(前回から読む→こちら)
編集Y:ワクチンが「効く」って、もっとかみ砕くとどういうことなんでしょうか。私は「効くワクチンができそう」と言われると、「そのワクチンを接種すれば感染しない」ことだとシンプルに感じるんですけど……。
ここまでのお話から、「まあ、100%感染しない、ってことはないんだろう」とは思うんですよ。だけど「効く、というからには、9割は効くよね」という期待もあるんです。
峰 宗太郎先生(以下、峰):なるほど。
編集Y:峰先生が「かなり効くと思います」っておっしゃった場合は、例えば5割、7割、9割のうちのどれぐらいの認識なんでしょうか。
峰:面白いというか、いい質問ですね。深読みすると、つまりYさんは「効く」という言葉の意味が、専門家と一般社会で違うんじゃないかと予想しているんですよね。
編集Y:はい、そういうことです。
峰:じゃ、そもそもですが、インフルエンザワクチンって効くと思いますか。
編集Y:そう来ると思って実はネットで予習しました。「3割から8割程度、発症を阻止したり、死亡を減らしたりすることができる」そうです。あのですね、これって効くと言うべきなのか、効かないものなのか、ちょっとばらつき過ぎじゃないですか、と(笑)。
峰:いやいや、そうなんですが、それを皆さんが効くと取るか効かないと取るかの問題なんですよね。
編集Y:それじゃ「効くのか」と聞かれたら、「その人による」としか言いようがないと?
峰:インフルエンザワクチンってある意味でワクチンの「劣等生」みたいなところがあるんですけれども、重症化予防効果というのは確かに持っているんです。一方で、インフルエンザにかからなくなる、という感染予防効果は結構危なっかしいレベルなんですね。
編集Y:うーん、重症化を抑えるのもありがたいけれど、「ワクチン」と聞くと「感染予防」のほうをつい期待しちゃうなあ。「打てば、かからないで済む」みたいな。
峰:残念ながら、新型コロナウイルス(以下新型コロナ)のワクチンも、インフルエンザワクチンと同じ傾向になってしまう可能性はありますね。
編集Y:WHO(世界保健機関)が、「望ましい有効性は少なくとも70%、最低でも50%以上」という見解を示した、とされていますが(日経バイオテク2020年7月27日号)、有効性って、どっちのことを言っているんでしょう。
峰:これはどちらとも言えないし、おそらくどちらだとは言っていないと思います。そもそも、効果を評価する方法が一つではないので、なにをもって割合で話せるのか今の時点ではよく分からないですよね。
抗体価は上がった。その効果はまだ分からない
峰:というのは、現状ですでに、大型哺乳類、つまり猿での実験でも、いくつかのワクチン候補を注射すると、猿の免疫系が反応していることが確かめられました。血液中の抗体価が上がり、実際にウイルスに感染するかどうかの実験を行ったところ、感染予防効果まであることが分かっているんです。
編集Y:抗体価、というのは?
