3月17日、いざ放水へ

そして、3月17日が訪れます。前の晩はよく眠れましたか。

加藤:3時間くらい寝たでしょうか。

たった3時間ですか。

加藤:机上のシミュレーションを深夜、日付が変わるくらいまでしていました。放射線量に応じて、どれくらいの高度をとれば被ばくを抑えることができるか、といったことをケースごとに試算する作業です。

 その後、宿舎代わりのテントに戻って寝ました。災害派遣中は1つのテントに2人で泊まりました。訓練であれば、隊長は1人で1つのテントを使えるのですが。テントの中には高さ50cmほどの簡易ベッドがあり、その上で寝袋に入って寝ました。

3月の東北。屋内といってもテントの中で寝袋。寒かったことでしょう。

加藤:翌朝は3時ごろから起き出して、4時からチヌークの飛行前点検に当たりました。

そして、いよいよ出発のとき。

加藤:霞目駐屯地を飛び立ったのが午前8時58分。南に進路を取り、福島第1原発に向かいました。

放水を最終決断したのは、どの時点でしたか。

加藤:福島県相馬市にある火力発電所付近を通過するころでした。放水を始める10分くらい前です。先発して、原発周辺の放射線量を測っていた「UH-60(ブラックホーク)」から報告があり、被ばくすることなく放水できることが確認できたからです。

気持ちに変化はありませんでしたか。

加藤:なかったですね。やる(編集部注:放水する)つもりで出発し、測定された放射線量も予定通り。ならば「やる」という感じでした。

水はどこで汲んだのですか。

加藤:原発の沖、2kmほどのところです。

水を汲み、いよいよ福島第1原発第3号機を目指しました。

加藤:水を汲んでから原発まではほんの数秒です。3月14日に水素爆発を起こしている3号機の姿は、屋根のない家という感じでした(記事冒頭の写真を参照)。

ヘリはどの方角から原発に向かったのですか。風が強かったそうですね。

加藤:福島第1原発の南東から時速30kmほどで入りました。高度はおよそ90m。西寄りの風、秒速10m以上の強風が吹いていました。

西寄りの風なら、福島第1原発の南西から入る方がよかったのでは。風上にいる方が、放射線の影響も避けられるし、放った水も3号機に当てやすいのでは。

加藤:福島第1原発では1号機~4号機が南北に並んでおり、その西側に大きな煙突が立っているのです。なので、1号機~4号機の西側から回り込むことはできない状況でした。

風向きが変わるのを待つとか、風がやむのを待つとかはできなかったのですか。

加藤:その選択肢もありませんでした。風向きが変わる予報は出ていませんでしたし、我々とは別に地上での作業が進んでいました。彼らの頭の上から水を撒くことはできません。また暗くなったら下が見えないので、撒けないですし。

いろいろな制約条件の下での放水だったのですね。強風の中、最後は放水ボタンを押すタイミングが重要になります。

加藤:それは機長と整備員が連絡を密にとって決め、実行しました。山火事への対処と同じ要領です。3号機に近づくまで、機長は3号機を見ることができますが、チヌークの後方部分にいる整備員は3号機を見ることができません。一方、水を撒く瞬間、整備員は直上から3号機を見ていますが、機長の位置から3号機を見ることはできません。

 そして整備員が野火消火器材I型の弁を開くスイッチを押しました。彼らはチヌークの後方部分の床にタングステンシートを敷き、その上に寝そべってハッチから下を見ながら作業しました。

 タングステンシートは1畳ほどの大きさで、ちょうど人1人分くらいの面積。密度が高い素材なので、かなり重かったことを記憶しています。

 海水を汲んで、撒く。これを2機のヘリで2回繰り返しました。1回当たり約7.5t、合計約30tの水を撒きました。

次ページ 達成感なき放水