イノベーションを起こし、ヒット商品を生み出すのは企業ではない。人である──。新市場を創造した人や画期的なマーケティング戦略を指揮した人を表彰する「マーケター・オブ・ザ・イヤー」。3回目となる2020年の大賞に選出されたのは、日本コカ・コーラの「こだわりレモンサワー 檸檬堂」を指揮したCMOの和佐高志氏だ。元P&Gのプロマーケターが、30年間培ってきたマーケティングノウハウのすべてをつぎ込み、鮮やかな垂直立ち上げを果たした。確固たるブランドストーリーに基づいた、一糸乱れぬ美しいマーケティングをご覧いただく。
日本コカ・コーラ CMO(最高マーケティング責任者)和佐高志氏。1990年、プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン(P&G)入社。洗剤、ホームケア、紙製品、化粧品部門などのブランドマネジメントの要職を経て、2009年日本コカ・コーラ入社。13年に副社長。19年7月にCMOに就任
日本の清涼飲料市場は、長らくアルコールメーカーに席巻されてきた。領空侵犯を一方的に許してきた飲料の雄、日本コカ・コーラが放った爽快な一撃。「こだわりレモンサワー 檸檬堂」が缶チューハイ市場で快走している。
率いるのは最高マーケティング責任者(CMO)の和佐高志氏だ。P&Gで化粧品、スキンケア、洗剤など、18年間ほぼマーケティングに従事し、2009年日本コカ・コーラに入社。緑茶「綾鷹」ブランドの立て直しや「ジョージア」ブランドの活性化などを行ってきた。だが、そんな和佐氏でも、全くのゼロから新ブランドを立ち上げる機会はなかなか巡ってこなかったという。
買ってもらうまでの「3つのパワー」を重視
「全部決めてもらって構わない。自由演技でやってくれ」。アルコールに参入するとき、和佐氏が当時の社長から言われた一言だ。コカ・コーラグループとしても、自社ブランドのアルコール飲料に本格参入するのは世界初の挑戦となる。その大役を全権委任され、和佐氏は「これまで30年間培ってきたマーケティングのノウハウをすべてつぎ込む」と決めたという。
そもそも、なぜ日本コカ・コーラが“禁域”とも思えるアルコール市場への参入を決めたのか。和佐氏に問うと、答えは明快だった。「そこにホワイトスペースがあったから」だ。
「人々の一生と日々の生活に寄り添う飲料『ビバレッジ・フォー・ライフ』が当社の方針。コカ・コーラから始まり、ファンタなど他の炭酸飲料やジュース。日本は世界でも一番進んでいて、お茶、コーヒー、水と、ポートフォリオが最も充実している国。世界のコカ・コーラ各社は、日本からどうやって学ぶかが合言葉になっている。米アトランタの本社からも、日本がアルコールでパイロットテストをするなら、挑戦してみるに足るだろうとGOサインが出た」(和佐氏)
アルコールで挑むならビールやウイスキーといった技術が必要なものではなく、初手は自分たちの強みを生かせるジャンルから攻めるべき。また、清涼飲料で多彩な果汁を扱ってきた経験があり、炭酸飲料の知見も使える。「自分たちの強さを生かせるうえに、当時の競合商品には紋切り型のものが多かった。ここにスペースがある、と判断した」(和佐氏)と、缶チューハイに照準を定めた。
評判の居酒屋やバーに通い、リサーチを続けると、見えてきたのがレモンサワーの奥深さ。本格的な居酒屋では、生のレモンをすりおろすなど、製法や果汁感、味わいが明確に市井の缶入りレモンサワーとは異なっていた。この味わいをそのまま缶に詰められないか。そんな発想から生み出されたのが、レモンを皮ごとすりおろし、あらかじめアルコールで漬けてなじませる、前割り製法という作り方だった。
「檸檬堂」は味やアルコール度数によって4種類を用意した
よそにはない強い商品ができた。そこからのマーケティングは和佐氏の真骨頂だ。「『居酒屋の文化』というものをすごく注意してブランディングをしていった」といい、文脈に沿った戦略を一つ一つ紡いでいく。
例えば商品名。「レモンサワー専門店の屋号は何がいいだろう」と考え、生まれたのが居酒屋の店名にあってもおかしくない、「檸檬堂」という和の名前だった。製品というよりも檸檬堂というお店がオープン、そこで出しているこだわりの味を多くの方に届けられるように缶に詰めた、という文脈だ。