峰:ウイルス(抗原)の侵入で免疫系が反応して、抗原と戦う「抗体」が作られる。その抗体の量のことです。
免疫グロブリンの中の抗体、なかでも特定の病原体に特異的に反応する抗体(できれば中和抗体。病原体の生物学的な悪影響を「中和」することからこう呼ばれる)の量が増えれば、免疫系が作動したことが分かる。特異的に反応する抗体をたくさん作り出せるようになる、というのは免疫が反応して、「免疫がついた」ということを確認する一つの方法です。
現状、ヒトでのテストでは、抗体価が上がることまで確認されています。コロナに感染し、治癒しつつある患者の抗体価を上回る場合もあるので、これは「効く」可能性が高い。ただ、重要なのは「どのくらの抗体価があれば感染を防げたり、重症化を抑えられるか」「免疫の記憶(前回参照)はどのくらい持つのか」については、まだ分かっていない。
編集Y:試した人がいないから、ですね。
峰:ですので、「生物学的に、哺乳類において『防御能』を得られるという実験結果がある」とまでしか、まだ言えないんです。私も「効く可能性が高い」という言い方はしていますが、「ヒトで効くということが分かった」とはまだ言っていないし、言えない(笑)。
編集Y:あー、そうでしたか。普通の人が聞くときは「ヒトに効くのか」しか考えていませんから「効きます」と言われたら、「自分も含めてヒトに効く」と思っちゃいますよね。専門家の人は「動物実験では効いた」ということも含めて使うのか。おまけに、効き方のレベルもいろいろだ、と。
峰:ヒトで効くかどうかは、効果、安全性、いずれも「臨床試験の結果が出るまでは何も言えない」が正しい。いま注目されている核酸ワクチンやベクターワクチン(前回参照)について言えば、「テクノロジーの根幹に使われている仮説が正しいことは、まず間違いないだろう」という状況にはなった。
なので、今まである意味机上の空論(動物実験までは実証あり)だったものが、ヒトも含む実験レベルで証明されつつある。ということで道筋が見えてきた。ここまでの結果から外挿すると「効く」ところまでいくんじゃないか。そんな思いが自分の中で強くなってきた。これは「以前よりは楽観に傾いた」ということなのですね。
編集Y:ただし、「ヒト」に「効く」度合いについてや効き方については、今なにか確信を持って語ることは無理で、仮説と実験結果から「効くんじゃないか」くらいまでが限界だと。
峰:はい、そういうことですね。
核酸ワクチンは戦力になるのか?
編集Y:なるほど。うーん、前に、我々はコロナと籠城戦を戦っていて、籠城というのは具体的には、3密(密閉、密集、密接)回避やうがい、手洗いの励行といった「新しい生活習慣」の維持なんですけれど、もう嫌気がさしている。たぶん大丈夫だから外に打って出よう(マスクしないでカラオケやっちゃおう)的な気持ちが、籠城戦のストレスから高まっている。そんな例え話を申し上げました。
峰:ええ。そしてかなたに見える援軍、ワクチンが立てる砂煙が見えてきたか、と(笑)。
編集Y:はい、ワクチンの開発が急速に進んでいることで、城内は「あとちょっとで解放される!」という希望が広がりだしたように思うんですが、しかし、核酸ワクチンやベクターワクチンの現状をお聞きすると、これ、どのくらい戦力になるんだろう、そもそも城内に入れて大丈夫なのか=健康な人に接種して副作用はないのか、という心配があるわけですよね。
峰:あ、ワクチンの場合は「副反応」と言います。
編集Y:訂正します。援軍と期待される新しいワクチンは、副反応の恐れがあることが心配です。
峰:それはその通りだと思います。希望の光が見えてくることは、籠城戦を続ける上ではとても望ましいことだと思いますけれど、イケイケどんどん、で大歓迎するのはまだ早い気はします。
その意味で期待しているのは、前回ご説明した伝統的・オーディナリーなワクチンの中の、不活性化ワクチンや成分ワクチンの開発が、速度については核酸ワクチンなどに比べればゆっくりですが進んでいることです(成分ワクチンについては国内では塩野義製薬、国立感染研究所)。これは年内に臨床試験入りするそうです。それから中国でも不活化ワクチンの開発が走っていますよね(中国医薬集団=シノファーム傘下の「中国生物技術(CNBG)」が、第三相の臨床試験をペルーで開始したと発表)。
