プーチン大統領は、ウクライナ侵攻と同じことをジョージアでもしていた(写真=AFP/アフロ)
プーチン大統領は、ウクライナ侵攻と同じことをジョージアでもしていた(写真=AFP/アフロ)

ロシアがウクライナに侵攻し、国際秩序に挑戦――。こうした見方を目にする機会が増えた。だが、本当にそうか。戦争史研究の重鎮、石津朋之・防衛研究所戦史研究センター長は「プーチン大統領には当初その意図はなかった」と分析する。しかし、戦闘が長引き、西側諸国が支援を拡大する中で「行きがかり上、挑戦することになってしまった」。それは、どういうことなのか。ロシアの動きに触発されて、中国が国際秩序に挑戦することはないのか。

(聞き手:森 永輔)

ロシアがウクライナに侵攻してから約1年がたちます。これを機に、この出来事が戦争史において持つ意義と今後の展開について考えていきたいと思います。

 歴史的意義を考えるときのキーワードの1つが「国際秩序」です。「ロシアは、第2次世界大戦後の国際秩序を変えようと挑戦している」との見方があります。第2次大戦終結後、国際社会は武力行使の禁止を国連憲章で改めて明文化した。これに対して、ロシアはウクライナに軍隊を送り、禁を破りました。

 ましてロシアは、国連安全保障理事会の常任理事国です。安保理は「平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在」の有無と、「国際の平和及び安全を維持し又は回復するために(中略)いかなる措置をとるか」を決定する重要な場。その安保理で拒否権を持つ常任理事国は、他の加盟国以上に大きな責任を負う立場です。であるにもかかわらず、国連憲章が禁止する武力行使に及びました。

 ロシアは、この第2次大戦後の国際秩序を変えるべく挑戦したのでしょうか。

石津朋之・防衛省防衛研究所戦史研究センター長(以下、石津氏):私は、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が戦後の国際秩序に意識的に挑戦したとは考えていません。ここでいう国際秩序は「平和」と言い換えてもよいでしょう。

石津朋之(いしず・ともゆき)
石津朋之(いしず・ともゆき)
防衛省防衛研究所・戦史研究センター長。専門は戦争学、平和学、世界戦争史、戦略思想。1984年に獨協大学卒業。英ロンドン大学キングス・カレッジ(KCL)大学院の修士課程を修了した後、93年4月、防衛庁(当時)防衛研究所に入所。英王立防衛安全保障研究所(RUSI)客員研究員やシンガポール国立大学客員教授を歴任。著書に『大戦略の思想家たち』、訳書に『文明と戦争』など。(写真:菊池くらげ)

 ロシアは、NATO(北大西洋条約機構)の東方拡大に恐怖を感じ、保身の行動を取ったのだと思います。ウクライナはソ連(当時)を構成する共和国でしたし、兄弟国とみなしてきた経緯もありますから。さらに、NATの東方拡大は独ソ戦(編集部注:第2次大戦におけるソ連にとっての欧州戦線)をほうふつさせるものであったとも思います。もちろん、だからといってロシアの行動を正当化するわけではありません。

 しかし、プーチン大統領の予想に反して戦闘期間が延び、西側諸国が介入の度を強めてきました。いまだ収束の展望は見えない。そのような状況に陥り、行きがかり上、国際秩序に挑戦することになってしまったのだと思います。そして現在、プーチン大統領は引くに引けない状況にあります。戦果なく撤退することになれば、政権が崩壊しかねません。

 ロシアはこの先、国際社会において孤立の度を深めていくでしょう。ロシアと中国が協力関係を深めるとの見方があります。けれども私は、中国がロシアと共に民主主義陣営と決定的に対立することはないと考えます。よって、ロシアだけが孤立していく。

実は、当初は国連憲章に沿っていたロシアの行動

お話を順に確認していきます。

 プーチン大統領は昨年2月の時点においては、国連憲章が禁じる武力行使をし、ウクライナを侵略する意図はなかった――。実は私も、プーチン大統領が初めから国際秩序への挑戦を意図していたとの見方には違和感を覚えていました。ロシアが国連憲章の定めに沿った動きをしていたからです。すなわち、国連憲章が認める「集団的自衛権」を行使し、その事実を「国連に報告」しました。

 大阪大学の和仁健太郎教授が論文で、ロシアの国連代表が侵攻の当日、国連事務総長宛てに書簡を送り、それにプーチン大統領が同日に行った演説の原稿を添付していたことに言及しています。演説の中で同大統領は、国連憲章第51条に基づいて特別軍事作戦を実行したと述べています。

国連憲章 第51条
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。

 プーチン大統領によると、ロシアに集団的自衛権を発動するよう要請したのは、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国。どちらもロシアが一方的に独立を承認しているだけで国際社会が認める国家ではありません。さらに国連加盟国でもない。2つの人民共和国で活動する親ロシア派武装勢力とウクライナ政府との内戦を前者に対する武力攻撃とみなすことにも問題があります。

 よって、この主張は国連憲章の規定を満たしているわけではなく詭弁(きべん)です。とはいえ、集団的自衛権は国連憲章が認める権利であるし、規定通り国連に報告している。国連や国連憲章の存在を無視して行動したわけではありません。

次ページ “大祖国戦争”を放り出せばプーチン政権