加藤さんはどこにいたのですか。

加藤:チヌークには操縦席が左右に並んで2つあります。進行方向に向かって右が機長席、左が副操縦士席。この2つの席の間、少し下がった位置にもう1つ席があります。私はそこに座って見守っていました。自分で操縦すると、先ほどの最終決断が疎かになりかねないので。

放水した水がターゲットである3号機に正しく当たっているかどうかは確認できましたか。第1回目の放水の結果を見て、以降の回の放水ポイントを変更したりするものでしょうか。

加藤:残念ながら私の席は、下が見えない位置でした。

 ただし、放射線量を測るために周囲を飛んでいたブラックホークが状況を知らせてくれました。これを参考に修正をするわけです。結果として、大きな修正は必要ありませんでした。

放水の効果は現場で実感できましたか。

加藤:できませんでした。3号機の姿は何も変わらないので。山火事なら、何度か水を撒いているうちに煙がなくなったり、炎が小さくなったりするので実感できます。しかし、原発は、そうした変化を見せてくれませんでした。

【編集注】

 火箱氏はヘリ放水の効果についてこう語る。「すぐに効果を検証することはできませんでした。しかし、放射線量が低下したと後になって知らされました。周囲に舞っていた放射性物質が水で拡散しない状態になったようです。懸念していた燃料プールにも水が入ったので、放射性物質が拡散する勢いをそぐことができました。これが、地上からの放水につながりました」

達成感なき放水

放水を終了した後、最初に感じたことは何ですか。

加藤:任務に参加した全員がケガすることもなく無事でよかったな、ということでした。

【編集注】

 3月14日の午前11時01分には、同じ3号機で水素爆発が起こり、自衛隊員が負傷している。加藤氏のチームが相対したのは、そんな相手だった

 任務終了後の健康診断で、浴びた放射線量はレントゲン検査3回分くらいと診断されました。この点も安心しました。

 任務中はずっと線量計を身に着けていました。限度を超えると音が鳴って警告するものです。これが警告を発することはありませんでした。

任務を遂行するにあたって、隊員を気遣うために何か工夫をしましたか。

加藤:特別なことはしていません。鉛の服などできる限りの準備はしていましたし、任務の要領も隊員にブリーフィングしていましたから。1つあるとすれば、「現場で放射線量が突然上がるなどした場合は自分が中止を判断して帰投する」と明確に伝えていました。私が隊長として最も重視したのは、先ほどご説明した、相馬沖で下した最終判断でした。

「達成感はない」と発言されていますね。それはなぜですか。

加藤:震災による被害の全体を見渡せば、何も変わっていないからです。その夜、霞目駐屯地に戻っても、地上から放水する体制が確立できているかどうか分かりませんでした。

 また、翌日も再び、放水に飛ぶ可能性もゼロではありませんでした。もしやるなら、より効果的な方法はないか考える必要があります。この日の任務が終わったからと言って、原発対応が終わったわけではなかったのです。

気が抜けない状態が続いたのですね。

加藤:災害派遣はそういうもの。仮に原発が落ち着いても、避難物資の搬送などほかの仕事が山積していました。被害に遭って食料もない人が周りにたくさんいましたから。

 我々はその晩、缶詰で食事を取りました。缶詰があるだけでも有り難い状況でした。現場で働く自衛官の中には、自分の分の缶詰を、被災して食料がなく困っている方に分けている者もいました。

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