編集Y:これ(上図)が従来のワクチン開発スケジュールと、現状との比較ですか。10倍速で進む大きな理由は、治験(テスト)期間の短縮なんですね(参考:「治験の3つのステップ」)。
峰:ワクチンの開発レース、特に核酸ワクチンの場合は「どこが最初にワクチンを開発するか」という、科学大国ぶりを見せつける効果を狙っているところもあるように思います。言わせてもらえば「スプートニクと一緒」だと。一方で、不活化ワクチンや成分ワクチンが出てくれば、こっちは安全性や副反応については経験からおおむね「予測」ができるものなんですね。こちらが上市(販売)されるのは、来年の夏か秋になっちゃうと思うんですけれど……。
編集Y:ちなみにですが、核酸ワクチンやベクターワクチンの接種後、不活化ワクチンや成分ワクチンを併用することには、リスクはありそうなんでしょうか。あ、この冬にはインフルエンザのワクチン接種もありますね。ワクチンは、時差をおかずに打っても問題は原理的に起こらないんでしょうか。
峰:これは多分問題にはならないと思われます。ワクチンの同時接種や異時接種でもそれぞれのリスクは大して変わらないことは知られています。
不活化ワクチン登場まで持久戦を続けられるか
編集Y:さて、前回ちらりと触れましたが、これから日本が取るワクチン戦略について伺いたいと思います。
峰:はい。
編集Y:ノーリスク志向が強い日本では、副反応が発生すると社会がパニックを起こして、接種がいきなり止まってしまう恐れがあります。そして、新しい技術である核酸ワクチンやベクターワクチンは、実際に副反応が起きる恐れがかなり高い(前回参照)。
インタビュー後の9月9日、アストラゼネカとオックスフォード大学が試験中で、日本政府が購入を予定しているベクターワクチンの「AZD1222」は、治験者の中に深刻な有害事象が発生したとして、最終段階に入っていた臨床試験を中断。その後12日に、英国での治験を再開すると発表した。
そこで、日本としては、米国・欧州や中国、ロシアなどが核酸ワクチンで大規模な社会実験をやってくれている間は、籠城戦を戦い抜ける必要最低限の導入で済ませて、より安心な成分ワクチンなり不活化ワクチンの完成を待つ……というのも手かなと思うのですが。
峰:もしそういうことができれば、安全性を確保しつつ、ワクチンの接種が進み、効果的に社会に集団免疫を及ぼすことができる可能性は高いと思います。ただし、「他の国で接種を開始したのに、日本はなぜもたもたしているんだ」という国内の声はどうしても高くなるでしょう。
編集Y:逆に、米国やロシア、中国は核酸ワクチンなど新しい技術のリスクを取っても接種を急ぎたいのはなぜでしょうね。
峰:専門家ではないので無責任な発言をお許しいただくなら、国がでかいので、とにかく一刻も早く経済活動を再開させないと自壊しそう、という恐れがあるからではないでしょうか。
編集Y:籠城するには人口などの規模が大きすぎるのかもしれない。
峰:真相は分かりませんが、米国にいると、一部からのワクチンへの社会的要請をものすごく強く感じます。米国は副反応対策として無過失補償のお金を大量に出すよと言いだしましたし、日本でも同じ議論がされています。
編集Y:ワクチンによって健康への悪影響が出たときに、その被害は国が補償するよ、と。
ワクチンにも薬にも、すべてリスクは存在する
峰:日ごろは忘れていますが、ワクチンを含むすべての薬はやはり副作用・副反応を起こす可能性をゼロにはできないので、こういう対応は必要だと思います。一方で、「少数の人の健康や命よりも、経済活動再開を優先せざるを得ない」と、一時的には割り切った政策判断も、どこかに入っていると思います。これは「いい悪い」ではなくて。
編集Y:そこですね、核酸ワクチンやベクターワクチンを先行して接種開始した国で、もしも大失敗が起こったりしたら、新型コロナ対策にとってめちゃくちゃな逆風になるんじゃないかと思うんですが。
峰:あり得ると思います。ワクチンは絶対に打ちたくないという方は別として、ワクチンにちゅうちょしたり、不安を感じたりしている方々が大きく接種拒否に傾く可能性があります。2020年5月のCNNの調査では、米国の3割の人が「コロナワクチンを打たない」と言っていますし、日本も実は先進国の中では最もワクチンに対する不信感が強い国なんですね。
編集Y:あ、そうなんですね。
峰:日本と、そしてフランスが不信感を持つ方が多い(参考:「The Lancet」より)。
