多野澄雄(はたの・すみお)
波多野澄雄(はたの・すみお)
筑波大学名誉教授。国立公文書館アジア歴史資料センター長 慶応義塾大学大学院博士課程修了。博士(法学)。防衛庁防衛研究所(現・防衛省防衛研究所)所員、筑波大学社会科学系教授、同副学長、附属図書館長、米ハーバード大学客員研究員などを歴任し、2014年より現職。著書に『幕僚たちの真珠湾』(朝日新聞社)、『太平洋戦争とアジア外交』(東京大学出版会)、『歴史としての日米安保条約』(岩波書店)など。(写真:加藤康、以下同)

満州事変は経済制裁ならず、「極東に関わる余裕はない」

 日本が、国際連盟による経済制裁の対象に最初になりかけたのは1931年9月、満州事変*の開始に対してでした。中国が国際連盟に日本の非を訴え出たのがきっかけです。国際連盟は制裁発動を検討しましたが、結局、発動には至りませんでした。

*:関東軍が満州(現在の中国東北部)の主要拠点を占領した事件。同軍は奉天(現在の瀋陽)近郊の柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破。「中国側が爆破を実行した」として軍事行動を開始した

 理由は大きく2つあります。1つは国際連盟の常任理事国だった英国とフランスが日本に対して宥和政策を取っていたこと。1929年に始まった世界恐慌のダメージがいまだ癒えず、いずれの国も国内の立て直しで手いっぱいの時期です。英仏は遠く離れた極東の問題に積極的に関わりたくはありませんでした。

国際連盟の常任理事国も、現在の国際連合の常任理事国と同様に拒否権を持っていたのですか。

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