消費者に後発ブランドの檸檬堂を手に取らせ、買ってもらうためには、相応の戦略が要求される。和佐氏はそのために必要な要素を「3つのパワー」で説明する。その1つ目が、客の目を引いて立ち止まらせる「ストッピングパワー」。この役割を果たすのが、棚で埋没しないための独自性のあるパッケージだ。
和佐氏が出した方針は、「メタリックなシルバー禁止、シズル感禁止」というもの。チューハイの売り場にありがちなパッケージデザインではなく、居酒屋の文脈をここでも守り通した結果、店主が締めている「藍染めの前掛け」を模したデザイン、という発想に行き着いた。
レモンサワー専門店なら、いろいろな味や濃さの種類があってもいいはず。そこで考え出されたのが、アルコール度数に応じて3種類の味わいを用意するという手法だった(現在は4種類)。5%の「定番レモン」の他、7%の「塩レモン」、3%の「はちみつレモン」。さらには9%の「鬼レモン」も加わり、レモンサワーだけで4つの棚を占拠するという斬新なマーケティング手法。これが、2つ目の力である、客に興味を持ってもらい手に取らせる「ホールディングパワー」だ。
そして最後が、かごに入れて会計まで持っていく力「クロージングパワー」。他の商品と比べて、「おいしそう」「そういえば聞いたことがある」と想起させる力だ。これは、広告や宣伝、販促などが織りなしていくもの。「この流れをうまくつくれると、ブランドは育っていく」(和佐氏)
「鬼レモン」でもう一度ブランドの原点に立ち返る
順風満帆に見える檸檬堂のヒットだが、マーケティングにおける新たな学びもあったという。それが、地域限定で行われたテストマーケティングだ。
檸檬堂は18年5月28日、九州からスタートした。定番レモン、塩レモン、はちみつレモンの3品で販売を開始。売り上げは好調に推移し、九州のレモン缶チューハイ市場でナンバーワンになるところまで支持は拡大。空港や駅などでの土産需要も生まれ、全国展開への足掛かりとなった。
「半年ぐらいでこれはおそらく全国でも行けるとチーム内では話をした」と語る和佐氏だが、季節変動などを含めて1年は見るべきだと判断。そこで追加の4品目、アルコール度数9%の「鬼レモン」も同じく九州限定で投入した。
9%の「鬼レモン」は、ブランドの原点を見直すいいきっかけになった商品だった
ブランドにラインアップを追加するとき、「お待たせしました。新味が出ました!」と、新アイテムにフォーカスしてテレビCMなどを打つのが一般的だ。だがここで和佐氏は、檸檬堂の原点に立ち返り、別のコミュニケーション方法を選択した。
「鬼レモンの発売をきっかけにして、檸檬堂のエッジの部分、ブランドの哲学や基本のポジショニングをもう一度理解してもらおうと決めた。具体的には、定番、塩、はちみつ、鬼、4つの中からお試しください、というコミュニケーション」。ロングセラーならいざ知らず、九州限定で1年もたっていない新ブランドなのだから、新製品に特化せずにもう一度ブランドを知ってもらう機会にする。この学びは和佐氏にとっても新鮮だったという。
満を持しての、19年10月28日の全国発売。檸檬堂は、鬼レモンのときと同じコミュニケーションを選んだ。4つの味、4種類のアルコール度数から好きなものを選んでほしいという、レモンサワー専門店の商品というポジショニングをぶらさずに遂行。その結果、発売直後から品薄になり、20年1月には出荷停止に。定番商品として垂直立ち上げに成功したのはご承知の通りだ。
日経POS情報による19年10月~20年3月のチューハイランキングで、350ミリリットル缶で2、3位に檸檬堂が入る。出荷休止していたことを鑑みると、驚異的な売れ方と言えよう。「5番目の檸檬堂の商品を出すときにも、同じコミュニケーションにしたい」と手応えを感じている。
20年8月から展開しているキャンペーンでも、その姿勢は一貫している。非売品の「うらレモン」を5000人に抽選で当たるキャンペーンを開始。「檸檬堂の店主が、気分が乗ったときだけつくる裏メニュー」というコンセプトだ。「感謝の気持ちを伝えるためのものであると同時に、居酒屋のレモンサワーというコンセプトを思い出してもらうための施策」と和佐氏は説明する。
