(写真:Bloomberg / Getty Images)

 「改革ではない。革命を起こすつもりだ」。日経ビジネスのインタビューに対し、2019年12月に就任した日産自動車の内田誠社長兼CEO(最高経営責任者)はこう強調した。

 20年3月期に6712億円の最終赤字を計上した日産。20年3月末で自動車事業の手元資金は約1兆5000億円あり、その後に約7000億円を調達している。未使用融資枠も1兆3000億円ある。決して豊富ではないが、危険な水域ではない。それでも市場からは「日産は大丈夫か」との懸念が消えることはない。

 日産の業績が傾き始めたのは19年3月期。中国の成長鈍化で世界の自動車市場が踊り場にきた時期だが、日産の販売は市場平均を下回るペースでブレーキがかかった。18年11月に当時会長だったカルロス・ゴーン氏が逮捕されたことも影響している。ただ、根幹的な問題は、そこから遡ること7年前に始まっていた。

 「パワー88」。1933年、鮎川義介氏が設立した日本産業と戸畑鋳物が出資して日産(当初は自動車製造)が発足して以来87年の歩みでも、「黒歴史」とされるワードかもしれない。ゴーン氏が中心となってつくった16年度までの6カ年の中期計画。営業利益率8%と市場シェア8%。新興国でのクルマ需要拡大を念頭に、事業規模と利益率の二兎(にと)を追った。

 1999年に仏ルノーの出資で倒産を免れ、工場閉鎖やケイレツ解体などの「リバイバルプラン」で復活。その後にリーマン・ショック、東日本大震災と続いた後のことだ。成長を目指すのは企業の使命とはいえ、パワー88で拡大を狙った地域はブラジル、ロシア、インド、ASEAN5カ国、そして中国。各エリアで生産能力を増強しながらシェアを伸ばすプランはあまりにも楽観的すぎた。

 パワー88の成果は数字には表れた。17年3月期の販売台数は11年3月期比で35%増の562万台。日産は、中国合弁会社の連結ベースの営業利益率が為替レートの影響を除けば8.3%になったと発表した。17年上半期、ルノー・日産・三菱自動車による日仏連合の世界販売は前年同期比7%増の527万台を記録し、トヨタ自動車や独フォルクスワーゲンを抜いて「世界一」の座を獲得。ゴーン氏の念願だった頂点を一時はつかんだ。

 ただ、この「無理筋のコミットメント」は社内をむしばんでいた。目先の実績を追うあまり、将来への投資がおろそかになっていたのだ。

 パワー88では16年の世界の自動車市場が9000万台規模とみて、その8%の720万台の生産設備の確保を急いだ。手広く「拡大」を目指したため車種数も増えた。ただ、それらに資金が集中したため、主力市場での商品不足が発生。米国ではインセンティブと呼ばれるディーラーへの報奨金を増やす「安売り」を余儀なくされた。

 17年秋には、出荷前に必要な完成検査を無資格の従業員が行っていた事実が発覚。国土交通省の抜き打ち検査で明らかになり、その後、国内全6工場で同様の検査体制だったことが判明した。当時の西川広人社長は「(規模拡大で)人手が足りないというわけではない」と強調したが、日産のブランド力は落ちていった。

 負の連鎖は18年11月のゴーン氏逮捕のはるか前から起きていた。日産の株式の43%を持つルノーのトップも務めていたゴーン氏が、日産の長期的な成長よりもルノーの短期の利益を優先したという見方もある。ゴーン氏が退場した後はルノーとの関係がこじれ、「独立」の維持に注力して事業の再建もままならなかった。

 5月28日。20年3月期の決算を発表した記者会見で、内田氏は過去の拡大路線を「失敗」と位置づけ、「反省を今後に生かす」と前を向いた。もちろん、その道にはイバラが生い茂っている。本格的なリストラはこれからで、タッグを組むルノーの動きもうかがい知れない。加えて、新型コロナウイルスの感染拡大で世界の自動車市場は20年に前年比2割減になるとみられる。

 この難局をどう乗り切ろうとしているのか。日産が生き延び、存続する意義はどこにあるのか。日産の「長い旅」の終着駅を検証する。

記事ラインアップ

  •  新車なき膨張 「老兵」頼みの販売最前線
  •  ゴーンショック20年 追い込まれた日産系部品
  •  復活劇はあり得るか 数字が示す日産の現在地
  •  元COO、志賀氏が語る「後悔とエール」
  •  e-POWER世界へ 「技術の日産」は死んだのか
  •  内田社長インタビュー「日産をゼロから作り直す」 など

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