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:牛痘ですね。牛の乳搾りをする人が感染し、その人は天然痘にかからないという伝承から「人間にとってはダメージの少ない病気に感染することで、天然痘への『二度なし』が手に入るのでは」と発想したのだろうといわれています。深掘りすると面白いんですが、まずは、「弱毒化した病原体で、感染予防と、接種自体による感染を防げる」という考え方ができたことを理解してください。これがワクチンの始まりです。

編集Y:なるほど。

:免疫学はどんどん発達して、二度はかからない理由を探し続け、ヒトの免疫システムが解明されてきたわけです。

編集Y:で、二度目が(理屈としては)ない理由とは。

:ヒトの免疫系には「免疫記憶」というものがあることが分かってきたわけです。感染した病原体を記憶している細胞(メモリーB細胞やメモリーT細胞など)がある。最初の時は反応が鈍くすぐには反撃できないので感染を許してしまうんだけれども、2回目はもうレディゴーの状態でずっと構えているので、感染症を起こす病原体が入ってきた瞬間に、待ってたぜ、バーンと撃退できる。

編集Y:記憶というのは、具体的には……。

:ごく手短に言いますと、免疫系の細胞、T細胞とかB細胞は、病原体に対応するいろいろなパターンの抗体(免疫グロブリンと呼ばれるタンパク質など)をあらかじめ用意していて、パターンに合うヤツがやってくると、活性化する。いろいろと言っても、1億とか2億とかじゃないですよ。

編集Y:100億とか、1兆とか。

:いや、1無量大数とかのスケールでのパターンが用意されているわけです。

編集Y:無量大数! 小学生のころに数字の単位を面白がって覚えましたが、極、恒河沙、 阿僧祇、那由他、不可思議の上、無量大数ですか。まさか生きているうちにこんなマンガみたいな単位を使う話を聞くとは。

:10の68乗よりも上ですね(笑)。

編集Y:えええ(笑)。

:細胞の中の遺伝子は設計図なので基本的に変化しないと思われていたんですけど、免疫細胞だけは自分の細胞内の遺伝子を変化させられるわけです。これによって、病原体に対する武器(抗体やT細胞受容体)に様々なパターンを作っている。解明したのは利根川進先生の時代の人たちなんですね(参考リンク→「科学系ノーベル賞日本人受賞者7人の偉業」国立科学博物館)。

編集Y:1975年か……(まさに小学生で無量大数を覚えたころだ、と遠い目)。

:さて、それまではウイルス、病原体をいかに弱毒化するかというのがワクチン開発の手段であり目標でした。これを「生ワクチン」と言います。

 しかし、実は免疫側は既に準備が整っていて、いろいろな病原体に適応するパターンを準備してあることが分かった。ということはこの免疫系を正しく刺激すれば、「二度なし」を人工的に起こせるんじゃないか。と、発想のチェンジが起こってくるわけです。

編集Y:ん? よく分かりません。

:つまり、それまでは「生きたウイルスそのもの」を弱毒化して体内に入れるしかなかったのが、免疫系が「これはウイルスだ、迎撃準備をしよう」と認識さえできれば、効果があることが分かった。

編集Y:はい。

「不活化ワクチン」が世界の主流になる

:ということは、身体に打ち込むウイルスが生きている必要はないし、人間には害がなく、免疫系が「ウイルスだ」と認識(実際には誤認)できる成分だけを注入することができれば、感染のリスクはなくした状態で、ちゃんと機能するワクチンが作れるんじゃないか、ということです。

編集Y:免疫系が「ウイルスが侵入した!」と思ってくれれば、別に生きている本物じゃなくてもいい。そのほうがリスクが少ない。なるほど。

:なので、まずウイルスをホルマリンとかに漬けて「殺しちゃう」んです。まあ、もともとウイルスは生物かどうか微妙なんですけど、とにかく体内で増えないようにする。その成分をきれいに精製して、成分だけを打ってみたわけです。そうしたら実際に病気が防げることが分かってきた。これが「不活化ワクチン」です。

編集Y:すばらしい!

:ただし。

編集Y:あ、「ただし」付きですか。

:不活化ワクチンでは実際に身体に感染症状が起こるわけではないので、免疫系の反応が若干弱いんです。効果が長く続かないことも分かってきたんですね。例えば、3年ぐらいは続くんだけど4年後にはまた感染してしまう可能性がある。これは何が理由なのかの研究が進み、だったら免疫系への刺激を強く与えてあげればいいんじゃないかという発想で、「アジュバント(Adjuvant)」というものが考えられました。

編集Y:効果促進剤ってことですか?

:そうそう。ワクチンの成分と同時に打ち込んで、免疫系を刺激してあげるんですね。言ってしまえば、「実際に感染した」と勘違いさせるようなものでしょうか。

編集Y:アジュバント少年が「オオカミが来たー!」みたいに騒ぐわけですな。

:かくして世界の主流は不活化ワクチンになったわけです、一度は。

編集Y:不活化ワクチンに、何か問題でも?

