英教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)による「THE世界大学ランキング」など、著名な大学ランキングで、東京大学をはじめとした日本の大学の順位が低迷していることがよく話題になる。

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 競争力低下が懸念されるようになったのは今に始まった話ではない。その一因とみられているのが「アカデミック・キャピタリズム(大学教育の市場化)」の台頭だ。かつては、資金面でも「真理探究の場」「学問の自由」がある程度保障されていた日本の大学だが、市場原理、競争原理を働かせて、競争力のある優れた研究と評価されるものにお金が付く仕組みを取り入れ始めた。

15年で11%削減された運営費交付金

 日本でアカデミック・キャピタリズムが広がる大きなきっかけとなったのが、国立大学の財政構造の変化だ。2004年に国立大学が法人化されて以降、国から支給されていた運営費交付金は毎年1%ずつ削減される状態がしばらく続いた。その代わりに増えているのが、「競争的資金」と呼ばれる、研究課題を公募し優れたテーマに配分する研究資金だ。文部科学省の科学研究費がその代表だろう。

 各大学は外部から資金を調達する必要に迫られている。東京大学も例外ではなく、2000年代初めには年間で約1000億円あった運営費交付金は、18年度には760億円まで落ち込んでいる。その代わりに約620億円を外部から調達している。今や外部資金は、東大の収入の約3割を占める重要な財源だ。資金の出し手は国にとどまらず、財団法人や企業が募る民間のものも多い。また、産学連携などで獲得した委託金などの研究資金も広い意味での競争的資金に含まれる。

 競争的資金に重点を置くようになった背景には、言うまでもなく国の財源が逼迫し、大学の研究や教育にまとまった額の予算が割けないという事情がある。期待される研究に限られた資金を手厚く配分して、最大限のパフォーマンスを上げようという方向に政策の舵(かじ)を切ったわけだが、こうしたやり方が結果的に研究計画ありきの厳しい資金獲得競争を生んだ。その結果、若手研究者に向けた研究環境の整備や、基礎研究の充実に支障をきたしているとの不満は根強い。

 同じ国立大学でも競争的資金を取れる大学と取れない大学の「格差」も生じてしまった。16年に文部科学省が行ったアンケートで、約6割の教員が所属機関から研究者に支給される個人研究費の額を「50万円未満」と答えるなど、地方国立大学の「窮状」も明らかになっている。

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 アカデミック・キャピタリズムによる、こうした弊害は解消できないのか。

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