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 新型コロナウイルスの感染拡大で改めて人口密度の高い都市に住むリスクが浮き彫りになっている。オフィスや高層マンション、集合住宅など、大人数を収容する建造物の多い都市部は「3密」と呼ばれる状況になりやすい。あえて地方や郊外に住みたいというニーズも出始めている(本連載の3回目、バブルに沸いた夢の別荘地、“大洋村”に日はまた昇る)。

 一方で、都心部への人口集中は住宅ローン減税や建造物の容積率緩和等、都市への居住を促す政策がもたらした弊害との声もある。都心回帰の動きは不動産価格にどのような影響をもたらしてきたのだろうか。戦後の土地価格の推移と住宅政策から浮かび上がる「政策がもたらしたゆがみ」を考える。

郊外への集住計画の象徴的な存在だった多摩ニュータウン。1971年に最初の入居が始まった(写真:学研/アフロ)

 国土の3分の2が森林である日本は、もともと可住地面積の少ない国だ。首都圏も例にもれず、湾岸部を埋め立てたり、山の斜面を開拓したりすることで、面積を広げてきた経緯がある。中でも宅地造成は、第2次世界大戦後の都市の発展と切っても切れない関係がある。昭和30年代(1955~64年)の10年間に、東京都の人口は500万人も増加し、住宅供給は大きな課題だった。

 一方で、上がり続ける土地の値段が用地取得を困難にしていた。日本不動産研究所の幸田仁・主席専門役は「『土地は持っていれば必ず上がる』と、なかなか手放さない所有者が多かったことも、住宅不足を深刻にしていた」と、当時の状況をこう語る。

 1950年代から平成のバブル崩壊まで、土地の値段は多少の波はあるものの、ほぼ上昇を続けていた。日本不動産研究所が長期でまとめている全国市街地価格指数の推移を見ると、55年から、地価がピークを迎えた90年代までの間に、住宅地の上昇は約70倍となっている。同期間内の物価上昇が約2倍であったことを考えると、すさまじいペースで土地の値段が上がっていたことが分かる。