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大地震の被害は人心を乱れさせる。こんなときこそ「お金を安定的に流通させる」必要がある(写真:アフロ)
大地震の被害は人心を乱れさせる。こんなときこそ「お金を安定的に流通させる」必要がある(写真:アフロ)

1995年1月17日、大地震が神戸を襲った。「お金」というライフラインを守るべく、日銀神戸支店は3つの異例の措置を断行した。そこに迷いはなかったという。それはなぜか。当時、神戸支店長と務めた遠藤勝裕氏は「日銀の役割を常に意識していたから」、それに照らせば対策はおのずと明らかになったという。これはすべてのビジネスパーソンに欠かせない心構えだ。遠藤氏に話を聞く。(聞き手:森 永輔)

遠藤さんは、大震災に臨んで、前編で説明いただいた異例の緊急措置を短時間のうちに連発しました。なぜ、それが可能だったのですか。

遠藤:私自身も死を意識せざるを得ない状況でこれらの措置を短時間で実行することができた理由は2つあります。第1は、「日銀の役割」を常に意識していたからだと思います。役割とは、水や電気と同じライフラインである「お金」を安定的に流通させることです。

若き日に目にした取り付け騒ぎの修羅場

 この役割を常に意識するようになったきっかけは、名古屋支店に勤務していた1973年に経験した豊川信用金庫事件です。同金庫の就職試験に落ちた女子高生が電車内で友人に「信用金庫は危ないから」と腹立ち紛れに言ったことから、「豊川信金の経営が危ない」という噂が広まり、現実に取り付け騒ぎが起こってしまったのです。

 当時はニクソン・ショックで固定相場が崩れたあと、石油危機が日本を襲った時期です。極度のインフレを招き、1973年と1974年には物価上昇率が20%前後に達しました。トイレットペーパーだけでなく、粉ミルクも品不足に。私も妻に「トヨタ自動車に行くなら、その生協で粉ミルクを買ってきて」と依頼されたことがありました。私は名古屋支店で自動車産業を担当しており、時折、豊田市に出張していたからです。

 こうした物価高騰と物不足が人心を乱れさせていた。それゆえ、女子高生の何気ない言葉をうのみにしてしまう、平常時では考えられない事態が生じたのです。

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