2011年3月11日に起きた大地震と津波は、福島の原子力発電所にも重大な被害をもたらした(写真:TEPCO/ロイター/アフロ)
2011年3月11日に起きた大地震と津波は、福島の原子力発電所にも重大な被害をもたらした(写真:TEPCO/ロイター/アフロ)

(「 福島第1原発2号機にホウ酸をまけ! 幻で済んだ自衛隊決死の作戦 」も併せてお読みください)

 2011年3月11日、東日本を未曽有の大地震が襲った。津波は家々を押し流し、人々から大事なものを奪い去った。その光景は今も私たちの目に焼き付いて離れない。加えて大地震は、目に見えない恐怖も引き起こした。福島第1原子力発電所の事故だ。

 この危機対応に奮闘した一人に、自衛隊の飛行隊を率いた加藤憲司氏がいる。17日に実施したヘリコプターからの放水を現場で指揮した。直前に水素爆発を起こした原発に水を撒くという世界で類を見ない“作戦”だった。地震の発生から放水の完了まで、加藤氏は何を見、何をしたのか。(聞き手 森 永輔)

加藤さんは2011年3月17日、全交流電源喪失に陥った福島第1原発の3号機に自衛隊がヘリコプター放水をした際、飛行隊の隊長として現場で指揮を取りました。震災対応はどのように始まったのですか。

加藤:3月11日に大地震が起きたのを受けて、その日の夕方、ヘリコプター「CH-47(チヌーク)」で木更津駐屯地を飛び立ち、仙台の霞目(かすみのめ)駐屯地に向かいました。当時、私は中央即応集団(CRF)隷下の第1ヘリコプター団第1輸送ヘリコプター群第104飛行隊の隊長をしていました。操縦士や整備員など15~16人がチヌーク3機に分乗して移動しました。このときは、普通の災害派遣ということで原発に放水することになるとは思っていませんでした。

被災地の状況を見て、どう思いましたか。

<span class="fontBold">加藤憲司氏</span><br> 2011年3月11日には、陸上自衛隊中央即応集団(CRF)隷下の第1ヘリコプター団第1輸送ヘリコプター群第104飛行隊の隊長を務めていた(写真:尾苗 清)
加藤憲司氏
2011年3月11日には、陸上自衛隊中央即応集団(CRF)隷下の第1ヘリコプター団第1輸送ヘリコプター群第104飛行隊の隊長を務めていた(写真:尾苗 清)

加藤:実はこの日、私は被災地を見ていないのです。ヘリから見下ろす仙台周辺はただただ真っ暗でした。それもあり得ないほどの暗闇です。仙台の街だけではなく、仙台空港や霞目飛行場のライトさえ消えていました。

 被災地の姿を見たのは翌3月12日。仙台からほど近い多賀城駐屯地(多賀城市)の状況を確認するため、車で移動したときでした。そこには言葉では言い表せない光景が広がっていました。津波の影響で道は泥だらけ。半ば流された家がそこかしこに。道路の脇には押し流された車が2台、3台と積み上がっていました。

「ほかにできる人間はいない」

原発対応の命令はいつ下ったのですか。

加藤:発災から4日後の3月15日、空中放水準備の指示がありました。これは想定外でした。自衛隊の任務に原子力災害派遣がありますが、これは避難民の誘導や要介護者の搬送などを想定したものです。原発に放水するなど、原発に直接関与することは当時想定されていませんでした。

「嫌や」と言うこともできたのですか。本来、想定されていない任務です。

加藤:そういう選択肢はまったく頭に浮かびませんでした。原発に異常が起きていることは報道で知っていました。3月12日に水素爆発も起きていたわけですし。そのままにしておけば大惨事になりかねない。自分たちがヘリから水を撒くことで危機を押しとどめることができるならば、としか考えませんでした。ほかにできる人間はいなかったのですから。

 確かに危険な任務だったのですが、誤解もあります。当時、一部の新聞などが「特攻隊」と表現しましたが、決してそのようなものではありませんでした。危険を排除すべく、様々な準備をしたうえで実行したのです。

 チヌークの操縦席の下には鉛の板を敷き、放射線を通さないようにしました。整備員が作業をするスペースにはタングステンシートを敷いて遮蔽しました。さらに、鉛の服なども着けて臨んだわけです。「生きるか、死ぬか」という状況でやったわけではありません。

【編集注】

 加藤氏はこう語るが、当時の陸上自衛隊制服組のトップ、陸上幕僚長を務めていた火箱芳文氏は次のように振り返る。

 「ヘリによる放水は命がけの任務でした。1回当たり7.5tもの水が原発にドーンとかかるのです。その圧力で原子炉に負担が生じるかもしれない。そうなれば、かえって壊すことにつながりかねません。何が起こるのか分からない。誰もやったことがないのですから」

命令を伝えたとき、部下である隊員たちの反応はどうでしたか。

加藤:隊員たちからも嫌がる声は上がりませんでした。

続きを読む 2/6 実はヘリ4機が連携した放水チーム

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