編集Y:日本の場合はゼロリスク志向のゆえでしょうか。
峰:そういう社会であることもありますし、副反応に対する報道が煽ったこともありますね。ワクチンは特に事故を起こしてはいけないものの1つなんです。もちろん、どこの業界でもそうなんですけど、特に事故を起こすと風評、とまでは言いませんが、非常に危険性がアンプリファイア(増幅)される、リスクが強調されて社会に出てしまう。
よくいわれる例ですが、飛行機事故で死ぬ確率は雷に打たれるよりも低い。でも、1機墜落すると大変なことになるわけです。ワクチンは本当に何万人の命を救っていても、副反応の方が2~3人出ちゃうと状況的にアウトになりかねません。なので、このイケイケどんどんのムードのまま、一般への接種が開始されてしまい、副反応が大きく出てしまうと、新型コロナウイルスワクチンはもちろん、ワクチン全体に対する大ダメージとなるようなことになりかねません。本当に、慎重にやるべきなんです。
編集Y:そもそも、ワクチンを接種する人が増えなければ、社会が集団免疫(抗体を持つ人が一定以上増えることで、ウイルスの感染を止める)を獲得できないですよね。それではいつまでも流行が収まらない。
副反応が出るのはおそらく避けられない
峰:ところが、「慎重派」だったはずのワクチン学者などの方でも、今、かなりイケイケどんどんになっちゃっている。最後の砦、良心であった人たちが、今となっては加害者になりかねない状況をつくっている。なので、これは、正直に申し上げると、「本当にこの雰囲気はまずい」と思っています。特にワクチン研究者は前のめりになってはいけない。そう思うのです。
編集Y:日本が購入予約をしているワクチンってどんなのでしたっけ?
峰:英アストラゼネカとオックスフォード大学が開発中の「AZD1222」、これは前回申し上げた通り、アデノウイルスを使って人間の体内で、免疫系を刺激するたんぱく質を作ろう、というものです(※前述の通り、有害事象が発見され臨床実験が一時中止になった)。それから米ファイザーと独のベンチャー、ビオンテックが開発している「BNT162b2」、これは核酸ワクチン(mRNAワクチン)です。
編集Y:どちらも経験値がない新世代のワクチンなんですね、やはり。
峰:あとは米モデルナと米NIAIDの「mRNA-1273」、名前の通り核酸ワクチンです。そして国内では例の塩野義製薬のワクチン。このあたりは購入を検討するのではといわれてますね。
編集Y:ということは、不活化ワクチンの塩野義以外は新世代のワクチンばかりなんですね。それをもう買っているわけなんですね。
峰:そうなんです。なので、今の流れとしては天に祈るしかないんです。
編集Y:うまく効きますように、ひどく副反応が出ませんようにと。
峰:あ、副反応は出ると思います。数だけでいえばすごく出ると思います。
編集Y:……。そういえば、中国が人民解放軍に打ち始めたと報道がありましたね。
峰:中国はなんというか……賢いんですよ。彼らはベクターワクチンの実験も進めつつ、不活化ワクチンにも力を入れているようですからね。
編集Y:そうなんですね。米国、英国などは多くが核酸ワクチンやベクターワクチンでいこうとしているのに。
峰:米国、英国などにはある程度、正当性があるんですよ。というのはCOVID-19(新型コロナの感染症)で大勢の人が亡くなっていて、文字通りの大流行ですからね(米国19万1776人、英国4万1697人、日本1412人。2020年9月11日時点、厚生労働省調べ)。
編集Y:そうか、それを食い止めるためならばある程度のリスクは仕方ない、と。しかし、日本でワクチンによって万一死者が出てしまったら。
峰:「せっかくCOVID-19での死者をここまで抑えたのに、ワクチンの副反応で死者が」と、大問題になるでしょう。新型コロナによる死亡者数の抑制に成功した日本は、皮肉なことに、いずれにしてもワクチンに対して慎重にやらなきゃいけない方向に追いやられているんです。
編集Y:この夏も猛暑になった日本では「新型コロナよりも熱中症のほうが危険だよね」という話が大いに流行しました。その上、もしワクチンで死者が出たら、ワクチン否定派がいっぱい出てきそうですよね。
峰:出てくるでしょうね。そして、その場合は専門知識がある人がいかに説明を尽くしても、とても防戦できないと思っています。
「感染」をさせないワクチンは存在するのか?
