(前回からお読みになりたい方はこちら)
山中浩之(以下、編集Y):分子ウイルス学、免疫学の研究者で、米国の医療・医学研究機関に在籍されている、峰宗太郎さんに「専門家として、今、確実に言えること」をお聞きしています。さて、治療薬についての現状はどうでしょうか。
峰:現在、特異的な抗ウイルス薬は、これは言い切りますが、「ありません」。
編集Y:5月7日に厚生労働省が、レムデシビルを治療薬として承認していますね。
峰:承認された今となっても言いますけど、ありません。レムデシビルは、あれは劇的には効いていません。現時点ではワクチンもない。
編集Y:えーと……。
峰:ワクチンと治療薬を分けてお話ししましょう。ワクチンには何種類かあって、まず、いわゆる「生ワクチン」。これはウイルスの活性を弱めて病気が起こらないようにして体内に入れるものです。強い免疫反応を誘導するので、ちゃんとした抗体ができることが多いですが、失敗すると感染者を人為的に増やすことになってしまいます。そして「不活化ワクチン」、殺したウイルスを打つものです。インフルエンザワクチンがこれです。
次に「成分ワクチン」。SARSコロナウイルス2(SARS-CoV-2、いわゆる「新型コロナウイルス」)は、人の細胞の「ACE2」という部位に「スパイクプロテイン(Sプロテイン)」を使ってくっついて、細胞の中に入っていくんです。入ったら、人の細胞が持っているいろいろな機能を乗っ取って、自分たちのタンパク質を増やします。
編集Y:「自分たちのタンパク質を増やす」、イコール、感染した人の体内で新型コロナウイルスの増殖が始まる、ってことですよね。それが病気(COVID-19)や、他の人への感染につながる。
峰:はい。ということは、このSプロテインの活動を邪魔してしまえばウイルスは増殖できない。そこで、Sプロテインに対する抗体を作らせるために、新型コロナウイルスの、Sプロテインの成分を体に打つ。ヒューマン(ヒト)パピローマウイルス(HPV)の感染を防ぐための、子宮頸(けい)がんワクチンなどでも使われる手法です。
編集Y:へえー!
峰:もっとすごいのは「DNA/mRNAワクチン」。SプロテインのmRNAや、そこから情報を移したDNAを人間の体に打ち込んで、人間の体にSプロテインを作らせて、そこから免疫も得ようという新技術です。
ちょうど今、米国のモデルナという企業がつくったmRNAワクチンがフェーズ1に入って、人間で効果があった(抗体ができた)、という報道がありました。前回も申し上げましたが、これまた人間に試すのはこれが初めてのことで、まさしくワープスピードで開発が進んでいます。ということで……
編集Y:すばらしい!
峰:……ワクチン自体は順調に開発が進んでいるところも多いようです。なので、期待はできるんですが、懸念点はやはり安全性ですね。スピードの裏側には倫理観・安全性のステップを飛ばしていることがあるわけで、もし、接種が始まってから問題が起これば、医療不信にもつながりかねないと心配しています。
編集Y:そうか、そうなったら、ワクチンなんて絶対打たないぞ、という人がどどっと増えますね、きっと。
峰:そういうことですね。この話は機会があればぜひまた。
さて次に治療薬です。さて、ワクチンはSタンパクが主なターゲットになるのですけれども、抗ウイルス薬のターゲットは、メインプロテアーゼ、ORF1abなどの酵素です。
「効いた」という言葉の意味が違うのか?
