泰:クオリティー。
―― クオリティーには納期も含まれると思うんですけれど、本でも出ましたが、自分の求める表現が達成されるまで、ぎりぎりまで手を離さない作家さんもたくさんいらっしゃる。泰さんの納期の早さには、いい意味での割り切りがある、というお話を伺いました。では、その割り切りというか、見切り、「ここまでやったら手を離せる」というのは、言葉にしていただくとどういうことになるのかな、と。
泰:そうですね、早く仕上げるというのは警察官時代に身に付いた習性ですけど、クオリティーをあきらめるというのは。
―― いや、あきらめるとまでは。
タブチ:あきらめてないですよ!
泰:できる範囲で最善を尽くすというのは絶対にやっているところなんですけれど。じゃないと読む側には絶対分かる。「今回、手を抜いて描いているな」というのは伝わってしまう。だから絶対に、読む相手に誠意を尽くすというのは考えているところなんですけど、これはもう本当にきりがないというか。
―― ですよね。
泰:「どこかで線引きをしないとすべてが崩れてしまう」という恐怖があるんですよね。スタッフさんにも編集さんにも迷惑を掛けるところに自分が今ぐらぐらしながら立っているという恐怖、それは連載中ずっとあって。そこを崩さないためにずっと生きている感じがしていますね、最近は。
―― そこの一線というのはどこにあるんでしょうか。
「読んでがっかりしないかどうか」
泰:「自分が読者としてこれを見たときに、今週の原稿として読んでがっかりしないかどうか」ですかね。上を狙って、感動させようと思って描いたらきりがないので、これで喜んでもらえるかとか、がっかりしないかが最低のラインで。あと、ある程度狙ったコマについては、見た人に狙った感情を引き出してもらえるかというところで切っています。
タブチ:50を90にするより、90を95にする方が時間がかかるんですね。作家さんによっては100にしようとしたり110にしようとしたりして、いつまでも終わらないという人がいるので。でもそれで落ちるんだったら90でも読ませてくれよという気持ちもあるじゃないですか。
―― そう、読ませてほしいですね。載らなきゃゼロですもんね。それはマンガ家を続けているうちに自分の中に生まれた覚悟みたいなものですか。
泰:いや、そこまでたいそうなものではなくて、マンガを描き始めてから自分が見て「これで大丈夫か」と、常に疑心暗鬼というか、びくびくしながらやっていたので。毎回、試行錯誤を繰り返すから絵柄が全然安定せず、「前の絵柄がいい」とか「今回手抜き」とか読者に書かれてしまう、力不足で申しわけないです。だから自分でも人様に見せて「大丈夫」なラインがどんどん変わっていく。
―― そうなんですか。
泰:だから今、1巻、2巻あたりを見ていると「こりゃ大丈夫じゃないな」と。恥ずかしいです。もう見られないです(笑)。
タブチ:いや、まあ、それでいいんですよ。
―― タブチさんの中にもおそらくそういうラインはあると思うんですけれども。
タブチ:そもそもスタート地点で、「絵で勝負じゃないでしょう」というところで始めているので、伝われば大丈夫だし。でも、さっき言った90で大丈夫というのは、たぶん10年前だと怖くて言えなかったと思うんですよね。やっぱりマンガ家さんは100にしたいと睡眠時間を削ったり休みがなかったり、それこそ親の死に目に会えなかったりする。それがマンガ家だという美学を持っている人が結構たくさんいらっしゃいました。今でも結構、「100でなくてもいい」と言えない人はいると思います。
―― でも、そこは変わってきたんですね。
妄想力エンジンに火をつけて
タブチ:そう。ストイックにやることがすべてではない、という話ができるようになってきたんだと思います。
―― 混ぜっ返しっぽいんですけど、「本当にすべてやるべきことをやったのか」みたいな聞き方をされたら、普通のまっとうな人間だったら誰だって、「いや、ちょっと足りないかな」と必ず思うじゃないですか。
泰:と言わざるを得ない、という。
―― そうですね、言わざるを得ない気持ちになるじゃないですか。そうではなくて、「がっかりされたくない」という言い方、これはいいですね。
タブチ:早い進行は、そのまま新作のための資料収集と読み込みの時間確保につながっていますから。
―― ああ、そうか! 今まさに、泰さんの脳内に歴史もの作品用の妄想力エンジンが組み上がりつつあるわけですね。
泰:完全にそのモードです、はい。できれば面白く描きたいと思っているんですけど、まだ形になってないので、自信を持っては言えないですけど、頑張ります。
―― その控えめさがまた。
泰:不安でもう。今全然、夜寝られない感じですね。
―― 本当ですか。
泰:ずっと新作の時代のことを考えていて寝られない感じです。
タブチ:そうですね、今は頭がそっちに行っている。なので、またこれが『ハコヅメ』の頭に切り替わったら、また妄想が全然湧いてくると思いますね。
泰:そうですね。
タブチ:それは見ていて間違いないと思います。
―― ありがとうございました。新作のお話を伺うのを楽しみにしています。もちろん『ハコヅメ』第2部の開幕も。
女性警察官で10年勤務して、いきなり週刊マンガ誌で連載して、それがドラマ・アニメになって累計400万部の大ヒット?! まさに「異世界転生」クラスの転職を成功させたマンガ家、泰 三子さんにロングインタビュー。警察官とマンガ家、大組織とフリーランスの両極で、サバイバルするための方法論を「ハコヅメ」仕事論として語っていただきました。
本書の中身は、マンガ家編(デビュー時、ドラマ化時)と、警察官編(働き方編、ジェンダー編)のインタビュー、そしていくつかのコラムです。322ページほどありますが、マンガの名場面を大量に引用しておりますのと、話し言葉で進みますので、サクサク最後までお読みいただけます。おそらく、弊社始まって以来の爆笑ビジネス本になるのでは、と、やっちまった感に苛まれている今日この頃です。
中身が知りたい方は、以下のリンクからご覧ください。本書のマンガ家編の元になったパートがお読みになれます(書籍ではアップデート、加筆がなされ、マンガの引用が追加されています)。
●「警察は“しょうもない人”が頑張る仕事です」
●「警察で学んだ、マンガ家として急成長する方法」
●「ドラマもアニメも漫画賞も。『ハコヅメ』、日経ビジネスに凱旋!」
●「『今の今まで知らなかった』ハコヅメの伏線に講談社の担当者驚愕」
●「『ハコヅメ』ヒットを支える『嫌われることを恐れない』覚悟」
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