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「行こうみんなでワークマン」の時代

 ワークマンと聞いて、何を思い浮かべるだろうか。歌手・吉幾三を起用したテレビCMを挙げる人は、意外に多いかもしれない。家族のために働く男(=ワークマン)の日常を、情感たっぷりに歌い上げたCMソングは、世のお父さんの心を打った。

 雨にも負けず、風にも負けず、来る日も来る日も現場に出続ける職人にとって、安くて丈夫なワークマンの作業服は、人生のよきパートナーであり続けた。そのワークマンが、装いを新たにしたのは2年前だった。

 18年9月5日。東京都立川市のショッピングモール「ららぽーと立川立飛」に、新業態「ワークマンプラス」を出店した。それは、日本のアパレル史上に残る革命だった。作業服専門店が一夜にして、アウトドアショップへと変貌を遂げたのだから。マネキンやポップを多用した店構えは「本当にあのワークマンなのか」と目を疑うほど洗練されていた。これまでワークマンに見向きもしなかった一般客が、初めてワークマンという存在を「発見」した瞬間だった。

 ここから、ワークマンは怒濤(どとう)の進撃を始める。店先には連日、入店制限をかけるほどの行列が延び、初年度売り上げ目標をわずか3カ月で達成した。それだけではない。ワークマンプラスが広告塔となり、既存のワークマンにも新規客がなだれ込んだ。19年8月には既存店売上高が前年比154.7%と驚異的な伸びを刻み、その後も勢いは衰えない。「歴史が変わった」。古参社員が、思わずそううなるほどのうねりが列島中を駆け抜けた。

 ワークマンプラスを見たとき、誰もがこう思っただろう。ワークマンが、カジュアルウエアの新ブランドを開発した。ワークマンプラスという全く新しい店をオープンしたのだと。実際に、あまりのイメチェンぶりに、昔からのファンは衝撃を受けた。「悲報!俺たちのワークマンはどこに行った」というつぶやきがネット上に飛び交った。しかし、そうではなかった。並んでいる商品は、すべて既存のワークマンで扱っているアイテムだった。

 そう、これは壮大な実験だったのだ。ワークマンプラスは、ワークマンが扱う1700アイテムに及ぶ膨大な商品群から、アウトドアウエアやスポーツウエア、レインスーツなど、一般受けするだろうと見た320アイテムを切り出したにすぎない。そのうえで、マネキンや什器を入れ、照明や内外装、陳列方法を思い切って変えた。つまり、ワークマンとワークマンプラスは同じ商品を扱う“同一店”だったのだ。

 しかし、それだけで売り上げは爆発した。ワークマンプラスの売上高は、既存店平均の2倍に急伸。まさに商品を変えずに売り方を変えただけで2倍売れたのだ。男性の職人中心だった客層は一変し、今やショッピングモール内のワークマンプラスは、女性客が半数を超える。「ワークマン女子」という言葉まで生まれ、SNSでは「#ワークマン」をつけたつぶやきが日々増殖している。

 19年には、モーニング娘。が全身ワークマンコーデに変身し、新曲「人生Blues」のミュージックビデオを撮影した。9代目リーダーの譜久村聖は自身のブログでこうつづった。「ワークマン=作業着は、もう違うみたいですよ!」。おじさんから、アイドル、ファミリーまで、かつて吉幾三が歌い上げたように「行こうみんなでワークマン」という世界が、本当に押し寄せたのだ。

 新型コロナウイルスが猛威を振るい、見えない脅威に世界は翻弄されている。不透明な時代だからこそ、我々が今、ワークマンから学ぶことは多い。なぜなら、ワークマンは、このワークマンプラス誕生のはるか前から、時代を先読みし、進化を重ねてきたからだ。

16坪、14坪で実験を重ね、3号店で「標準化」

 ワークマンは1980年9月30日、群馬県伊勢崎市昭和町に「職人の店・ワークマン」として産声を上げた。店名の通り、ザ・作業服の専門店である。1号店は、わずか16坪(53平方メートル)の極小店舗だった。商品が思うように集まらず、作業ズボンに、肌着、靴、軍手、軍足で厚みをつけた程度。作業服専門店をうたうにはかなり不十分で、流通関係者から、品ぞろえの貧弱ぶりを、よくからかわれたという。いざ仕入れを要請しても、「そのような商品はない」と門前払いを受けることはしょっちゅうだった。

「職人の店」を掲げてオープンしたワークマンの1号店。16坪の極小店舗で、当時はロゴも青と赤がイメージカラーだった

 その半年後、群馬県大間々町(現在のみどり市)に開業した2号店は、1号店以上に極小だった。普通の住宅を改装した14坪(46平方メートル)の売り場。節約、節約でスタートし、品ぞろえには悪戦苦闘したものの、幸い売れ行きだけは好調だった。82年4月、ワークマンは満を持して埼玉県深谷市に40坪(132平方メートル)の店を出し、埼玉に進出する。驚くべきは、この3号店から100店舗チェーンになることを見越し、店のサイズや棚割りまでこと細かくマニュアル化する「店舗の標準化」に踏み切っていたのだ。

 「1、2号店とも非常にいい業績を上げていた。しかし、1号店では業績はともかくとしてまだ商品管理などのノウハウがつかめず、先が読み切れないところがあった。2号店をオープンさせ、1号店で学んだものを実施してみてうまく軌道に乗った。これでいけるな、という自信がついた。3号店まで、時間がかかったのは、標準化するために準備を進めていたからだ」

 ワークマンの創業者である土屋嘉雄氏(2019年9月まで会長を歴任)は「ワークマンものがたり」の中で、当時をこう振り返っている。つまり、このときから、店を出すたびに、実験を重ねていた。ワークマンプラスと同じ手法を、当時から実践していたのだ。

 1、2号店は経営委託方式で出店し、3号店で今に続くフランチャイズ(FC)システムを導入した。米国の流通制度を視察し、FCシステムこそが今後の小売業界の主流になると読んだからだ。

 「小売業は地域密着が大原則。したがって、地域のことを最もよく知っている地元の人が運営していくのが、一番いい。地元の人が持つ地域密着のノウハウと、ワークマンの持つ経営ノウハウが一体となるシステムが、FCシステム。小売業の理想的なシステムといっても過言ではない」(土屋氏)

 現在、ワークマンの店舗の95%以上はFCで成り立っている。その礎は40年近く前に完成していたことになる。

※この記事は日経クロストレンドの「 インサイド」に掲載されています。

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 主人公は、商社からやってきた1人の男。作業服専門店が、なぜ今をときめくアパレルショップになれたのか。客層を大きく拡大できたのはなぜなのか。実は水面下で、緻密かつ計算され尽くした戦略がありました。組織が躍動し、変わっていく姿を、物語仕立てで克明に描写。全編コロナ後書下ろしで本邦初公開の情報を余すことなく盛り込みました。

 ワークマンは新型コロナにどう立ち向かったのか。アフターコロナで何を仕掛けるのか。本書を読めばすべて分かります。危機の時代にリーダーとはどうあるべきか、DX(デジタルトランスフォーメーション)実現のヒントから、成果を出すチームづくりの極意まで、さまざまな気づきを得られる一冊です!