峰:現在有望な主なターゲットは、ウイルスの自己複製機能をつかさどる「RNA-dependent RNA polymerase」という酵素、これはRdRPと訳すんですけど、このRdRPの機能を阻害して、自己複製をさせない=増殖を抑える、という作戦です。
そのひとつが「ファビピラビル」。これは商品名「アビガン」ですね。それから、「ロピナビル・リトナビル」というものがありますけれども、これは「カレトラ」という商品名のHIVの薬です。2月にすごく話題になり、いつの間にか消えていった。それから、先ほどのレムデシビル。それぞれが攻撃するウイルス(たとえばアビガンはインフルエンザウイルス)のRdRPを狙って開発され、新型コロナウイルスにも効くのではないか、とされたものです。
カレトラは3月18日に治療効果は特にないという論文が出まして、話題も尻すぼみになりました。次がアビガン。これは効果がありそうという論文が一度出たんですけど、撤回されたりもしました。その後に中国や日本などで治験が継続中です(5月20日、臨床研究の中間解析結果で「有効性を示せなかった」と報道され、日本では5月中の承認が見送られた)。
マラリアなどの治療薬で「クロロキン」と、似た性質の「ヒドロキシクロロキン」。これは、トランプ大統領が飲んでいるとツイッターで言っちゃったやつですけれども、効果がない、むしろ死亡率が上がるという論文が出ました。
そしてレムデシビル。レムデシビルの論文は出ましたけれども、実は効果はわずかで治療期間が短縮されるというものでした。まあ、インフルエンザのタミフルと同じで、熱の出ている期間がちょっと短くなるというのに近い。つまり、重症化を防いだり、重症化の人の死亡率を下げたりする効果はなかったということが分かっています。症状をちょっと抑えているぐらい。それでも緊急承認がなされました。
「シクレソニド(商品名オルベスコ)」は治験も継続中でして、これは喘息の患者さんが吸入するお薬ですね。一時メディアで非常に話題になりました。あとは「フサン(ナファモスタット)」というお薬ですとか。「イベルメクチン」はまだまだ仮説で、これから試験という段階です。非常にメディアに取り上げられてはいるんですけど、動物でも効果が確かめられてない段階なので、騒ぐものではないと考えています。
編集Y:救世主登場! みたいに騒がれてはあっという間に尻すぼみになっていく……なんだか、「効く」という言葉の意味が、専門家とそれ以外では違うような気がしてきましたよ。「アビガンという薬をもらって、劇的に効いた」という患者さんの声がネットに流れたりしましたよね。そういうのを見ると自分なんかは「おっ!」と思うけれど、専門家の方はどう考えるのでしょう。教えていただけませんか。
峰:まず普通に医療研究者として一言で言うと、患者が治ったというだけでは、その薬が効いたか、効いてないかは分からないんですよね。
編集Y:それはなぜでしょうか。
峰:ある病気の人に薬Aを与えた。そして、「治りました!」となったときに、薬Aだけで効いたと我々は絶対言わないんです。というのは、Aを与えなくても治る可能性はあるわけです。たとえば、たまたま自力で回復するタイミングで飲んだのかもしれないじゃないですか。
編集Y:ああ……まあ、そう言われりゃそうですけど。そんなことを考えるんですか。
峰:考えるんです。そして、アビガンに関して日本で行われている観察研究(※編注:通常の診療を通して患者の推移を見るやり方。検査のために介入を行うものは「介入研究」と呼ばれる)は、自分が見た限り、薬の経過なのか自然な経過なのか、よく分かりません。
薬の効果を証明したい場合、科学者としてやることは簡単なんです。ランダマイズド・コントロールド・トライアル(RCT:randomized controled
trial:ランダム化比較試験)といって、治療群とコントロール群とをつくるんです。アビガンを与える群とアビガンを与えない同じぐらいの病気の人。しかも1人対1人じゃなくて、必ずもう何十人対何十人などにして、どっちの群に自分が割り付けられているかも分からないようにします。予断がないようにするために。
それで明らかに差が出た場合に初めて「薬が効いた」と言うわけです。なので、ひとつの経験として、この薬を飲んだら良くなったというのは、基本的に科学者としては、「よかったですね、その薬の効果かどうかは分かりませんけれどね」としか言えないんです。プラセボ、プラシーボ(偽薬効果)といって、普通のブドウ糖を「特効薬です」と言って投与したら、実際に元気になる方はいらっしゃるわけですし。