テレビCMなどでの居酒屋「檸檬堂」の店主役には阿部寛を起用。ブランドカラーの紺色を使ったしつらえに
キャンペーン用の「うらレモン」にも、檸檬堂のコンセプトは踏襲されている
卒論のテーマは「スーパードライの大逆転劇」
檸檬堂のヒットを語るうえで、外せないのが価格戦略だ。「缶チューハイの競合と比べると、檸檬堂はプレミアムな価格を維持できている」と和佐氏は胸を張る。
少し高価格帯に振ったのには2つの理由がある。1つは純粋に果汁量が多いからというコストの部分。もう1つが「ちょっと高いけどおいしいよね」という納得感だという。ただ、いくら原価がかかっているから、おいしいからと高い価格を設定しても、売れなければあっという間に棚落ちしてしまうのが市場の摂理だ。プレミアムは、檸檬堂の価値と価格が見合っている、という消費者のお墨付きの証左といえる。
実は日本コカ・コーラには、プレミアム価格で苦い経験があった。緑茶の「綾鷹」は07年の発売当初、プレミアム緑茶として売り出したが、消費者に価値を感じてもらえず低迷。この設定を改め、一般向けの緑茶の価格に設定し直すなどのてこ入れ策で、綾鷹をよみがえらせたのが和佐氏だった。
ではなぜ綾鷹はプレミアム価格をやめ、檸檬堂はプレミアム価格にしたのか。「緑茶市場にはプレミアムというセグメントがもともとなかった。つまり、綾鷹は存在しないマーケットを狙ってしまった。一方、アルコールの場合は、例えばビール系だとプレミアムビール、ビール、発泡酒、第3のビールと同じ350ミリリットルでも価格のレンジがある。つまり、檸檬堂をプレミアム価格に設定しても、消費者に受け入れる余裕があると判断した」と和佐は説明する。味では競合に負けない、という自信に裏打ちされた高価格戦略といえるだろう。
和佐氏はもともと新聞記者やジャーナリスト志望で、大学ではジャーナリズムを専攻していた。ところが卒論で選んだあるテーマが、その後の人生を大きく変えた。
もともとはジャーナリスト志望だった和佐氏が、マーケターを志すようになったきっかけとは
そのテーマは、スーパードライの大ヒットによるアサヒビールのV字回復。今なお伝説として語り継がれるシェア大逆転劇を学生時代にリアルタイムで目の当たりにし、マーケティングに興味が湧いたという。そして、マーケティングで名高いP&Gの門をたたいたのは、冒頭で紹介した通りだ。
スーパードライはキレ、鮮度という新しい競争軸を打ち立ててエッジを立たせた。ジャーナリストの落合信彦氏を起用したCMも斬新だった。それは、新たな製法で競合他社と差別化し、巧みなマーケティングでブランドのポジショニングを確立させた檸檬堂と軌を一にする。「檸檬堂をやっているときはスーパードライのことは考えていなかったが、振り返ると共通点も多いですね」と、和佐氏も述懐する。
スーパードライは30年以上たった今なお、ビールのナンバーワンブランドとして君臨する。檸檬堂がこの先、何十年と続くロングセラーになるためには何が必要なのか。「2年目、3年目と、ここからはブランドを育てるということになる。一度立てたエッジは変わらない。常にこれを磨いていくということ」。
「30年前にマーケティングを志したときから、一生のうちに1つでも、自分がつくったブランドが定番になり、50年、100年と愛され続けたらいいな、と思っていた」と語る和佐氏。プロマーケターとしての目は、すでに先を見据えている。
檸檬堂ブランドチームの仲間たちと一緒に撮影した1枚
■審査員コメント
鹿毛康司氏
かげこうじ事務所代表・クリエイティブディレクター
おいしさという本質を追求し、ネーミングなどの戦略もさすが。自由な発想で、後発のメーカーだからこそできる勝ち方。横から入らずに王道で行ったのがすごい。
入山章栄氏
早稲田大学大学院 早稲田大学ビジネススクール教授
日本でちゃんとしたマーケティングができるCMOが少ない中、和佐氏の偉業は素晴らしい。「檸檬堂」はお手本通りのマーケティングと言える。
(写真/洞澤佐智子(CROSSOVER))
※この記事を含む特集「 マーケター・オブ・ザ・イヤー2020」は日経クロストレンドに掲載されています。
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