編集Y:新型コロナワクチンのお話に入ってしまって、基本的な話が途中でした。体内に入ったウイルスに、ヒトの免疫がどう反応するのか、改めて教えていただいてもいいですか。
峰:はい。感染と治癒はおおむねこういう流れになります。
ウイルスが体内に入ってから排出されるまで
→細胞に入る
→細胞内で増殖する
→細胞からたくさん子孫ウイルスが出る
→免疫系が活性化する=症状が発生する
→増殖が続き、体外にも漏れて他者に感染させる
→増殖が収まる
→体内から排除される
編集Y:どの段階からが「感染」なんでしょう。
峰:ウイルスが体内の細胞に入るあたりから、細胞で増殖をし始めるところで「感染」が成立する。そう捉えておけば大きくは間違いないでしょうね。
編集Y:なるほど。では、完全な感染予防、「ウイルスが体の細胞に入り込むのを防ぐワクチン」というのは実在するんですか。
峰:あります。例えばHPV(ヒューマンパピローマウイルス)による子宮頸(けい)がんを予防するワクチンであるHPVワクチンが、まさにそう。
編集Y:おー、例のあれですね。
峰:HPVは細胞に入り込んだらもう長く居座ることが多いのですけれども、ワクチンによって抗体ができるとそもそも細胞に入らないようにしてくれるんですね。
編集Y:じゃ、効果としてはかなり上等な。
峰:はい、結構いいワクチンなんですね。
編集Y:うれしそうですね(笑)。
峰:これは優等生ワクチンの代表格になっているので、ワクチン研究に携わる側としては、ワクチンの成功例として挙げたいものの一つであるのは間違いないんですね。麻疹とか天然痘とかのワクチンも感染予防の効果は高いですが一部はウイルスが細胞に入って感染はするんです。ただ、体の中でウイルスが増えるのを抑えること、つまり発症させないことに成功しているので、段階で言うと「(多少は)感染するけれど発症はさせない」ようにしている、発症防止ワクチンという面もあると思われますね。発症防止ができれば、感染しても外に排出するほどのウイルスはできない可能性があります。
編集Y:なるほど。
峰:いずれにせよ、しっかり効くワクチンは、他者への「感染力」を抑える「伝播防止」ワクチンにもなり得るということですね。インフルエンザワクチンはさらにその下のレベルで抑えていて、うわーっとウイルスが増えて、さらに発症したりはするんだけど、重症化を予防すると。重症化予防効果と言って、この状態では、人にうつす可能性もあります。
編集Y:だから、「発症したら家にいるように」と言われるわけか。
峰:ワクチンの性能は「効く、効かない」じゃなくて、そういうふうにいくつかの段階に考えるのがいいんですね、本来は。そして、ワクチンの効き目が、ワクチンの種類だけできれいに段階に分かれているわけではない。
編集Y:といいますと?
峰:ある人には重症化予防までしかできないけど、よく効く人にとっては感染予防まで効くよ、とか。効き方に幅があるんです。必ず。
編集Y:ああ、そうか、ワクチンは人間の免疫系との相互作用だから、人によって効き目に差(個体差)が出るわけですね。
峰:そういうことですね。
「自然免疫」ってなんだか響きがいいんですけど……
編集Y:人によって効き目が違う、というのもすごくやっかいですよね。この辺でヒトの免疫系をざっくり説明していただけませんか。
峰:じゃ、基礎の基礎を。免疫システムというのは非常に複雑なんですが、まず大ざっぱには「自然免疫」と「獲得免疫」に分かれるんです。
編集Y:生まれたときからもともと持っている免疫と、あとから身に付けた免疫がある?