編集Y:そういう、介入研究を経ていない、RCTを行っていない研究の結果が、「治りました。(観察研究の結果としては)効いています」という言葉で世の中に流れ出ている。しかもこれって試験の条件さえ書いてあれば別に嘘じゃないわけだ。研究者の人は「ああ、観察研究で、ね」でスルーする。ところが我々は文字通り「効果があったんだって!」と受け止めて一喜一憂している、ということですか。
峰:そうです。でも薬を飲んだ人としてはもし効果があれば「効いた、あの薬のおかげで助かった」と言いたくなりますよね。そうしたら、そういう人が発信してしまうのは当然です。
編集Y:それはそうだ。患者さんは責められない。
峰:5月18日に日本医師会の有識者会議が緊急声明を出しているんですけど(「新型コロナウィルス感染パンデミック時における治療薬開発についての緊急提言」)、ランダム化試験を経ていない薬の承認はもう絶対にしないでほしい。印象だけで承認したり、非科学的な手法を取ったりすることはだめだということをはっきり言っています。これは当然なんです。あらゆる医者の、医者というか、科学の原則は比べることですから、比べることなしに何かを言ってしまうということはやっぱり危ないんですよね。
編集Y:「治った」=「効いた」と直結してしまう一般の人と、専門家が言う「効いた」の意味は、やはり違うんですね。そのギャップを埋めるのが、本来、我々の仕事なんですよね……。
そうだったのか!? PCR検査
編集Y:気を取り直しまして、一時よりだいぶ下火になりましたが、日本の検査体制が不十分だ、という声も大きく上がりました。
峰:日本でのPCR検査数は少な過ぎたのかどうか、という話ですね。
編集Y:はい。前回ちらっと前振りしましたが、新型コロナウイルスは、感染による症状が出ない人がたくさんいて、その人たちが自覚せずに出歩いてウイルスをばらまいてしまう(前回の3ページを参照)。だったら、医者が検査をするかどうかを判断するのではなく、自主的に検査を受けられるようにして、「無自覚の感染者」を減らせばいいじゃないか、そのためには今の検査体制じゃ、全然足りないぞ、という。
議論が過熱したポイントは、「検査数が足りているかいないか」というより、「受けたい人には受けさせろ」というところだと思います。誰だって「自分が知らない間に感染して、家族や同僚にうつしていたらどうしよう」と不安になりますよね。それを解消したいという願いは個人的にすごくよく理解できるんです。
峰:まず、PCR検査って実際は何をやっているかというと、鼻から綿棒を入れて、喉の奥を触るんです。咽頭のぬぐい液というのを採取して、そこからRNAというウイルスの設計図の書き込まれた核酸だけを抽出します。
RNAは不安定なので、これを一度、DNAに変換します。そして特異的なDNAの部分だけを増幅する。PCR(Polymerase Chain Reaction:ポリメラーゼ連鎖反応)とは、この増幅のことです。増幅して、特異なDNAが存在したことが確認されると、この人の体内にウイルスがいたと判定できる。
と、これだけでも大変ですが、ちゃんと検体が取れていることから始まって、その検体の保管・運搬時の状況や使用する薬剤の管理、増幅の手順とか、いろいろあるわけです。
これだけステップ数がある上に、この増幅反応はかなり特異的なものなので、検査で陽性と言われれば、たぶん「感染している」と言い切っていい。
編集Y:ああなるほど。つまり、「陽性と判断されるほうが大変な検査」ってことですね。陽性と判断しそこねる要因が山ほどあるから、それらを経て「陽性」と判断すれば、もう間違いないだろうと。
峰:そう。逆に、ステップ数が多いだけに、そもそもちゃんと検体を採取できていないとか、途中でもともと不安定なRNAが分解してしまったとかで、あるものを「ない」、つまり感染しているのに陰性と判断する可能性も高い。「感度」、すなわち、陽性の人を陽性だと正しく判定できる割合は決して高くないんです。だいたい70%ぐらいと言われています。こういう、陽性なのに陰性と判断された人を「偽陰性」といいます。
編集Y:陽性の人が100人いたとして、30人は「大丈夫」だと思われてしまうって、これは素人目にも大変なことじゃないですか。そんな検査にどんな使い道が……あっ、そうか。「陽性か陰性か見分ける」には向かないけれど、「陽性と疑わしい人を確定する」には向いているんだ!
