就任演説をするバイデン大統領。健康不安は全く感じられなかった(写真:AFP/アフロ)
ジョー・バイデン氏が1月20日、米大統領に就任した。バイデン大統領はどのような外交・安全保障政策を取るのか。内閣官房副長官補兼国家安全保障局次長として日本の安全保障政策の司令塔役を担った兼原信克氏に聞く。同氏は外務省で日米安全保障条約課長の経験も持つ。「対中関係は権力闘争」「イランとは新たな核合意があり得る」「日米間の核シェアリングが浮上する可能性がある」「尖閣諸島をめぐり日中は一触即発」とみる。(聞き手:森 永輔)
ジョー・バイデン氏が1月20日、第46代の米大統領に就任しました。バイデン政権の外交・安全保障戦略について、対中国、対中東、対北朝鮮、対日本の順にうかがいます。
まず対中政策の展望を聞かせてください。
兼原信克(かねはら・のぶかつ)
同志社大学特別客員教授。1959年生まれ。1981年に東京大学法学部を卒業し、外務省に入省。内閣官房内閣情報調査室次長、外務省国際法局長などを歴任した後、2014~2019年10月に内閣官房副長官補兼国家安全保障局次長。著書に『戦略外交原論』『歴史の教訓:「失敗の本質」と国家戦略』などがある。(写真:加藤 康、以下同)
兼原:大きく2つの動きがみられると思います。第1は、トランプ政権が強く示した「反中バイアス」がなくなること。ドナルド・トランプ大統領(当時)は新型コロナウイルスの感染拡大を中国のせいにし、激しく責めました。実を言えば、自身も対コロナ政策は失敗しています。約40万人もの死者を出したわけですから。しかし「自分のせい」とは言えません。このため、中国に責任を押しつけているのです。
こうした反中バイアスの根源は、トランプ政権の中心にいた「ディープブルー・チーム」です。マイク・ポンペオ国務長官(当時)、ピーター・ナバロ大統領補佐官(同)、『China 2049』の著者であるマイケル・ピルズベリー氏などが代表ですね。彼らは共和党の中でも特に激しい対中強硬派でした。彼らの主張が「普通」に聞こえるほど、同政権は反中に傾いていたのです。
バイデン政権になり、彼らがいなくなることで「反中バイアス」はなくなります。ただし、だからと言って、バイデン政権が対中政策を大きく転換するとは思いません。
米中関係の本質は権力闘争
識者の話を聞いていると、「バイデン政権になっても対中政策の大きな転換はない」という見方と、「バイデン政権になったら対中政策は変わり得る。過去にはニクソンショックがあった」という見方に分かれます。兼原さんは前者の見方ですね。
兼原:大きな転換はないとみるのは「最近の中国はおかしい」という見方が米国内で定着したからです。特に習近平(シー・ジンピン)政権についてです。
同政権は2017年10月の共産党大会で、建国から100年となる2049年頃までに経済、軍事、文化など幅広い分野で世界のトップをめざし、米国と並び立つ強国となる方針を示しました。これに沿って、技術・産業面では「製造️2025」を立案。南シナ海では軍事拠点化を進めています。
中でも米国を怒らせたのは香港への弾圧です。これは「一国二制度」の約束を反故(ほご)にするものですから。香港への姿勢は新疆ウイグル自治区での弾圧にもつながります。こうした一連の動きが、中国に対する米国の見方を変えました。
加えて、米中間で権力闘争が始まったことが大きい。これが第2の動きです。中国は経済力をどんどん強めており、2028年にもGDPで米国に追いつく見込みです。米国は、自らが強いときは「公正な自由貿易」を掲げますが、自らの地位が危うくなると“プロレス”モードに変わり、相手をたたきにきます。日本も1980年代に経験したことです。おかげで日本の半導体産業は大きなダメージを受けました。プラザ合意で締め上げられ、その後の円高でたいへんな苦労をしました。いま中国が同じことを経験しているのです。中国は米国の変化にびっくりしていることでしょう。
大国間関係の本質は「権力闘争」です。「自由貿易の建前」がいつまでも続くわけではありません。この点はトランプ政権であれ、バイデン政権であれ変わりません。気候変動問題や核不拡散問題などで一定の協力は始まるでしょうが。
米国は第1次世界大戦までモンロー主義を奉じていたため、国際関係における権力闘争から距離を置いていたと思われるかもしれませんが、決してそんなことはありません。19世紀に至るまでは列強に囲まれ、国家の存亡に危機感を抱かざるを得ませんでした。北に位置するアラスカは当時ロシアでした。南はスペイン。ルイジアナはフランス領でした。カナダはイギリス領です。若い独立当時の恐怖の経験は、いまも米国の生存本能にしみついています。
本質的な対立は今後も続くわけですね。
ただ、米民主党は制裁関税について、昨年の大統領選の課程で発表した党綱領のなかで次のようにうたっています。「自己破壊につながる一方的な関税戦争に訴えたり、新冷戦のわなに陥ったりすることなしに、行動を是正するよう中国に訴えていく。自滅的な関税戦争などの誤った手法は、中国の力を実際より大きく見せ、米国の政策を必要以上に軍事に偏らせ、米国の労働者に害をなすだけだ」。何かしらの妥協が成立する余地はあるでしょうか。
兼原:半導体や次世代通信規格5Gをはじめとする先進ネットワークの分野で米国が妥協することはないでしょう。安全保障に関わりますから。ただし、制裁関税を材料にして気候変動問題での協力を引き出すという取引はあり得ると思います。
バイデン政権は台湾を見捨てない
