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日本を代表する“地方豪族”企業の一つ、鈴与(静岡市)は、1801年に廻船(かいせん)問屋として創業した「200年企業」だ。物流を中心に、食品や燃料販売、建設、ITなど約140社ものグループ企業を傘下に持ち、連結売上高は約4600億円に達する。そして、その多くが地元静岡に根を張る。地域に密着し、ステークホルダー(利害関係者)との共生関係を築くことで、戦後の混乱や、石油危機、バブル崩壊など数々の困難を乗り越えてきた。コロナ禍では、2008年に設立した航空子会社の乗客が激減。かつてない試練と向き合っている。鈴与のトップは代々、与平の名を継承してきた。8代目に当たる鈴木与平会長(78歳)に、独自の生存戦略を聞いた。

鈴木与平(すずき・よへい)氏
鈴与グループ代表、鈴与会⻑。1941年8⽉静岡県⽣まれ。65年慶應義塾⼤学経済学部、67年東京⼤学経済学部を卒業し、⽇本郵船に入社。70年に鈴与の取締役、77年に社⻑に就任。トップは代々、「与平」の名を継承してきた。数々の地元企業の経営に携わり、2008年にフジドリームエアラインズを設⽴した。(写真:廣瀬貴礼)

220年近くの歴史を持つ鈴与は、これまで数々の危機を経験してきました。

鈴木氏:私自身いろいろな浮き沈みを経験してきましたが、こんなふうに人の動きが止まってしまうコロナショックは異質で、背筋が寒くなりました。2008年に立ち上げた、グループ傘下のフジドリームエアラインズは、この10年ほど上り調子で来たのですが、20年3月期の決算は大赤字になってしまいました。

 航空業界にとっては初めてのことで、緊張した経営を強いられています。他のエアラインの社長さんたちも、お客様がいなくなるとこんな勢いでキャッシュアウトするものなのかと、驚いていますよ。うちも足元の状況は厳しいですが、1年後には業績をかなり戻せるのではと予測しています。

どんな打開策を考えていますか。

鈴木氏:我々は大手があまり手掛けない地方の足となるリージョナル航空を目指してきました。ニッチ市場を狙うことで生き残れると思っていましたが、コロナ禍で航空業界は180度変わりました。今までは、インバウンドが(2020年の政府目標である)4000万人に届くといわれ、一種のバブルのようなところがありました。

 多少薄利でも、多くの人を呼び込むことで事業として成立した。しかしこれからはお客様は思うようには増えないので、料金もしっかりといただかなければならない。そのためには、本当に必要とされる商品・サービスでなければ生き残れません。

 まだ手探りしているところですが、感染防止対策など新型コロナに対する安全性が、1つの付加価値になると思っています。例えば、搭乗中だけではなく、空港に着いてからの移動手段や滞在する宿泊施設で、コロナ対策を徹底的に実施して、航空券とセットで提供する。

「共生(ともいき)」という考え方

そのためには、多くの関係者と連携しなければなりませんね。

鈴木氏:そうです。そういう危機的な状況だからこそ、我々が長年大切にしてきた「共生(ともいき)」という考え方の強みが生きてくるんです。我々が地方路線中心の航空会社として業界に参入しようとしたとき、同業他社からは絶対にもうからないと言われました。

 それから我々は、地方空港がある各地の自治体やホテル、観光業の皆さんと一体になって、お客様を呼び込むために力を合わせてきました。そうした土台が、こういうときに生きるんだと思います。

 もともと私は、富士山静岡空港(09年に開港)の建設を応援してきました。静岡からはどこに行くにも東京か名古屋の空港の世話になる必要があったからです。しかし長年、反対運動があって、そろばんを弾いて(経済的な観点から)批判する人が多かった。とはいえ、空港というのは社会インフラですから。(建設が決まった当時の)知事には「100年後にあなた、絶対サンキューと言われるからつくった方がいい」と言って背中を押しました。

 こうしてやっとできた空港が、お化け屋敷のようになっては困るので自ら航空会社を設立することにしたわけです。折よく、70~100席程度の、地方路線でも採算が取れてしかも快適なジェット旅客機が登場しました。ビジネスとして成り立つ可能性が開けて、神様に背中を押された気がしました。でも、それでも他に誰も出資してくれる人が見つからなかったので、結局、鈴与の100%出資で立ち上げました。

複合経営は非効率なのか

地域に深く根差して、ステークホルダー(利害関係者)と共生関係を築くのが鈴与流の生存戦略というわけですか。