峰:はい、ですので、PCR検査は日本においても、世界各国においても、医師が検査を必要とした人、すなわち感染している確率が高いと思われる症例に対して行うのが望ましい。これを専門用語で「検査前確率が高い」と言って、ベイズ統計につながる考え方なんですけど、もともと疑わしきに当たることで、力を発揮できるタイプの検査なんですね。
編集Y:仮に東京都民1000万人(※実際には推計1398万人です)が全員検査を受けたとしますよね。現在のPCR検査の陽性率が5%(7日間移動平均、データはこちら)ですから、仮にこれをそのまま当てはめて、50万人いたとしましょう(これはあくまで計算上の仮定です、ご注意ください)。……で、全員検査を受けても、このうちの3割が偽陰性になるわけですか。15万人の陽性の人が、自分の感染に気づけず、診療・隔離もされないことになりますね。
(こちらが分かりやすいです→ PCR検査の特性と限界:神奈川県医師会)
峰:はい。「検査数を増やせ」と主張する人でも、ここを把握していないことがあります。検査前確率に触れず、「とにかく数を」と言いますけれども。
編集Y:やればやるほど偽陰性の人が大量に出てくるということで。
峰:それだけではありません。PCR検査は「特異度」が99%程度と高いのですが、母数が大きくなれば、「偽陽性」の人も大量に現れるわけです。
編集Y:あ、また専門用語が。
峰:「特異度」というのは「陰性の人が正しく陰性だと判断される割合」です。100人陰性の人がいたら、そのうち99人は「陰性だ」という結果が出る検査、ということです。
編集Y:1000万人の1%は10万人、仮に50万人の感染者がいるとして、全員にPCR検査をすると、正しく陽性と判断される人が35万人、間違って陽性と判断される人が10万人、陽性なのに陰性だと判断される人が15万人。うーむ。
峰:その仮定だと、実際の感染者数をすごく大きく取っていますから分かりにくいですね。たとえば実際の感染者が1万人だったとすると、問題はさらに深刻になりますよ。
感染者数が少ないほど、検査を増やすことが有害になる理由
編集Y:え、感染者が少ない方が問題は深刻になる、なぜですか?
峰:考えてみてください。実際の感染者数が少なくても、検査を受ける母数は変わらないんですから……。
編集Y:あっ、今度は偽陽性の人、本当は感染していないのに「大変だ!」となる人の割合が跳ね上がるのか。
峰:そうです。感染者は1万人しかいないのに、間違って陽性だと判断される人が10万人出てしまうことになります。感染者1万人のうち検査で陽性と判断されるのは7000人。つまり、検査で「陽性だ」と言われた人の中で、本当に治療が必要な陽性の人は、たったの6.5%しかいないことになります。
編集Y:……そして10万人の、本当は陰性の人たちが意味なく2週間入院・隔離になってしまう。まさに医療リソースの乱費の発生だ。
峰:おまけにこの場合も、偽陰性の人は3000人発生してしまうわけです。
「不安だから検査したい、誰にも迷惑をかけたくない」という気持ちはよーく分かりますが、自己申告検査は、偽陰性・偽陽性ということを考えると有害にもなり得るということが、だいぶ知られてきたかなと思っています。
編集Y:なるほど……不安だからと検査に行っても、繰り返しになりますが「陽性の確定」には使えても「陰性であるという証明」にはなりにくいんだから、そもそも意味がないですね。え、ということは、「陰性の証明をしないと出社させない」とか「入国させない」とかいうのは、理屈としては破綻しているわけですか。
峰:そうです。そして仮に、100%の感度、100%の特異度の検査がもしあったとしても、検査を終えた次の瞬間から飛沫・接触感染する確率はゼロじゃないですから、本当に意味がないんですよね。そもそもPCR検査数って、どこの国が一番多いかご存じですか。
編集Y:えっ。中国?
