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 5月末から6月にかけて掲載した、新型コロナウイルス(以下、新型コロナ)とその対策についての峰宗太郎先生のインタビュー(このコラムの1~3回目)は望外のご評価をいただいた。もちろん、峰先生の知見と語り口あればこそだが、物分かりの悪い筆者のだらだらと長い話を、前向きに受け入れてくださる読み手の皆様の心の広さのおかげだと思う。改めて御礼を申し上げたい。

 新型コロナとの戦いは新たな局面を迎えつつある。治療薬の開発も進められているが、今後、最大の話題と論点は「ワクチン」になっていくはずだ。

 ワクチンや免疫といった言葉は決してなじみのないものではないが、その分、誤解や思い込みが発生している可能性が大きい。社会が共有してしまっている誤解(本人は“常識”と思っているわけだが)にうまくハマる誤った言説が、これから必ず大量に出現するはずだ。

 例えば「検査」という言葉が、専門家と一般社会とでは意味するところが大きく違うことが、新型コロナの「PCR検査」を巡る不毛な論争を招いた。ワクチン・免疫に関する、専門家と社会との認識のズレはさらに根深く、また、与える影響も甚大になる。

 この先、ウイルスのごとく続々と現れる「一見、正しそうに見える」俗説に惑わされず、自分で考え、行動するには、どうすればいいのだろうか。

高い山を裾野からゆっくり登ろう

 自分自身の体験をお話しするなら、結論だけをネットで読んだり、専門用語の意味をwikiで検索して独り合点したりする前に、「専門家が見ているその分野の全体観」を、うっすらとでもいいので知っておくことが、急がば回れの早道だと思う。さすれば、俗説の「つじつまが合わない」部分、本当の専門家ならばしないであろう物言いが、ピンとくるようになる。

 ワクチン、そして人間の免疫について、ざっくりとでも理解しておくことで、近い将来やってくる「国民への新型コロナワクチン接種」という事象に対して、冷静に判断できるようになりたい。誰よりも自分がそう思ってお話を聞いてきました。

 高い山でも、緩い坂をのんびり登っていけば、そこそこの高さまで到達するはず。時間がかかることだけはご容赦を。それでは、今回も裾野のほうからだらだらと進めさせていただきます。

ウイルスと免疫、どちらがご専門ですか?

編集Y:今回もよろしくお願いします。最初に、初期設定の確認をしたいんですが。

峰 宗太郎先生(以下、峰):よろしくお願いします。初期設定ですか(笑)。

編集Y:はい、これからお話をされる方は、どういうバックグラウンドをお持ちなのかを改めて読者の方と共有したいんです。第1回の冒頭(「緊急事態宣言解除『現状で確実に言えること』を専門家に聞く」)で、「米国の医療・医学研究機関に所属し、ワシントン在住。今回の新型コロナの研究にも携わる。研究テーマはヘルペスウイルスをはじめ、ヒトとウイルスの免疫状態の関わり」とうかがったのですが、ということは、ウイルスの研究がご専門なんでしょうか。それとも免疫? あるいは、どちらもですか?。

:なるほど。それはちょっと面白いご質問です。そうなんです。私が専門にしているのはヘルペスウイルスなんですけれども、だからといって「バリバリのウイルスの研究者」ではありません。ウイルスの専門家の方から言わせると「君はウイルス屋じゃない」となりますし、免疫の研究者の方からは「峰は免疫屋じゃないよね」となる。あれ、「屋」って、もしかすると拙い表現ですか。

編集Y:蔑視、侮蔑の意図がなければ問題ないと思います。つまりウイルス、免疫の専門家の方からは「俺たちとは違うよな」と見られるわけですね。では、峰先生のご専門は何になるんですか。

:分野としては「バイラルイミュノロジー(viral immunology)」といって、直訳すると「ウイルス免疫学」です。

編集Y:ウイルス免疫学。では今回から先生の肩書きを「ウイルス免疫学者」に直します。しかし、具体的にはどんな学問なんでしょう。

:例えば、ヘルペスウイルスというのはだいたい人口の9割以上は既に感染しているんですね。

編集Y:えっ。ヘルペスって帯状疱疹(たいじょうほうしん)を起こすやつですよね?