:不活化ワクチンというのは、ウイルスを増やさなければ作れないワクチンです。例えばインフルエンザウイルスのワクチンは、まず鳥の卵にインフルエンザウイルスを入れて、わーっと増やすんですね。そこからウイルスの粒子を取り出してきて、ホルマリンなどで殺して、精製して打っているんです。今でもこれでやっています。

 その後、70年代以降のバイオテクノロジーの急速な発達が、新たなワクチンを生み出します。「ウイルスを増やさなくても、ウイルスの成分の1つだけを人工的に作ったらどうだろう」という発想が出てくるわけです。

 これが「組換えワクチン」、もしくは「成分ワクチン」「コンポーネントワクチン」などといわれるもので、例えば、「あるウイルスの表面に飛び出している突起の設計図」を用意して、それを酵母とか大腸菌とか昆虫の細胞とか、あるいはヒトの細胞で、人工的に増やす。その細胞を全部殺してタンパク質を精製すると、ウイルスの一部だけの成分ができるわけです。

 これをヒトの身体に打ち込んだら、ちゃんと免疫ができました。ただし不活化ワクチンとまったく同じ理由で刺激が弱い。なのでアジュバントとか、接種スケジュール、何回打つかとか、そういう方法論がどんどん発達しました。

編集Y:はー。

遺伝子工学の進歩から「核酸ワクチン」登場

:ここまでがワクチンとしてはオーソドックスな、「ワクチン3兄弟」です。

編集Y:生、不活化、そして成分ワクチン(組換えワクチン、コンポーネントワクチン)。

:ところが、遺伝子工学がさらに発達すると、またまた新たなアイデアが出てきたんですね!

編集Y:そ、そうですか(やや気押され気味)。今度は何でしょう。

:これまでは、ウイルスの全部や一部(特にタンパク質)を用意して、体に入れていたわけです。ところが「ウイルスの成分のタンパク質を『人間の身体のなかで』作らせてもいいじゃないか」という発想が現れた。ウイルスの一部のタンパク質の設計図に当たるものを打ち込んで、ヒトの体内で作って、免疫系を刺激しよう、と。

編集Y:……聞いただけだとなんだかすごくヤバそうな気がするんですけど、設計図だけ打ち込むメリットは何なのでしょう。

:製造が比較的簡単(工程数が少ない)、管理が比較的容易、コストが安い。量産しやすいし流通もさせやすくなる。これらが大きなメリットです。

 この一例が「ウイルスベクター」という考え方で、遺伝子治療にも使われる先端的な技法なんですね。基の考え方は遺伝子操作などで自己複製能力と増殖力を失わせたウイルスに、患者にとって、欠落している遺伝子を組み込んで、体内で増やそうというものです。

 アデノシンデアミナーゼ(ADA)欠損症という免疫不全があるんです。ADAという酵素が体内になくて、免疫が機能不全を起こしてしまう。そういう先天性の障害の方がいたときに、ADAの設計図を持ったウイルスを感染させれば、身体の中でADAができるはずだという発想だったんです。実験では、ADAが増えて、症状も消えて、「ああ、これはすごい」となったのですが……。

編集Y:が?

:99年に行われた4例目の新生児が治療から30カ月後に白血病になってしまいます。このADAという遺伝子が、患者の染色体に組み込まれるんですが、「組み込まれた場所」が悪かったんですね。がんに関連する遺伝子を刺激する場所に入ったことが分かりました。こういう事故があって「足りない遺伝子をウイルスで補充する」という遺伝子治療の考え方の実験研究はいったん足踏み状態になりました。

 そういう経験を踏まえて、ウイルスが持ち込む設計図が、我々の細胞の大事な染色体DNAに組み込まれないようにすれば、安全に同じ効果が期待できるのではないか、と、アデノウイルスというものを使った遺伝子治療が考えられ、そして同じ技法でワクチンが生まれます。ですからワクチンというか、正確に言うとこれは遺伝子治療の一種とも言えてしまいます。

編集Y:「遺伝子治療、でもワクチン」と言われると不思議な気がしますね。

:繰り返しになりますが、遺伝子治療というのは、我々の身体に足りない遺伝子を補ったり、壊れた遺伝子を修復したりするものですね。であれば、本来は体内に持っていない外来のウイルス(の一部の)成分を増やしてやることもできるだろう。そうすれば、その成分に対して免疫ができるはずだ、と考えられるわけです。つまり、この遺伝子治療に関わる遺伝子工学的技法をワクチンに使えるだろうと発想した人がいるんですね。

編集Y:すげえな。

:さて、ここでようやく話が新型コロナワクチンにつながります。

編集Y:おっ!

:新型コロナ用に、オックスフォード大学と英アストラゼネカが今回開発しているものはこの方法によるワクチンです。アデノウイルスを使った「AZD1222」。中国のカンシノ・バイオロジクスと北京バイオテクノロジー研究所も、同じやり方で「Ad5-nCoV」を開発しています。チンパンジーのアデノウイルスを使って、新型コロナの一部の遺伝子の設計図を我々の体の中に打ち込むと、アデノウイルスがどこかの細胞に感染させて、製造を行うんです。

編集Y:どこかって、どこですか?