米中関係でこれからさらにホットになりそうなのは台湾問題ですね。最近、トランプ政権が内部文書に「中国が主張する第1列島線内*も防衛の対象とする」と明記していたことが報道されました。台湾が防衛の対象になることを示します。トランプ政権による台湾への武器売却は質・量ともこれまでの政権を上回ります。中国はこうした米国の動きに強く反発しています。
*:中国が考える防衛ラインの1つ。東シナ海から台湾を経て南シナ海にかかる
兼原:トランプ政権は11回にわたって台湾に武器を売却しました。バイデン大統領は「もう十分」と考えているかもしれません。しかし、だからと言って、民主化した人口2300万の台湾を見捨てることはありません。そうした選択をすれば政権がもたないでしょう。
中国が近い将来に軍事力を使って台湾を統一することは考えづらいです。いまの状況で米国に反撃されれば中国が負けるのは必定です。
しかし、今後10年のスパンで考えると、全くないとは言えません。中国は「例えば2週間で台湾武力統一を完了できる」と判断したときには、実行する可能性があると考えます。米本土やハワイから米軍が駆けつけるまでに完了できるからです。
米軍による台湾防衛は、日本の防衛とは様相が異なります。まず米軍は台湾に駐留していません。台湾関係法はあるものの同盟国ではないので、本格的な軍事演習もしていません。日米に比べ、関係がずっと弱いのです。
台湾が置かれた現状は、冷戦期の北海道と同じです。一度、ソ連(当時)に取られたら、取り戻すことは難しい。なので日本は「米軍が到着するまで、なんとしてでも持ちこたえる」必要がありました。このため、陸上自衛隊と航空自衛隊の主力が北海道にいたのです。
中国が軍事力を当面使わないとするなら、バイデン政権の対台湾政策は現状維持でしょうか。
兼原:表に出る動きはないと思います。しかし、水面下では見直しがあるかもしれません。中国は準備を着々と進めています。「香港で行われたことは、次は台湾で行われるかもしれない」と考えられるので、台湾を放っておくことはできません。
「台湾を守る」と明言しない米国の「あいまい政策」について疑問視する向きもあります。米国が「台湾を守る」と言えば、中国がかたくなになり、戦争準備を一層進める可能性があるため、米国はあいまい政策を取ってきました。しかし明言しなくても、中国は一貫して台湾侵攻準備を進めています。
親イスラエルは修正転換、イランとは新たな核合意があり得る
次に中東政策についてうかがいます。トランプ政権は極端な親イスラエル政策を推し進めました。エレサレムをイスラエルの首都と認め、米大使館を移転。アラブ首長国連邦(UAE)やバーレーン、スーダン、モロッコといった国々とイスラエルを仲介し国交正常化を実現しました。バイデン政権はこの姿勢を転換するでしょうか。
兼原:変えると思います。トランプ大統領(当時)が親イスラエルの姿勢を取ったのは、福音派など米国内の宗教保守層の票が欲しかったからです。大票田ですから。この票は共和党の固い地盤で、民主党に流れることはありません。したがって、バイデン大統領がこの層に気を使うことはないと思います。
ならば、駐イスラエル大使館をテルアビブに戻すこともありますか。
兼原:それは難しいでしょう。一度、変更したことを元に戻すのは容易ではありません。
もう1つの大きな注目点はイランです。核合意に復帰する可能性はありますか。
兼原:こちらはあり得ると思います。オバマ大統領(当時)が一度実現したことですから。加えて、民主党は核抑止力の強化にはあまり熱心ではないものの、核不拡散には熱心です。
イランは石油収入の回復を求めています。制裁が科せられるまでは、ざっと年間3兆円ありました。なので、これを回復すべく、何かしらの合意が可能です。イランは賢く、まだ核兵器を保有していません。20%まで高めたウラン濃縮度を再び下げ、査察を受け入れれば、妥協が成立し、石油の輸出が再開できます。
イランと西側との対立のタネは核もありますが、ミサイル開発や周辺国の武装組織への支援にも大きなウエイトがあります。イランはミサイル開発については妥協しないでしょう。核兵器についても、イスラエル、ロシア、インド、パキスタンなど多くの周辺国が配備していますから、最終的に諦めることはないでしょう。
武装組織とはイラクのシーア派民兵、シリアとレバノンのヒズボラ、イエメンのフーシなどです。このうち、フーシへの支援は交渉カードとして切るかもしれません。対抗関係にあるサウジアラビアへの嫌がらせで支援しているだけですから。何らかの合意をするか、交渉に入って引き伸ばすくらいの技は使ってみせるでしょう。
米韓核同盟ができ、日本が取り残される悪夢
核問題つながりで北朝鮮政策についてうかがいます。
兼原:北朝鮮はイランと異なり核兵器を保有してしまいました。保有していない間は、金銭的な支援を取引材料にすることができました。しかし、保有してしまうと、米国も妥協はできません。「核兵器はどこにある」というところから交渉を始めなければならない。そうでないと北朝鮮の核保有を認めることになってしまいます。ヨンビョンの核施設を始末するくらいではすまないのです。
ただし米国も、北朝鮮を抑える有効な手段を持っているわけではありません。交渉しても北朝鮮は核兵器を捨てはしません。といって交渉しなければ、勝手に開発を進めてしまいます。
そこで、米国が真剣に検討する可能性が浮上するのが、日本・韓国と米国との核シェアリングです。
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