ノーベル平和賞を受賞する、広島被爆者のサーロー節子氏(中央)と、ICANのベアトリス・フィン事務局長(右)(写真:AFP/アフロ)
核兵器禁止条約が今日1月22日に発効する。現時点で86カ国が署名、51カ国が批准している。「50カ国の批准」というハードルを越え発効に至った。この条約は世界の平和にどのような意義を持つのか。核兵器が持つとされる抑止力をどのように補うのか。同条約の採択に尽力し、2017年にノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)で国際運営委員を務める川崎哲氏に話を聞いた。
(聞き手:森 永輔)
核兵器禁止条約が今日1月22日、いよいよ発効します。この条約の内容と意義を改めて教えてください。
川崎:核兵器禁止条約は、核兵器を「つくる」「持つ」「使う」「使うと脅す」ことを禁止するものです。加えて、これらのことを「援助」「奨励」「勧誘」することも禁じます。つまり核兵器を保有・使用することはもちろん、核の傘*に入り核保有国に頼ることも違法とする国際法です。
*:米国などの核保有国が、同盟国を防衛するに当たって、核兵器を使用すること
川崎哲(かわさき・あきら)
NGOピースボート共同代表、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)国際運営委員。恵泉女学園大学で非常勤講師として「軍縮と核」を取り上げている。著書に『核兵器はなくせる』(岩波ジュニア新書)など(写真:加藤康、以下同)
対人地雷全面禁止条約(オタワ条約)やクラスター爆弾禁止条約(オスロ条約)が発効することで、これらの兵器の生産、取引、使用が激減しました。核兵器もこうした禁止の対象となるのです。
核兵器禁止条約の発効により、新たな国際規範が生まれます。金融機関の間では既に、核兵器開発に携わる企業への融資や投資をやめる動きが出始めている。こうした動きを後押しできます。
核兵器禁止条約は「核兵器不拡散条約(NPT)」の実効性を高めるものでもあります。両者は二者択一の関係にあると主張する向きがありますが、それは誤りです。NPTは核保有国に対し「誠実に核軍縮交渉を行う義務」を定めています。核兵器禁止条約はNPTを履行するための取り決めでもあるのです。
この条約が2017年7月に採択されるまでには、広島・長崎の被爆者、そして核実験の被害者のおよそ75年に及ぶ悲痛な叫びがありました。彼ら・彼女らは「自分たちのような苦しみを二度と味わわせてはいけない」との思いを、核兵器禁止条約に関わる国際会議をはじめとする様々な場で訴え続けてきたのです。これが122カ国からの賛成を引き出し、今日の発効につながりました。これらの人々はいずれ亡くなり、その経験を自ら語ることはできなくなります。しかし、核兵器禁止条約は存在し続け、世界の国々をしばり続けます。
被爆者たちの力強い発言は今も社会にこだましています。核兵器禁止条約に参加し核兵器を廃絶するようすべての国に求める署名活動が日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)などの呼びかけで行われてきました。この5年で合計1370万以上の人たちの署名が国内外から集まりました。
核兵器禁止条約の発効は「核なき世界」へのスタートです。私たちはこの条約をツールにして、核兵器の「禁止」から「廃絶」へと歩みを進めていきたいと考えています。
締約国を100に増やす
核兵器の廃絶に向けてどのような取り組みをする予定ですか。
川崎:今後3年間をめどに次の4つの取り組みを進めていきます。第1は締約国を拡大する、第2は条約の履行を確実にする、第3は核の傘にいる国の中からまず1カ国を加入させる、第4は「核兵器は悪」との認識を広める、です。
4つの取り組みについて順におうかがいします。第1の締約国拡大は数の目標がありますか。どのようにして拡大させるのでしょう。
川崎:まずは締約国を100にしたいと考えています。国連に加盟する国は現在193カ国あります。その過半数となることには大きな意義があります。締約国を100にするには、まず署名国を100にする必要があります。
これを実現するために、各国の外交官や外務省に働きかけていきます。ICANはスイスのジュネーブに本部があり、米ニューヨークにも拠点を持っています。それぞれに3~4人、2~3人の担当者を配置して、国連機関に詰めている各国の外交官への説明、説得を続けていきます。外交官の中には、核兵器禁止条約の意義を理解しても、締約国になった場合の財政的負担や追加的義務を懸念する人がいます。こうした人たちに「お金はかからない」ことなどを説明します。話を聞いてほっとする人もいますよ。
ジュネーブとニューヨークに加えて、各国の首都での働きかけや、地域単位で複数国への説明、説得もしています。今後は、各国や地域単位の取り組みに特に力を入れていきます。
批准している51カ国の分布を見ると、「非核兵器地帯」*に入っている国が多いですね。署名・批准のハードルが比較的低い国は既に締約国になっている。とすると、100カ国というのは難しい目標ではありませんか。
*:域内の国が、核兵器の生産、取得、保有などを禁止する地域。トラテロルコ条約(ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約)、ラロトンガ条約(南太平洋非核地帯条約)、バンコク条約(東南アジア非核兵器地帯条約)、ペリンダバ条約(アフリカ非核兵器地帯条約)、セメイ条約(中央アジア非核兵器地帯条約)などの条約があり、それぞれの地域を核兵器のない地帯にしている
川崎:いえ、そんなことはありません。それほど時間をかけずに実現できると考えています。
世界の国々は3つのグループに分かれます。第1は9つの核保有国。第2は核の傘の下にあり、核保有国に依存している約30カ国。第3は核兵器と無縁の残りの150以上の国々です。
第3のグループは、2014年に「核兵器の非人道とその不使用」を訴える国連の共同声明に加わった国などですね。155カ国*ありました。