:それもヘルペスウイルスの一種です。実はヘルペスウイルスはヒトに感染するものだけで9種類が知られているんですね。それらのほとんどはどれも広く感染しているのですけれども、多くの人では悪さを起こさない。というのはなぜかというと、ヒトが持っている免疫がうまく抑えているわけです。

編集Y:なるほど。

:ヘルペスもインフルエンザも新型コロナなんかもそうですが、感染症というのはウイルスや細菌などの「病原体側」だけではなく、「感染される側」の免疫などの状態と合わせて、両者を理解することが必要なんです。

 バイラルイミュノロジーというのは、病原体のひとつであるウイルスがヒトに入ってきたときに、ヒトの免疫がどうやって抑え込むのか、反応するのかを理解したい、どういうバランスで成り立っているのか、それがどう崩れると疾患を発症してしまうのか、といったことを研究する、微生物学と免疫学の合わさった部分にある研究分野ですね。

編集Y:しかし、それって免疫学、ウイルス学、どちらにとっても重要な分野ではないんでしょうか。

:難しいご質問ですが、ウイルスも免疫系も、ものすごく研究する世界が広く深く、かつ、複雑なので、研究がより専門化・細分化していく傾向が強いです。これは医学に限らず、先端分野の研究でよく見られることですが。

編集Y:つまり、個々のウイルス、個々の免疫系「そのもの」への研究が優先されがちなんですかね。「俺の専門としている×××ウイルスの増殖は」「俺の得意な○○○免疫細胞の性格は」みたいに、研究テーマが狭く深くなっていく。

:分かりやすく言うとそういう傾向があるかもしれません。研究者は、自分のテーマを見つけるとどんどんどんどん進んでいきます。突き進んでいきますので、そこについては本当に世界一になっていくわけです。ところが突き詰めるとなかなか戻れないんですよ。意識して、時々、自分の研究分野から離れて全体を鳥瞰(ちょうかん)的に見る勉強をし続けていない限りは。だって、研究が進めば進むほど、その先にどんどんどんどん「ここをもっと深く掘りたい」ものが見つかっちゃうんですから。掘るものが増えていっちゃうので、全体を語るのが難しくなる。

編集Y:分かる。掘れば掘るほど掘りたくなる。一緒にするな、と言われそうですが、マニア、おたくの世界と近しいものを感じます……。ああ、だから、学際的な分野が生まれてきたと。

:学際というか、そういう、確立され、深掘りされていく専門分野と専門分野の間の、「それ以外」のところが、行き詰まり始めている影響が大きいと思います。

編集Y:行き詰まり?

効率を求め、そして「研究しにくい」分野が残った

:生物学の分野の研究にも、「どれだけ大量のヒューマンリソースと時間とお金を投下して、いかに産業的に成果を出すか」、という側面があります。リソースを投じる以上、成果と効率も重視されます。どばっとお金が入って研究が進むと、本流、王道の部分は早い時点でやり尽くされちゃうんですよね。

編集Y:あ、なるほど。分かりやすい。

:そうすると残された課題というのは「やりにくい」などの理由で効率の悪い部分に残ったモノになっていくわけです。それは何かと言うと、ウイルス学だけでは解決できない、免疫学だけでも難しい、そういう境目のところにある課題です。

編集Y:掃除しにくいところにゴミがたまるみたいな……すみません例えが不適切でした。

:(苦笑)細分化して深く掘り下げていく一方で、ある意味「難しい」または「面倒くさい」、もしくは「応用的な」課題が後回しになって残っていくんですよね。

 がんの研究で例を挙げましょうか。がんの発症は遺伝子の異常がきっかけになるものが多いわけです。「レチノブラストーマ(網膜芽細胞腫)」という、主に子どもの目の中にできるがんがあります。これにまつわる有名な話には「ツーヒットセオリー」というのがあって。

編集Y:ツーヒットセオリー。

:遺伝子を含む「DNA(デオキシリボ核酸)」は染色体を作っていて、染色体は対になっているんですが、Rbという大事な遺伝子を含むDNAのうち、生まれつき2対のうちの1対がだめになって生まれてくる子がいるんですね。つまり、生まれた時点で「ワンヒット」状態になっている。その子の中でもう1対のRb遺伝子がなんらかの形で異常を起こすと、がんを発症してしまう。

編集Y:2つの染色体がダメになるとがん細胞が生まれる。だから「ツーヒット」。

:このRb遺伝子は最初に見つかったがん抑制遺伝子のうちの1つなんですけど、非常に分かりやすいですよね。たった1種類の遺伝子ががんの発症を強力に左右する。逆に考えれば治療にも役立つ。そこで、そういう遺伝子が研究者によっていっせいに探されたわけです。その結果、1遺伝子でがんになるようながんは、もうかなり研究され尽くされちゃった。

編集Y:部屋の真ん中はお掃除されてしまった。

:そうしましたら「多段階発がん説」というのが次に分かってきます。例えば大腸がん。最初にAPC遺伝子というのがだめになって、KRASというのがだめになって、P53がだめになって、と、段階的に複数の遺伝子がおかしくなって、最低6個ぐらい遺伝子がおかしくなるとがんになるんです。こういう多段階のものが研究されて、さらには「遺伝子そのものだけじゃなくて、遺伝子に影響を与える要因も見るべきだ」と。さらに環境因子なんかですね、肺がんは遺伝子だけではなく、喫煙をはじめ様々な影響があるわけです……と、「細分化」しつつも、「還元主義」では原因を探りきれない方向にどんどん向かっていく。

編集Y:そしてその先に「専門外」の領域があったりするわけですね。