廃業への恐怖感ともやもやした気持ちばかりが広がるなか、4月中旬、転機が訪れた。

 「医療の現場で足りなくて困っているらしい」。社内外の関係者を集めた企画の打ち合わせで、出席者の1人が何気なくつぶやいた。コロナウイルスの飛沫感染を防ぐためのフェースシールドが足りていないという話。最初は受け流していたものの、ネットなどで調べていくうちに、考えが変わる。「これ、うちでも作れそうだ」

 もちろん、困っている人の力になりたいという気持ちは十分すぎるくらいあった。一方で、国や東京都から出社の自粛やテレワークに全面移行せよと言われても、そう簡単にはいかない町工場の事情もあった。「フェースシールドを一生懸命作れば、感染防止対策や働き方改革の面でなかなか貢献しにくい自分たちでも、世間から少しは許してもらえるのではないか」。当初はこんな算段もあったという。

 ただ動機はどうであれ、ただちに試作品制作に取りかかり、大型連休前にはほぼ完成形に仕上げた。フェースシールドの素材は本業であるトレーと同じ。トレーの製造工程の一部を抜き出していくらか応用すれば、労なく大量生産できることも分かった。抽選で1万枚を無償提供する──。小所帯の町工場でも1カ月足らずで、ひとまずこの決断にたどり着くことができた。

訪問客の切実な訴え 「私たちはマスクができない」

 

 「動いてみて初めて、気づいたこともある」。青沼氏はそう明かす。

 ある時、フェースシールド生産の話を聞きつけた訪問客がいた。手話通訳の関係者だ。「私たちはマスクをすることができないのです」。目の前でその訴えを聞いて、思わずはっとさせられた。

 耳の不自由な人たちは、手話とあわせ、通訳の口や唇の動きなどをしっかりと見る。だから日々通訳をする際には、口元を隠してしまうマスクをすることができない。なかなか世の中の理解を得られず、コロナ禍でマスクをしていないというだけで罵られることもある。どうかフェースシールドをゆずってもらえないか──。

 そんな訴えだった。「恥ずかしながらこうした現実を知らなかった。思いも至らなかった」と青沼氏。ただちに抽選で配る方式をやめ、さらには増産を決断し、無償提供の範囲を大幅に広げることにした。これまでに手話通訳の関係者、医療機関、学校などをあわせ、計2万枚を届けている。小さな町工場が窮地の中で見せた「男気」と差し伸べた手が、様々な人を救ったことは言うまでもない。

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