峰:いや、絶対数で言ったらイタリア、英国、米国が多いんですよ。
編集Y:感染者数も死者も多いですよね。「たくさん検査をしているから、感染者が見つかる数も多い」ということですか?
峰:いやいや、申し上げたいのは、「PCR検査は絶対数で考えてもあんまり意味がない」ということです。1人の死亡者当たりのPCR検査数だとか、1人の感染者当たりのPCR検査数、という考え方が重要になるんです。その国の流行の状況に比べて、検査数がどうかを考えないといけないんですよね。今回は人口当たりで、よく100万人当たりのPCR検査数というのが出ているんですけど、これには流行状況が加味されてないわけですよ。
編集Y:えーと……流行状況。
峰:たとえば1日に400人以上死んでいる米国と、1日に7人ぐらいしか死なない日本で、PCR検査の数が違ってもあまり意味がない。
編集Y:やればやるほど、偽陽性も偽陰性も出てくるんだから、流行状況が穏やかなときにガンガンやっても、医療機関に負荷をかけるわ、偽陰性の人が安心しちゃうわ、いいことがない。
峰:一方で、感染者数や死亡者数で割った値というのは結構、インジケーターになるんですよね。
編集Y:あ、つまり「有効打が出る検査をやっているか」を考えろ、と。そもそもPCR検査は、偽陰性の問題があるわけだから、検査をやって、陽性の人がたくさん見つかるかどうかの「打率」を見ろ、というわけですね。
峰:そうそう。そういう目で見ると、実はニュージーランドがすごいことが分かってきます。国境閉鎖と厳しいロックダウンを行い、その上でめちゃめちゃたくさんのPCRをやって、4月末で収束させた。だから、「検査をやりまくって感染者を拾い出しまくって、抑え込みに成功」した国は確かにあるんです。ニュージーランドは人口は約500万人と小さい国ですが、人口が大きい国だと韓国とドイツが高いです。主要国では韓国とドイツの次に多いのが日本です。
編集Y:しかし、米国や英国、フランスは、検査数に対する感染者数の比率も日本よりだいぶ高いですね。これは「打率が高い」ことにはならないんでしょうか。
峰:先ほどご説明したように、日本と異なり検査前確率を考えず、検査数が桁違いに多いのですから、偽陽性の比率が高くなるでしょう。そしてなにより、実際にCOVID-19による死亡者数が多いということは、彼らが感染者をうまく拾い出せているとは言えない証明だと思います。
編集Y:そういえば「検査を増やさないといずれ日本も、米国、英国みたいになる」とよく言われていました。
峰:日本は打率が高くて、それでも陽性率は低いんです。まあ、10%いかないぐらいなんですね。ということは、十分拾い上げができていると思っていい。
編集Y:そう言える根拠はなんでしょうか。
CTスキャン普及率の高さが寄与か
峰:検査前確率を上げている上に、韓国、日本ではコンタクトトレーシングといって、接触者調査をめちゃめちゃ細かくやっているんです。これはニュージーランド、オーストラリアも同様です。
ところが、英国、米国はコンタクトトレーシング、クラスター対策というのはまぁほぼ一切やっていません。というか、できないんです。どこでクラスターが発生しているかも、彼らはまったく認識できていません。