*:これには、第2グループに属す日本も参加している
川崎:そうですね。この第3のグループは条件さえ整えば、加わることができると見ています。
指摘された非核兵器地帯に現在入っている国は全部で120カ国近くあります。なので、このうち、まだ署名していない国々が加入するだけでも100をクリアーすることができます。
第2の履行についてはどう進めますか。
川崎:締約国は、核兵器の廃棄と検証、国内法の整備、締約国会議への参加などの義務を負います。これを検証する仕組み、違反していないか監視する仕組みが締約国会議で議論されることになります。同会議は、第1回が今年12月もしくは2022年1月に開かれます。その後は2年に1度、定期開催される予定です。
核兵器禁止条約は、核兵器の禁止とならんで、核兵器の使用や実験で被害を受けた人たちへの援助を柱に据えています。被害には人的なものもあれば、土壌汚染などもあります。これらへの援助をどう進めるか、締約国会議で行動計画をつくってもらいたいと考えています。
日本は被爆国の経験をオブザーバーとして生かせ
第3の、核の傘の下にある国を加入させる、は難しそうですね。日本もここに含まれます。
川崎:日本政府は被爆国として、この条約に署名・批准すべきであり、政府や国会議員にそう求めていきます。しかし政府の発言や与野党の議論を見ていると、すぐには署名・批准しそうにありません。そこでまず、日本には締約国会議に「オブザーバー参加」するよう求めたいと思います。これには与党である公明党の山口那津男代表も同調しています。それが将来の加入に向けた第一歩になると思います。
日本政府の姿勢
我が国は、唯一の戦争被爆国として、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードする使命を有しており、核兵器禁止条約が目指す核廃絶というゴールは、共有しています。
一方で、核兵器のない世界を実現するためには、核兵器国を巻き込んで核軍縮を進めていくことが不可欠ですが、現状では、同条約は米国を含む核兵器国の支持が得られていません。さらに、多くの非核兵器国からも支持を得られていません。
我が国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増す中、抑止力の維持・強化を含めて、現実の安全保障上の脅威に適切に対処しながら、地道に、現実的に、核軍縮を前進させる道筋を追求していくことが適切であると考えています。
こうした我が国の立場に照らし、同条約に署名する考えはなく、また、御指摘の会議へのオブザーバー参加については、慎重に見極める必要があると考えています。(「令和3年1月4日菅内閣総理大臣記者会見終了後の書面による質問と回答」から抜粋)
日本はオブザーバー参加することで、同条約に加入しなくても2つの貢献ができます。1つは、核兵器の廃棄に関する検証制度づくりに協力すること、もう1つは、核実験の被害者に対する援助を行うことです。
廃棄の検証への協力は日本自身のメリットにもなります。仮に米国と北朝鮮が今後、北朝鮮の核廃棄で合意したとしましょう。その検証を米朝両国だけに任せるのでしょうか。日本も参加できる国際機関をつくり、そこの専門家が検証を担う方が安心できるのではないでしょうか。
被害者への援助は、世界で唯一の戦争被爆国である日本ならではの貢献ができます。日本は1945年に広島と長崎に落とされた原爆被害者を救済すべく、被爆者援護法(正式名称は「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」)などを定め、様々な援助を講じてきました。この経験が生かせるのです。
援助をするためには、まず被害者を特定する必要があります。日本は被爆者援護法で、被爆者の条件を定義しました。例えば、①原爆が投下されたときに爆心地に近い政令で定める地域にいた、②原爆投下時は爆心地から離れた場所にいたが政令で定める期間内に爆心地近くに入った、③胎児を含む、という具合です。
日本の知見が生かされなければ、例えば、定義の③に関連して「胎児が被害者として認められない」といったことが起こり得るわけですね。
川崎:おっしゃる通りです。
日本でも、政府が被爆者の範囲を狭く捉えようとするのに対して、広島・長崎の人々がより広範な認定を求め、争いになってきました。「黒い雨」が降った広範囲の地域の人々にも十分な援助をすべきであるとか、原爆症の認定のあり方を見直すべきだといったことをめぐり、被爆者と政府の間で裁判が続いてきました。
原爆症については、例えば被爆者ががんにかかったとして、その原因が放射線にあるのか、喫煙などの他の要因にあるのかを個体ごとに証明することは困難です。なので、疫学的手法を用いて広範囲に救済の網をかけるよう被爆者は求めてきました。
タヒチには、フランスが実施した核実験の被害者が数多くいます。彼らから、日本の被爆者が補償を求めて日本政府を相手に行った裁判についての資料を求められたことがあります。フランス政府に補償を求める際の参考にしたいというのです。しかし、日本の被爆者援護法や裁判資料がフランス語に訳されているわけではありません。こうした経験を世界に伝えることは、日本ならではの貢献になりますし、被爆国としての責任でもあると思います。
国家安保戦略と日米ガイドラインの書き換えが必要
仮に日本が核兵器禁止条約に加入するには、どのような条件を満たす必要がありますか。
川崎:日本は、いかなる場合も核兵器の使用や保有を援助、奨励しないと確約する必要があります。具体的には、少なくとも以下の3つが必要になるでしょう。①非核三原則の「核を持ち込まない」を明確にする、②日米拡大抑止協議などの場で米国に核兵器の使用を求めていることはないと明言する、③「国家安全保障戦略」および「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)などの政策文書を書き換える、です。
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