峰:違うんです。言葉からはそう聞こえますけれど。
編集Y:違う? ……だって自然とか獲得とか聞いたらそう思うじゃないですか。
峰:どちらも人間の身体にもともと備わっている免疫「システム」です。自然免疫は、相手を特定して細かくは選ばず、とにかく侵入者を見つけて、見つけたら攻撃する。獲得免疫は、特定の決まった相手だけを狙って攻撃する。
編集Y:じゃあ「自動免疫」と「記憶免疫」とか名づければいいのに。センモンヨウゴムツカシイ。
峰:自然免疫の仕組みは、何のウイルスであろうが、細菌であろうが、病原体が来たら、体内の好中球、マクロファージ、樹状細胞などが、うわーっと食べに行くんです。反応が非常に速いんですね。その分、攻撃も大ざっぱで、最終的に制圧する力までは持ってないことが多いんです。
編集Y:細菌でもウイルスでも、とにかく異物が来たらやっつけに行く。反応は迅速だけど、攻撃力はそこそこ。航空自衛隊のスクランブル発進部隊、ってところかな。
峰:そして、相手を気にしない分、もし同じ病原体がまたやってきても、同じように反応します。戦闘力は変わらないんです。
編集Y:病原体なら相手が誰でも気にしないし、記憶することもないんですね。
峰:一方、獲得免疫というのは、例えばヘルペスウイルスだったら「ヘルペスウイルスの4型か、1型か、3型か、5型か」、さらにはその4型のウイルスの表面のたんぱく質の、この部分、というふうに、非常に細かく見分けるんです。それで、ヘルペスウイルス4型の表面のこの部分にくっつく抗体を作れ、そしてこの部分を作りだしている、感染してしまった細胞を殺してしまえ、というふうに特異的に反応するんです。こちらの主役はT細胞、B細胞などです。
編集Y:なるほど、獲得免疫はその細菌なり、ウイルスなりの専用兵器を持っている。前編に出た「無量大数」レベルのバリエーションを持つのはこちらなんですね。
峰:そう、最終制圧は、やはりこういう凄腕のスナイパーが出てきて犯人をしっかり狙撃し、破壊し、排除しなきゃいけないわけです。これが獲得免疫。
そして獲得免疫は2つに分かれます。「液性免疫」と「細胞性免疫」。
編集Y:あー、「液性」とかいっても、別に液体じゃないんですよね、きっと(何かを悟った目)。
細胞性免疫は「感染工場」を叩く
峰:はい、液性免疫というのは主に「抗体」が活躍するシステムです。詳しく言うと「抗体」や「補体」などからなるんですけど。
編集Y:あ、免疫イコール抗体が作用するものだとなんとなく思っていましたが、「獲得免疫」のうちの「液性免疫」が、「抗体を使うシステム」なんですね。
峰:そうです。抗体は可溶性の糖たんぱく質でして、血液などの体液中に存在します。細菌やウイルス(抗原)を認識して、結合し、活動を妨げます。これを作る指示を出すのがT細胞の役割の1つで、実際に抗体を作るのがB細胞系の細胞です。
編集Y:液性免疫はB細胞が作る抗体が主力兵器で、抗体はそれぞれの病原体に特化して、直接攻撃する、と。
峰:はい。最後に細胞性免疫、これはT細胞とかNK細胞などが主に担うんですが、何をやるかというと、ウイルスを直接は攻撃しないんです。ウイルスが感染している細胞、つまりウイルスに乗っ取られて巣にされてしまった細胞を殺しに行くんです。
編集Y:乗っ取られて巣にされた?
峰:もともとはクリーニング工場だったのに、ギャングに乗っ取られて秘密裏に覚醒剤の生産工場になってしまった細胞があるとします。そこから出てくるヤクを持ったギャングは抗体(液性免疫)が攻撃します。一方、覚醒剤工場自体を爆撃するのが細胞性免疫。
編集Y:分かりやすい。なるほど。
峰:例外はあるんですけど、こういうふうに捉えておけばいいでしょう。
免疫の効果は「測定できない」って?
編集Y:で、ワクチンというのは、自然、液性、細胞性免疫を、何ていうのかな、どういう割合で刺激して、効果を得ているんでしょう。
峰:……それは、もう1度がっつり時間を取って、しっかり講義しないといけないくらいの大きなテーマなんですけど、実は、ぶっちゃけてしまうと、自然免疫と細胞性免疫の効果を効果量として、明確に計測できる技術が、今のところ存在しないんですよ。
編集Y:えー?