だから、戦術でいったらもう、艦隊から偵察機を360度全方向にいっぱい飛ばして、とにかくどこに相手の艦隊がいるのか探せということで、乱れ打ちPCRをやっているみたいなもので、効率が悪過ぎるんです。
編集Y:全方位に多段索敵。人員と飛行機と燃料がいくらあっても足りないし、増やしすぎると誤報や未帰還機も多くなる。それ、ミリタリー好きには「やっちゃダメ」だと分かり過ぎる例えです。
峰:だから、まずはPCRの質が違う。患者数、死亡者数当たりのPCR数が違う。さらに実は日本にはもう1つのアドバンテージがあるんです。それは、国民1人当たりのCTスキャンの普及率が非常に高いことです(100万人当たり107台、OECD平均で25台)。
編集Y:はあ、そういえば近所のお医者さんで使ってもらったかも。こういうのは国際的には珍しいんですか。
峰:日本以外では、町の医院のレベルでCTを持っている国なんてそうそうないわけです。そして、COVID-19って結構典型的な肺炎像が出ることが多いんですよね。なので、ちょっとでも疑わしいと思ったら、肺炎だと診断をしてしまって、その上でPCRをやるので、当たりの率が高いんです。かつ、PCRが陰性でも、肺炎がある時点で治療の必要はあるので、入院させちゃう。
編集Y:疑いのある患者さんをひっかけて、すぐ隔離できる。
峰:はい、疑い症例として、病院で隔離しちゃう、そういう症例もそれなりにあると聞いています。日本の場合はCTスキャンで感染の可能性がある人を早く拾い上げている。検査体制は、単なる検査数ではなく、感染者の拾い上げで見るべきで、その意味では世界で最も精緻であると言ってもいいくらいです。
編集Y:ずいぶん印象が違いますね。
峰:そうなんです。欧米各国に比べて日本の検査が緩いということはまったくなくて。一方で、確かに、PCR検査自体のキャパを早期に拡大できなかったというのは日本の悪いところなんです。仮に現状のままで、もっと大きいウエーブが来たら最悪なんです。
しかし今回は、流行状況がひどくなかったという幸運も寄与して、おかげで日本では検査については、結果としては適正水準で行われていたと言ってもいいんじゃないの、と評価できるぐらいなんですね。
編集Y:へえー。
峰:少なくとも、米国や英国に「検査が足りないぞ」とは絶対言われたくない(笑)。ニュージーランドや韓国の人に言われたら、うーん、まあ、君たちはとっても頑張ったよね、と答えざるを得ないですけれど。
付け足しておきますと、韓国が対応できたことには理由があるんです。韓国はSARS(これは少数ですが)もMERSも流行したので、そのときに法律を改正したりしているんですね。いざというときは国に個人情報を提供してでも、接触者調査ができるという時限法というか、特別法なんですけど。そのときにつくったPCR検査網と、それを支えるベンチャー企業が日本の100倍以上はあるわけです。なので、キャパシティーはもともと大きいんです。
だからそこは、日本は韓国に見習うところはあると思うんですね、今後の流行を考えても、この新型コロナに限らず、ほかの病気が入ってきたことを考えても。
ならば抗体検査、抗原検査はどうですか?
