:そうそう。今回もすでに、「モルヌピラビルを飲みながら抗体カクテル療法をやったらどうなんだ」という話もあるわけです。さらに、ワクチンを打っている場合はどうだとか、他の飲み薬が出てきたら併用できるのかとか。

―― ほお。

:組み合わせによってより治療成績が上がる可能性もあるし、副作用などのリスクが発生する可能性もある。解くべき課題というのは一つ条件が変わるだけでわっと増える。

―― そりゃそうだ。本当に厄介ですね。

「薬が効く」という奇跡

:厄介でもあり、そこが薬を研究する際の魅力でもあります。すごい数の因子を変数として持つ複雑なシステムに対して、たった「1つの要素」である薬でもってそのシステム全体の流れを制御しようということですからね。人の体という複雑極まりないシステムであって、しかもそれが乱れている状態が病気です。それに対して、たった1つの有機合成体を入れるだけでその仕組みをダイナミックに変化させて、乱れを治していこうとする。

 これをやるということ自体が、もう奇跡みたいなものなんだと思うんですよね。

―― 薬が効くのはある意味「奇跡のような行いを見つけ出す」ことなんだと。

:そうなんです。だから薬って本当に面白くて。純粋な、in vitro の研究では1対1対応なんですよ。RdRp狙いの薬は、本当にRdRpにはまる、動きを止める。ただ、これが複雑な人の体の中で実際にウイルスが増えているという状況において、システムの中でちゃんと効くかというのは、実証しなければ分からない、ということです。今回のモルヌピラビルのようにしっかり作用するということが分かったときって、本当にある意味、もう奇跡なんですよね。

―― なるほど。

:ということを僕は17歳の秋に気付いて薬学部に行ったんです。面白いなと。

―― 何か、その深遠さに気が付くようなことがあったんですか?

:いえ、人体の仕組みの本なんかを読んでいて、なんて複雑なシステムなんだろう、これを薬だけでどうやって制御するんだ、考えてみると、薬でシステム全体を整え直そうとするのはものすごいことだな、と思い至ったわけですよ。

―― ものすごい手数の詰め将棋の解法が閃くみたいなものかなあ。

:詰め将棋ならまだ総当たりが効きますが、人間の身体の仕組みはもっとずっと複雑で、どこをどう押したらどこに影響が出るか、全部を知っている人は一人もいないし、しかもまだ「こことここが繋がっていたのか!」という、未発見の道が出てくるでしょうからね。

―― 医療関係者の方の実感として、ブラックボックスのような人体の中のどれぐらいが見えているんでしょうね。感覚として。

:自分の実感では、まったく見えてないですねぇ。手探りですよ。手探り。

―― ……それを薬で解こうというのは、確かに難しそうで、かつ面白そうです。

:そういうことを秋の夜長に考えていて、あ、これ、薬学部だなと思ったんですね(笑)。

―― 病理医でウイルス免疫学の研究者である峰先生のキャリアが薬学部から始まっているのは、そういうことなんですか。おっと、ちょっと余談が過ぎました。

抗体カクテルと比べると?

―― 話を戻しまして、21年秋になってこうした飲み薬がいろいろ出てきたのは、何か技術的なブレークスルーがあったのでしょうか。例えば、胃酸で溶かされにくい、とか、吸収効率が上がったとか。

:いえ、そこは以前からある経口薬でも、ドラッグデリバリー(薬を体内の目的の場所に届ける技術)や吸収効率が高いものは存在しています。腸における薬の吸収効率は比較的よく分かっている分野です。なので、そこに特に大きなブレークスルーがあったわけではないと思います。やはりポイントはたくさんある候補の中から、今回の新型コロナウイルスのRdRpをうまく阻害するシード(種)を見つけたということで、これはやはりすごいことです。

 しかも、モルヌピラビルは1日2回5日間という短期間で効果が期待できるところもいいニュースだと思います。認可されれば、初期の患者の方にはまずはインフルエンザの「タミフル」のように、基本的に投薬しておくという形で利用が進むのではないかと思います。

―― 抗体カクテルと比べるとどうでしょう。

:効果は実際の臨床で使ってみるまで確定できないでしょう。臨床試験の規模でものを言うのは限界がありますからね。しかし、抗体カクテル療法は今のところ、医療機関で点滴を受ける形でしか使用が認められていないのと、費用がかなり高いことが難点です。皮下注射ができるようになると、まただいぶ話が変わるとも思いますが。

―― それにしても短期間で済む飲み薬とは、とても気の利いたものが出てきましたよね。気分的にも注射と比べてぐっと楽というか、ありがたいというか。

:はい、そうなんですけれど、治療を行う側からすると注射のほうがメリットが大きいこともあるんですよ。

―― え?

次ページ 「飲み薬」のデメリットは「勝手にやめられる」こと