峰:事実です。
編集Y:だって、効果測定できないなら効くか効かないかって証明できなくないですか。
峰:液性免疫だけは計測できます。逆の言い方をすると、しっかりと妥当な状態で計測できるのは液性免疫だけです。
編集Y:計測というのは具体的にどういう意味でございましょう。
峰:液性免疫については、抗体の量を調べられますから。
編集Y:そうか。抗体価だ。
峰:なので比較的簡単なんですよ。僕とYさんの血をそれぞれ採ってきて、はい、麻疹の抗体はYさんが64倍、僕が128倍。だったら、ああ、僕のほうが抗体価が高い、みたいになるんです。感染していれば抗体価が上がりますから、それで感染しているかどうかが分かる、という使い方もある。
編集Y:なるほど。
峰:で、実はワクチンは、自然免疫や細胞性免疫も刺激しています、すごく。ですけど、どの程度刺激されたか、その結果、どの程度活性化しているか、これを測る手段がないので今まで言ってこなかっただけなんです。
編集Y:本当に素人考えですけど、ウイルスがごっそりいる中にその人のT細胞とかを垂らして、ウイルスがたくさん減ったほうが細胞性免疫が強い、というような形では測れないものなんですかね。
峰:発想としてはすごくいいんですけれども、どこで測るかという問題になります。つまり、人の体の外で測るのか、中で測るのか。
編集Y:観察しやすそうだから、外、と言いたいところですが……。
峰:先ほど申し上げたように、細胞性免疫はウイルスそのものは攻撃しないんですね。乗っ取られた細胞を攻撃するわけです。つまり、乗っ取られた細胞を用意しなきゃいけない。
ところがこの乗っ取られた細胞も、「異物」であってはいけないんです。例えば僕の細胞でYさん用の検査薬は作れないんです。なぜなら、もう僕の細胞であるという時点で、Yさんの細胞性免疫、T細胞たちにとっては「見たことない家だから壊せ」になっちゃうんですよ。だからYさんの免疫を評価するには、Yさんの細胞で作った乗っ取られた細胞を作らなきゃいけないんです。
自然免疫がどの程度寄与しているのかも分からない
編集Y:むむむ。細胞性免疫や、自然免疫みたいな人間の体内の仕組みを評価するには、まず本人に感染してもらった上で、ダイナミックに変化する体内環境の一部を事前事後で比較できるようなアイデアがないと、ってことですか。
峰:そう。生物として活動している状況で、どの仕組みがどのくらい寄与しているか、というのを判定するのはとても難しい。
で、代用指標として、結局、例えば新型コロナウイルスの一部に反応するT細胞(正確にはその亜分類まで)がどの程度増えたか、全T細胞のうち何%がそのウイルス特異的(そのウイルスだけを狙い撃ちするよう)になったか、などを見たりするわけですが、それも実は免疫効果と相関していると言い切るには、まだまだ科学的知見が足りないんですね。研究がまだ浅い領域と言っていいと思います。
さらに自然免疫については、効果を測定するために何を測ればいいのか、とんと分からない。
編集Y:そうなんですか? でもときどき、「自然免疫が新型コロナに対して効果がうんぬん」という説も見ますが。
峰:そもそも自然免疫は「どの程度寄与しているのか」を計測できていないので、「効果があることも、まあ、理屈としてはあり得る……で、どうやって証明するの?」以上の学説ではないですね、今のところ。
もし、計測できないことを知らないで発言しているなら論外ですし、分かって言ってるなら、それは学者としては誠意を欠くでしょう。僕だって、もし計測できるならしたいです。そうすれば僕の研究も進むし(笑)。
編集Y:しかし、しかしですねえ、抗体の量が計測できるなら、T細胞だってカウントできますよね。「T細胞がばんばん増えてる! 効いてるぞ!」という感じで効果が分かったりしないんですか。
峰:実はそれも面白いところなんです。T細胞は標的に合わせて1無量大数種類、とかそういうすごいパターンがあるわけですね。そうすると、例えば1マイクロリットル、1滴の血液の中に100万個あったとしますよね、T細胞が。
編集Y:はい。
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