編集Y:PCR検査がそういう状況ならば、抗体検査、抗原検査はいかがでしょう。
峰:ウイルスに感染すると、体がそれに対抗する抗体という分子を作ります。抗体が反応するウイルスのタンパク質を「抗原」と呼び、抗原検査はこれの検出を行います。ですので、考え方としてはPCR検査と同じですね。PCR検査よりも迅速で特異度も高いのですが、感度は落ちます。
編集Y:感度が落ちる。ということは、偽陰性(陽性の見逃し)が大量に出てしまう。半面、陽性の確定には使えると。では、使い方としてはPCR検査と同じになるわけですか。
峰:おっ、分かってきましたね(笑)。そして抗体検査は、体の中に抗体の分子があるかどうかを探すということなんですね。つまり、過去から現在までに感染したかどうかをある程度見られるという検査です。
しかし、抗体の応答、実際にどういう抗体ができるか、どのぐらいの間維持されるか、実際に抗体ができた、イコール、二度とかからないという免疫になっているのかなどについてはまだ不明なことが多くて、研究が必要な状況です。
編集Y:ウイルス本体を見つけるのではなく、体の反応から調べるから、手間というか、推論と検証が必要なんですね。
峰:そもそも感染したら免疫がつくのか、と聞かれれば、「おそらく」と答えます。猿でもつくことが分かっていますし、一度かかった人はあまりかかっていないので。ただし、どの程度の人に抗体ができているかの割合、免疫の強さ、防ぐ力がこの抗体ができるのときれいに相関しているのかはまだよく分からないところがあります。
編集Y:そういえば、風邪の一部はコロナウイルスが引き起こすのですよね。抗体ってどうなっているんですか。
峰:はい、風邪のコロナウイルスを感染させて、抗体がどのぐらいできるか、維持されるかを見た研究が1990年代にあるんですけれども、抗体ってわずか8カ月ぐらいしか持たないんですね。つまり、冬に風邪に感染すると次の冬にはまた風邪に感染しやすくなっているんです。そういったことが今回のウイルスでもあるんじゃないかというところで、いまだにこれは不明になっています。
編集Y:うーん。
峰:抗体・抗原検査のスタンダードな方法としては「ELISA (Enzyme-Linked ImmunoSorbent Assay、エライザ)法」というやり方があって、これは研究室などでやるんですけれども、実際にどうやって行うか、どこのキットが一番いいかというゴールドスタンダードがまだできているとは言えない状況なんですよね。ですので質はばらばらです。ましてや、スピードを優先した簡易抗体検査に至っては拙速に開発されたものが多くて、品質も不安定なものが多かったのです。
これは大問題になっていまして、米国では30種類以上の抗体検査のキットが緊急で承認されたのですけれども、今現在生き残ったのはわずかで、そこからさらにふるい落としが始まって、結局、残るのは2つの会社(2種類)ぐらいになってしまうのではないかというような状況なんですね。
(弊社の記事ですが、こちらも参考になりました:日経メディカルオンライン「『免疫パスポート』という甘美なゴールを目指して」)
そして、PCRと一緒で偽陽性、偽陰性、それから、判定が難しいという問題はどこまでもつきまとってきます。なので、現時点で抗体検査を広く疫学調査目的として行っても、精度を確認しないと、正確な状況の把握はできないだろうというのが、我々の間では一般的な考え方です。
編集Y:信頼に足る検査手法じゃないと、やっても仕方ないということでしょうか。
峰:はい、検査方法がまず確立されて、普及されるまでは行わない。そこが大事です。
編集Y:専門家の方からは、もしかしたらナンセンスに思えるかもしれませんけれど、早期・大量の検査を主張する方々からは「拙速でもいい、とにかく何か手を打ちたいんだ」という、ある意味前向きな気持ちを感じて、これまた、個人的にとても共感できるんですけれど。
峰:気持ちは私ももちろん分かります。でも、不十分な検証で、実態と異なるおかしな数値が出てしまえば、たとえ「これは実験的な調査」とかの断り書きを入れても、それだけで、国や世界の政策が大きくねじ曲がる可能性がある。狂った物差しを使うことを認めれば、間違ったことを言ってしまう可能性がある。まして、医療機関や政府がそれに沿って動いたらどうなるか。医療関係者はそこを恐れているのです。
編集Y:もうひとつ。「高齢者などのハイリスク層を厳重に監視すればいいのでは」という意見があります。日本は介護施設などのレベルが高いおかげか、高齢者層の死者も諸外国より低いそうですし、これはアリじゃないのか、と思うのですが。
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